神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

下荻窪村分水4

2017-03-29 07:27:05 | 善福寺川2

 下荻窪村分水を追っての四回目です。白山神社前で環八通りを越えて右折、その西側を並行して北に向かいます。目指す青梅街道との四面道交差点まで、直線で300mほどです。ただ、区画整理時幅員9mで開通した通りは、昭和40~50年代に現況の25mに拡幅され、水路の部分もその中に含まれてしまったため、この部分の痕跡はありません。なお、今回の水路の先端は環八通りを西に離れ、青梅街道の南側を100mほど並行していますが、その区画が本来の下荻窪村分水の流路だったかどうかは不明です。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 上荻二丁目陸橋手前です。右写真は左手からのショットで、環八通りが浅い谷筋にあるのが分ります。

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    2. 四面道交差点の100mほど手前です。右手の直進車線は、トンネルで青梅街道下をくぐります。

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    3. 四面道交差点直前で左に折れ、上荻本町通りを横切って西に向かいます。

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    4. 区画整理後の路線図を見ると、水路の先端はこのあたりですが、この間の水路跡は失われています。

 <四面道南口>  下荻窪村分水の本来の分水口ですが、「星野家文書」中の明治初年の文書は、「字四面道南口」としています。天沼村の字四面道は今日の四面道交差点とはズレ、→ 「明治42年測図」にもあるように、青梅街道と現日大二高通りに挟まれた三角形の部分でした。ここでの千川上水七ヶ村(六ヶ村)分水は青梅街道の北側を並行しており、日大二高通りを越えて字四面道に入ったどこかに分水口があり、そこから青梅街道を越えて下荻窪村に流れ込んでいたと考えられます。なお、「杉並近世絵図」(平成5年 杉並区教育委員会)に収録された文化3年作成の「天沼村絵図」を見ると、下井草村境(現日大二高通り)を越えた直後の青梅街道に石橋が描かれており、あるいは分岐直後の下荻窪村分水に架かるものではないかと推測しています。