神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

江古田の森公園

2016-05-31 06:18:13 | 妙正寺川4

 江古田の森公園に上るところに架かるのが江古田憩い橋です。そこから舌状台地の先端に架かる北江古田橋まで、台地と江古田川に挟まれた三日月状の低湿地が広がり、かっては寺山下と呼ばれる水田地帯でした。そこを台地先端の洲崎堰で分岐し、寺山沿いを南下する田用水が灌漑していましたが、昭和46年(1971年)に北江古田公園として開園しました。平成19年に台上まで含めた江古田の森公園が完成して以降は、北江古田公園の名称はなくなり、江古田の森公園内の多目的広場兼調節池という扱いです。

 

0107a

    ・ 江古田憩い橋  台上の江古田の森公園を見通しています。なお、→ 「江古田村絵図」にも、同じようなところに橋が描かれていますが、昭和10年代の川の改修によって廃止されたため、現在の橋とはつながりません。

0107b

    ・ 江古田川  江古田憩い橋から上流方向です。ここから先、右岸段丘は後退し江古田川との間に三日月状の低地が広がり、縄文時代の低湿地遺跡(北江古田遺跡)も発掘されています。
 <東京市療養所>  大正9年(1920年)、江古田川をUターンさせる舌状台地上に、東京市療養所が創設され、昭和22年(1947年)に厚生省に移管され国立中野療養所となります。同42年の改築に伴い国立療養所中野病院と改称されますが、江古田憩い橋(当時は国立療養所橋)の架かる道路が開設されたのはこの時です。平成5年、国立国際医療センターへの統合により、跡地は中野区が取得、同19年に総面積6万平方メートルに及ぶ区立公園となりました。

 

0107c

    ・ 江古田の森公園  江古田憩い橋から百数十メートルの台上です。東京市療養所(のち国立療養所)のあった名残で、公園と医療、福祉関係機関が併存しています。