神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

松庵

2017-03-23 06:11:56 | 善福寺川2

 大宮前下水をさかのぼって西荻駅前まできました。ここから先は確定的な水路跡は不明なので、谷筋に沿って北西に向かいます。駅南口に通じる西荻南中央通りを越え、その一つ西側の通りに面した路地が、谷筋の底に当たっています。なおこの一つ西側の通りというのが、西荻南(2丁目)と松庵(3丁目)の境になっていますが、これは江戸時代の大宮前新田と中高井戸村、松庵村との境を引き継いだものです。

 

Shoan1

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

1231b1231a

    1. 元の村境の通りに面した水路跡らしい路地です。右写真は左手からのショットで、奥が西荻駅前です。

1231d1231c

    2. 右折、左折のクランクで右手にシフトします。

1231e

    3. クランクを抜け、直線で北西に向かいます。

1231g1231f

    4. 路地は道路に突き当たって終了です。右写真は西荻窪駅側からで、谷筋は明らかです。

 <中高井戸村、松庵村>  西荻窪駅南口に通じる西荻南中央通りの一つ西側の通りが、大宮前新田の西の境を画していました。その先は中高井戸村、さらに数ブロックで松庵村ですが、現在は合わせて松庵(1~3丁目)で杉並区の西端に位置しています。どちらも大宮前新田と同様、江戸初期に開拓された村で、うち承応年間(1652~55年)の玉川上水の開削に伴い、その水路に当たった高井戸村の住民が移住してきたのが中高井戸村、松庵村については「新編武蔵風土記稿」が、「開発の年代は伝へざれど万治年中のことなるにや、松菴と云医師新に開きしにより、村の名とせり」としています。