神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

そよ風通り

2017-03-18 07:45:13 | 善福寺川2

 神明通りを離れた後、右折して車止めの路地に入りましたが、その続きです。すぐに左折、右折で幅広な歩道を持つ通りを西に向います。そよ風通りと通称されていますが、そう命名したのは沿道にある高井戸第四小学校の生徒達です。昭和46年(1971年)、同校前の大宮前下水の暗渠工事が完成し、同51年には今日のような植込みが設けられました。大雨のたびに溢れていたのが解消し、安心して登下校できることを祝っての命名です。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 前回の車止め付きの路地の続きです。ワンブロックで左折すると、通りの左手が水路跡です。

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    2. そよ風通りに突き当たって右折します。すぐに通りの右手にあった水路跡は左手にシフトします。

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    3. ほぼ直線で西に向います。歴史的な経緯を知らなければ、単なる幅広な歩道のように見えますが。

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    4. ただ、横切る通りごとに立てられた車止めが、水路跡を物語っています。

 <「わたしたちの高四小」>  以下は高井戸四小の創立40周年記念誌「わたしたちの高四小」(昭和54年 1979年)の引用です。「学校の前のドブ川は、六十年ぐらい前は”悪水堀”とよばれていました。はじめは畑の間のくぼ地で、ただの溝でした。両側には、クワの木が並木のように植えられていました。そこに雨が降ると、両側からどろ水が流れこんで急に出水し、東の方へ川になって流れたものです。」「学校が建てられたころは、幅二メートルぐらいのドブ川でした。ふだんは水がすんでいて、ドジョウやオタマジャクシ、ザリガニなどが泳いでいました。・・・・ところが、強い雨が二時間もふると、泥水があふれて、ひざがかくれるくらいの水が出ました。」 前者は大正中頃にまだ自然のハケ水路だった当時の様子、後者は改修され大宮前下水となったものの様子です。