新井村を灌漑した右岸流の流末の在り様は、各時代の絵図、地図によって微妙に異なり、江戸時代の→ 「新井村絵図」では隣村(片山村)へと流れ、「新編武蔵風土記稿」も「村内をふること五町余にして、是も片山村にいたる」と書いています。これに対し→ 「東京近傍図」では、現西武新宿線とクロスする前後で本流に戻り、大下橋付近にあった片山村との境を越えていません。さらに、区画整理前の地図類では、拡張以前の中野通りの西側を並行したあと、大下橋付近で本流に戻る様子を描いています。
- ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」 現在の妙正寺川の流路をブルーで、中野通りを白で重ねています。
- ・ 妙正寺川 西武新宿線を越えます。橋は三重に架かっていて、手前から新沼(しんしょう)橋、第四妙正寺川橋梁、第15号橋です。井草川に架かる→ 第五橋梁は数か月前に扱いました。
- ・ 西武新宿線手前 新沼橋から右岸方向で、西武線と新井小学校の間を見通していて、奥が中野通りです。「空中写真」を見ると、中ほどの低いところと中野通り沿いに二本の水路がありました。
- ・ 中野通り 西武線の踏切を越えた先です。上記二本の水路が合流し、100mほど通り沿いに北上したあと、左手に離れて本流に戻っていました。