経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】 東京都にはたくさんの無人島がある!? 405

2024-04-05 17:33:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言04月

  【経営コンサルタントの独り言】 東京都にはたくさんの無人島がある!? 405

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 東京都にはたくさんの無人島がある!? 405

 NHKの朝の連続ドラマで話題になりました北茨城ですが、東京まで2時間ほどの距離にありながら、昔は東京に憧れていたのですね。

 たしかに、東京は大きい。

 江戸時代には、世界で一番大きな都市でした。

 世界ではじめて1000万人都市になったのも東京です。

 その大都市東京にも「村」があるばかりではなく、無人島もあります。

 無人島の数は、ひとつやふたつではありません。

 近隣諸国が、日本の島を勝手に占拠しないように、日本政府は、島や海溝などに名前を付け始めています。

 

(ドアノブ)

 

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 6 仕事を通して人脈ができてくる

2024-04-05 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 6 仕事を通して人脈ができてくる

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。
◆4-6 仕事を通して人脈ができてくる

 本社で竹根の支援をしてくれる相本のことも、時々、思い出す。年賀状をもらったものの、結局それに対して手紙を書くことができなかった。忙しいということもあるが、相手に迷惑をかけてしまうのではないかという恐怖心が、手紙を書くことにブレーキをかけた。
 四月に来る教育ミッションの訪問先の学校からの受け入れの返事も次々と届き、それらを事前訪問した。竹根には今ひとつ訪問先にパンチの効いたところがないように思えた。自分の大学院で親切にしてくれる、中国系の教授にCAIのことを相談したら、自分の知り合いでフロリダ大学の教授がいるので、彼を訪問してはどうかと紹介状を書いてくれた。
 フロリダの方に出張する仕事もあったので、スケジュールを合わせて訪問できるかどうか、事前に紹介されたフローレンス教授からのOKサインをまった。スケジュール調整をして早速訪問した。事情を説明したところ、喜んで引き受けてくれることになった。教授から、日本からの先生方のミッションに対して、「最近の教育事情と今後」というテーマでレクチャーを受けることができることになった。当然、CAI教育の現状と問題点、今後の動向などについて聴くことができる。

  <続く>
■ バックナンバー
 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 4月4日 元気な会社 「リアル」とは違う市民マラソンの楽しみ方 2907-4404

2024-04-05 08:03:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 4月4日 元気な会社 「リアル」とは違う市民マラソンの楽しみ方 2907-4404   

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

  私の事業を引き継いでくれた竹根好助ですが、その部下が時々自分の顧問先や元気な会社に私を招待してくれます。私が企業で、何を観て、何を話すか、私の半世紀のコンサルタント経験を盗み取り、コンサルタントとして、それを顧問先に活かしたいという考えのようです。

  竹根の部下が紹介してくれた企業は、東京にあるため訪問してインタビューと社内見学をさせていただきました。

 ◆【成功企業・元気な会社・頑張る社長】 「リアル」とは違う市民マラソンの楽しみ方 2907-4404

 コロナ禍で企業向けの展示会やセミナーなどのイベントの開催が大きく様変わりしている。これまで中止されていた会場イベントを再開する動きが広がっている中で、それに合わせて、ウェブ会議システムなどを利用したオンラインでの開催も継続し、併用しているケースが多い。リアル+オンラインという「ハイブリッド方式」が当たり前のようになっている。オンラインは、そもそも会場での開催ができない中での苦肉の策だったはずだが、リアルにはないオンラインのメリットが幅広く認知されている。

 以前、北海道に本社のある中小企業の経営者からこんな話を聞くことがあった。「今まで東京や関西の展示会に出向いて情報収集していたが、オンラインで開催されるようになり、北海道にいながら最新の情報が入手できるようになった。こんなすごいことはない」。スタッフが集まって大型モニターで、ネット上の特設ブースをみたり、セミナーを視聴したり。交通費や宿泊代の心配はなく、人数の制限も必要ない。大都市と地方都市の「距離」という壁を取り払う。これこそがオンラインの持つ大きなメリットだ。

 オンラインは、スポーツの世界にも広がりをみせている。兵庫県加古川市のF社は、コロナ禍でオンラインでのマラソン大会を提案し、大会の主催者やランナーたちから高い評価を得ている。スポーツ競技でのタイム計測や集計業務も得意としているのだが、収益の柱の一つだったマラソン大会が相次いで中止になり、業績に大きな影響が出た。そこでリアルな大会の主催者などと連携して始めたのが、オンラインのマラソンイベントだった。

 リアルの大会のように一つのマラソンコースに集まるのではなく、指定の期間に一人ひとりが自ら設定したコースを走る。GPS機能を活用したスマートフォンのアプリで距離とタイムを正確に記録する。ファインシステムF社が開発したシステムにランナーがタイムを入力。リアルタイムでランキング化する。「このシステムを開発したことで、離れていてもみんなとネットを通じてつながり、楽しめる新しいタイプのマラソン大会を実現することができた」とS社長は話す。

 行動制限が緩和され、これまで中止となっていたリアルなマラソン大会を再開する動きも出てきている。オンラインのメリットを生かしたハイブリッド方式のマラソン大会が今後できれば、市民マラソンもこれまでとは違う新たな面白みも出てくる。「オンライン大会は、ユニークな企画やアイデアも反映しやすい」とS社長。知恵の出しようによっては、リアルな大会を上回る人気を呼ぶかもしれない。変異株の感染が拡大するなど依然として予断を許さない状況だが、ランナーたちが気兼ねなく、気持ちよく市街地を駆け抜ける日が早く来てほしいと願わずにはいられない。

   出典: e-中小企業ネットマガジン

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄では、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。
     https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930
 

  【今日は何の日】 4月5日 ■ 小笠原返還記念日 ■ ヘアカットの日

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

◆ 英国王室の先祖は海賊だった!? 404

 昔、歴史の時間に「ゲルマン人の大移動」ということを学んだ記憶があります。
 長く繁栄を続けたローマ帝国ですが、東西に分裂するなど、弱体化が進んでいました。
 4~6世紀にかけて西ローマ帝国を滅ぼしたというゲルマン人ですが、ヨーロッパ全域に展開して行きました。
 中世ヨーロッパの幕開けです。
 ローマ人は、イギリスにまで進出していました。
 イギリスで、始めてローマ遺跡を見たときには、「ローマ人よ、ここまで来たのか!!」という思いを致しました。
 今日のヨーロッパの人種は、単一ではありません。

 エリザベス一世が、海賊フランシス・ドレークに爵位を授けたという記録があるそうです。
 英国王室は、なぜ海賊に寛容なのでしょうか? 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

  明細リストからだけではなく、下記の総合URLからもご覧いただけます。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

>> もっと見る

■バックナンバー   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db  


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【今日は何の日】 4月5日 ■ 小笠原返還記念日 ■ ヘアカットの日

2024-04-05 00:03:00 | 【今日は何の日04月】

 

  【今日は何の日】 4月5日 ■ 小笠原返還記念日 ■ ヘアカットの日

 

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

今日の写真  4月5日

緑が生かさせている 曼殊院の石庭

 

■ 【今日の写真】 春の京都 曼殊院

 曼殊院は、洛北に位置しています。曼殊院門跡というのが正式な表現で、皇室一門の方々が住職をされていたことから「門跡」と呼ばれています。
 遠州の枯山水庭園は、鶴島と亀島があります。大書院に続く庭には霧島つつじが植えられており、枯山水との調和が素晴らしいです。

曼殊院  カシャリ!ひとり旅 京都府

【Wikipedia】
 寺伝では延暦年間(782-806)、伝教大師最澄が比叡山上に営んだ一坊がその起源とされる。円仁、安恵らを経て、10世紀後半の僧である是算の時、比叡山三塔のうちの西塔北谷に移り、東尾坊(とうびぼう)と称したという。
 最澄、円仁、安恵…というのは天台宗の法脈を表すもので、曼殊院の歴史は実質的には是算の時代から始まるといえる。是算の事績についてはあまり明らかでないが、花山法皇(968-1008)の弟子であったという。

今日は何の日      4月5日
 
■ 小笠原返還記念日

 1968年4月5日に、第二次大戦後アメリカの施政下に置かれていた小笠原諸島が日本に返還されることになりました。4月5日は、「小笠原返還記念日」で、同年6月26日に協定が発効し、日本に返還されました。

【Wikipedia】
小笠原諸島(おがさわらしょとう)は、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々である。日本の国土で、東京都小笠原村の区域と完全に一致する。総面積は104km²。南鳥島、沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原弧の一部をなす。

 父島、母島、硫黄島、南鳥島以外の島はみな無人島なのですね。ですから、小笠原固有の動植物が残されているのです。貴重な存在ですね。

 父島までは25時間半の船旅しか一般の人には手段がないので、それが貴重な生き物が生存できる理由でしょう。

 小笠原へは週に1~2便があるだけで、「おがさわら丸」「共勝丸」が就航しています。一時「テクノスーパーライナー」で17時間の渡航でいける構想がありましたが、実現はしていないようです。

 小笠原に日本経営士協会の会員がいます。本格的なコンサルティング活動は難しいでしょうが、小笠原の人には貴重な存在です。パッションフルーツをおくっていただいたこともあります。

■ ヘアカットの日

 明治4年(1871)8月9日に「散髪脱刀令」と呼ばれ、一般には、「断髪令」といわれる太政官布告がありました。

 すなわち、これにより散髪と脱刀が許可されたのです。すなわち、ちょんまげを切っても良いという男性を意識した太政官令なのですが、これを受けて断髪をする女性が続出したのです。

 そのため、「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」とする禁止令が発布されました。

 このような歴史的な経緯を踏まえ、1872(明治5)年4月6日に、当時の東京府が「女子の断髪禁止令」を出しました。
 

■ その他

◇ 岐阜祭

(ドアノブ)

 

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