興津宿にある興津坐漁荘
明治の元老 西園寺公望の別邸
庭の横にグランドがありますが、そこはもともと海であった、この別荘からすぐ海
であったということです。
管理人のおじさんとしばし話をしていました。
西園寺公望公と立命館
自分の母校の創始者の中川小十郎は西園寺公望公の懐刀の秘書でした。
また自分の先祖が中川小十郎の奥さんの家と婚姻関係の結びつきがある家
という話も、おどろかれてました・・・
話はもりあがり小一時間話をしていました。
偶然にも東海道歩きで
ふらっと立ち寄ったところが遠き先祖を想うことになりました・・・・
先祖に恥じない生き方をしなくてはと少し心がひきしまりました。
偶然にも立ち寄ったのは先祖の力なのか。そんな風にも思えました。
中川小十郎、どことなく田中角栄にも似てるような感じがします。
先祖は人をけおとしてまでも生きていくことはない
毎日無事にすごせばいいといってる声が聞こえてくるようでした
仲間といってもほとんど面式はないですが自ら命をたちました。
20代半ばにて死を選択してしまったのです・・・
やり直すことはできたのにと思うと、まだまだ人生長いと思うと
なんともいえません。
詳細はいえないのですが
辛かっただろうな・・・と思うといたたまれません。