神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

松庵2

2017-03-24 06:24:14 | 善福寺川2

 大宮前下水の谷頭付近の流路に関しては、詳細する地図、文献の類は皆無に近く、わずかに、「杉並郷土史会史報」(平成6年 第127号)中の「觀音川と松庵川」が、「西荻窪駅の西南(松庵三丁目四〇番)付近からはじまり」とし、同第131号(平成7年)の「仮称松庵川について」が、「はけ水路で、武蔵野市吉祥寺東町四丁目より流れ出て、区境で中央線の下を土管で流れ線路沿いに走り、曲折して流れ下りました。現在武蔵野市に於いては吉祥寺東町4-18-9にポンプ場を設けて処理しています」としているくらいです。なお、武蔵野市の排水に関しては、昭和31年(1956年)からポンプで神田川に圧送していましたが、その後女子大通りの下水道幹線の完成に伴い、自然流下で善福寺川に送られるようになりました。

 

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    ・ 西荻窪駅前  西方向の谷筋を見通しています。前回最後の→ 写真は同じところから南方向なので、谷筋がどちらに向っているかが分かります。 

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    ・ 杉並区、武蔵野市境  上掲写真の通りの先はT字になっていて、その横棒に当たる道が杉並区と武蔵野市(旧吉祥寺村)の境界となっています。「区境で中央線の下を土管で流れ」とは、この右手のガード下付近のことと思われます。 

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    ・ 本多東公園  ポンプ場の跡地を地下は大雨の際の貯溜施設、地上は公園として整備しました。上掲写真とはJR中央線を挟んで向かい合い、手前の道路を隔てて武蔵野市に属しています。

 <松庵窪>  → 「段彩陰影図」で西荻窪駅の西側に見られる谷頭は、井の頭池や善福寺池周辺と同様、50m等高線の前後に位置していて、かっては湧水池があり自然河川が流れ出していたのでは、との想像も可能な地形ではあります。ただ、今回の大宮前下水が直接関係しているのは、こうした自然の谷頭ではなく、人為的に出来た窪地でした。明治22年(1889年)に中央線の前身である甲武鉄道が開通した際、その用土を採取したため大きな窪地が出来、以来、昭和の初めころまで松庵窪と通称されました。それが、大正12年(1923年)の西荻窪駅開設に伴い、駅周辺の宅地造成が図られる過程で、埋立てられ、大宮前下水も整備されましたが、それでも昭和2、30年代ころまでは、大雨が降るとボートが浮くほどの水が出るところもあったとか。