神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

大宮前下水

2017-03-06 06:26:24 | 善福寺川2

 下荻窪村と田端村の境を北上、松見橋下流で合流する水路があります。西荻窪駅南西にある通称松庵窪(男窪)から発し、総延長4kmを越える善福寺川最大の支流で、しかも、先端部分や途中の二、三ヶ所を除き、コンクリート蓋や車止めが連続、とはいえ、遊歩道として整備されているわけでもなく、廃河川ウォッチャーにとっては、絶好のフィールドワークの材料を提供しています。なお、この水路の名称ですが、松庵川といった仮称も散見されますが、ここでは大宮前下水としました。昭和の初めから戦後にかけて地元や杉並区が使用していたもので、後述する今回の水路が果した機能からすると、自然河川を思わせる〇〇川よりも、〇〇下水のほうが適当かと思われます。

 

Omiya1

    ・ 「段彩陰影図 / 大宮前下水」(1/18000)  書き込んだのは昭和11年発行の「最新杉並区明細地図(1/14000)」などを参考にした流路です。(先端部分を描いた地図は未確認なので、残念ながら書き込めませんでした。) 

 「段彩陰影図」を見る限り、浅いとはいえ谷筋に沿った流路となっていて、歴史上のある時期自然河川だった可能性は捨てきれません。ただ、少なくとも江戸時代から明治にかけては、水田開発が可能な水量は失われており、畑地ないし水はけの悪い荒地だったのでしょう。それが、大正11年(1922年)の西荻窪駅の開設を契機に、周囲の宅地化に見合ったインフラ整備が必要となり、雨水の自然流下によって形成されたハケ水路をベースに、今日見られるような水路が出来上がりました。「大正十二年、西荻窪駅の開設を希望した旧高井戸村大宮前の住民達が、・・・・幅員三尺(両側の土揚げ地を入れて約六尺)深さ約三尺の水路を完成しました。」(「杉並郷土史会史報」平成7年 第131号)

 

0802a

    ・ 合流地点  複数個所設けられたうち松見橋下流にあるもので、前々回は右岸流の合流地点の一つとして扱いました。日本地形社の「昭和11年測図同22年修正(1/3000)」は、ここでの合流を本線として描いています。 

 ただ、大規模な区画整理を行った井荻村(のち井荻町)ではなく、高井戸村(江戸時代は上流から松庵、中高井戸、大宮前新田の各村)にあったため、地域住民による私的な事業として行われ、用地もほとんどが私有地のまま登記されたといいます。昭和に入ると、流域の一層の宅地化に伴いドブ川となり、大雨のたびに水があふれます。そのため、昭和7年(1932年)に成立した杉並区の手で側壁を整備、一部流路の付替えやバイパスの開設も行われました。その後の大宮前幹線など下水道網の整備に伴い、不要な部分は宅地や公道の一部となり、あるいはコンクリート蓋の路地となって現在に至っています。