ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

“形”を描くのではなく、“印象”を描く、そこに印象派の本質があるようです

2013-02-23 16:47:06 | 犬たち

いつもはこのブログの上の絵は私の作品の登場となるのですが、今回は140年前に描かれた絵を載せることにしました。
この絵は絵画史上での大きなエポックを作っただけではなく、現代の絵画(私も含め)に大きな影響をもたらした、時代を拓いた絵なのです。
            
ご存じのようにその絵はクロード・モネの「印象・日の出」です。
写実主義至上の時代の中で、当時の新聞記者たちからは、“なるほど、印象的にヘタな絵だ!”と酷評されるように、社会から全く受け入れられませんでした。
しかしこの作品は心ある芸術家たちを刺激し、絵の名前から「印象派」と呼ばれたその集団に多くの画家たちが集結し、芸術運動として広がりました。

その中心となる画家としてマネ・ドガ・セザンヌ・ルノワール・ゴーギャン・ゴッホと、日本でも名の知れた巨匠たちが活躍したのです。
            
印象派を語るとき、その時代背景も語る必要があります。
その当時の画家の仕事のほとんどは、カメラが登場する以前の時代だからこそ肖像画を描く仕事が主流で、相当の産業となったのですが、カメラが発明されたことで肖像画市場が一気に縮小しました。
そしてそれに取って代わる新しい絵の世界が求められ、それが印象派の台頭となったのです。
それはこれまでのように暗い室内で緻密な技術でリアルに描く絵ではなく、明るい太陽のもとで自己を解放して自由に描くことで、絵としての魅力のみならず精神的解放も含め新しい時代の先駆けとして、社会から多くの賛同を得たのです。
            
もう一度上の絵「印象・日の出」をご覧ください。
港の風景のようですが、船や港は判別しにくいほど大雑把に描くものの、朝靄の中から出る朝日のまぶしさが絶妙で、まさに“光の印象”を実に見事に表現しているではないでしょうか。
            

話代わって、私は印象派を代表する画家ポール・セザンヌが、人生後半を過ごしたアトリエを訪問したことがあります。
そこは地中海沿岸の都市エクサンプロバンスの郊外の緑の中にたたずむアトリエで、光の降り注ぐ部屋に巨大なキャンバスがありました。
彼はよほどその地が気に入ったのでしょうか、アトリエから20分ほど歩けばゴツゴツとした岩山のサント・ヴィクトワール山がそびえているのが見えますが、彼の晩年の作品のほとんどはそのサント・ヴィクトワール山をテーマにしていました。
そのため毎日のように山が見える場所まで歩き、スケッチをする日々が続き、その膨大なスケッチをもとにアトリエの巨大キャンバスにキャンバスに向かったそうです。
そんなある日、スケッチの途中で豪雨に遭遇し、急いで帰宅するものの途中で倒れ、数日後帰らぬ人となったのです。
            
私は遺作となった数多くの「サント・ヴィクトワール山」の絵を観ながら、その絵に描かれた山の形は実際のサント・ヴィクトワール山とは似ても似つかない形をしており、それではなぜ彼は大変な苦労をしてまでその山のスケッチを描き続けたのか、私はずっと疑問に思っていました。・・・そして

そうなんだ!彼はサント・ヴィクトワール山を描こうとしたのではなく、“サント・ヴィクトワール山の印象”を描こうとしていたのだ。
なぜなら彼はあまりにも深くこの地を愛していたのだから。
           
            ●

写実絵画から抽象絵画への移行期間の狭間に印象派の時代があったのですが、それ以降抽象絵画へと急速に流れ、それとともに絵画は大衆から遊離していきました。
しかし日本のみならず世界でも絵画ファンの多くの人は印象派の虜になっており、印象派は今も生きています。
その神髄は“形を描く”のではなく、“心に残る印象を描く”ことにあると私は思っています。

 


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