神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

大橋

2016-05-23 06:39:16 | 妙正寺川4

 江古田大橋から江古田川をさかのぼります。ほぼ直線で北上し100mほどで不動橋、さらに50mほどで大橋です。不動橋は区画整理時の架橋ですが、大橋は新青梅街道の原型となった古道に架かる橋で、江戸時代の村絵図にも描かれた江古田村の本来の大橋でした。「昔この橋は土台が石積みの橋でした。ここを通る道は幅4mほどの江戸道又は石神井街道と呼ばれ、石神井、鷺宮方面から葛ヶ谷村、雑司ヶ谷を通り江戸に向かっていました」と、大橋の欄干にはめ込まれた中野区の解説プレートは書いています。

 

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    ・ 不動橋  左岸に垢離取(こりとり)不動尊が祀られています。かっては大橋付近にあったものが区画整理、戦争の混乱を経て失われ、昭和34年(1959年)に再建されました。

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    ・ 江古田川  不動橋から上流方向で、奥に見えるのが大橋です。現在の不動橋、大橋とも昭和30年代後半の架橋、規模、見かけもほとんど同じで、「大橋」といわれてもピンときません。

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    ・ 大橋  右岸方向のショットです。新青梅街道の元となった古道はこの先で二手に分かれ、北側のものは江古田の森公園のある舌状台地の根元を横断、東福寺や氷川神社の前に出ます。 

 <万垢離>  不動尊前では富士、大山参りの際、川に入って身を清め、また毎年田植えも終わった旧暦5月下旬、万垢離(まんごり)と呼ばれる行事が行われました。村内各組の代表が氷川神社から二間余り(≒4m)の木太刀を運び、水ごりをして身を清め、五穀豊穣、家内安全を祈願するもので、不動尊前には五色の幣束を飾り付けた梵天が立ち、行事の後幣束は各家の門口に飾って魔除けとしました。万垢離はいつしか行われなくなりましたが、その時期に関しては明治末から昭和初めまで、文献によってまちまちで、不動橋の欄干にはめ込まれた解説では、「大正時代の初期ごろまで」としています。同じ欄干に描かれた万垢離の絵(部分)は→ こちらです。