柏堰や車堰で分流し片山村の田用水となっていた右岸流は、下掲「大正10年第二回修正」では(元の)下田橋で本流に戻っていますが、さらに下流に向かい哲学堂の対岸の田圃を灌漑する一流もありました。それが次の「昭和4年第三回修正」では、哲学堂の対岸は「遊楽園」となっていて、プールや池のようなものも描かれています。大正12年(1923年)に開園、50mプールなどプール三面を有し、舟遊びや釣りもできる施設でした。オリンピック選手も練習したようですが、ただ、泳げば底の土が舞い、時々休憩が必要だったといいます。水の汚染に伴い昭和4年(1929年)に閉鎖、跡地は永く写真関係の工業用地となっていましたが、平成に入り調節池を兼ねた妙正寺川公園に変貌しました。
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(大正10年第二回修正) / 新井」 現行の流路をブルーで、中野通りをグレーで重ねています。同一場所、同一縮尺の「昭和4年第三回修正」は、 → こちらでどうぞ。
- ・ 妙正寺川 下田橋から下流方向です。哲学堂公園は主に左手の段丘斜面を利用していますが、このあたりは右岸も公園の一部になっていて、哲学の庭と名付けられたコーナーです。
- ・ 妙正寺川公園 かっての田圃の中心です。現在は調節池を兼ねていて、その規模は掘り下げ方式の第一調節池が3万立方メートル、地下方式の第二調節池が10万立方メートルです。
- ・ 四村橋 田圃の南縁に沿った右岸流はここで妙正寺川に戻っていました。四村(しむら)の名は地図中破線で描かれた片山、江古田、葛ヶ谷、上高田四村の境とかかわります。