神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

西原橋

2016-05-30 06:42:02 | 妙正寺川4

 本多橋の次に架かるのが西原橋です。昭和13年(1938年)創架の橋ですが、→ 「昭和4年第三回修正」にも、本多橋の上流に橋が描かれています。あるいは、「江古田のつれづれ」(昭和48年 堀野良之助)のいう、「(本多橋の)上流に当る小字西原に懸けてあった土橋」かもしれません。ただ、西原から片山に上る橋はもう一本、現江古田憩い橋付近にもあったため、どちらを指すのかは不明です。いずれにしても、江古田川の改修に伴い、本流の位置が大幅に変わったため廃止され、新しく西原橋が架けられました。

 

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    ・ 江古田川  本多橋から上流方向です。左手が→ 本多山公園のある本多山、正面奥に西原橋、その奥が江古田の森公園のある寺山です。

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    ・ 西原橋  西原(西の原)は下の原や上の原、北原と並ぶ左岸の字で、かってはひとくくりに(江古田)原と称され、現在の江原町の元となった地名です。

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    ・ 江古田川  西原橋の先で右カーブ、北上するところで、右岸から迫ってくるのが寺山、現在は江古田の森公園内の保存樹林です。次の江古田憩い橋はチラッと見えるかどうかです。

 <寺斎橋>  西原橋から先、江古田川はほぼ90度右カーブ、寺山のある右岸段丘沿いに北上します。このコース取りは本来、寺山下を灌漑していた田用水の流路でしたが、昭和10年代初めの土地区画整理事業により、現行のようになりました。「江古田のつれづれ」によると、改修以前に段丘際を流れていた田用水には、寺斎(じさい)橋と呼ばれる小橋が架かっていました。「東福寺の北裏、八百堰に沿う台地の端のあげ堀の小川に小さな橋が懸けてあった。」 東福寺に米麦(斎米 ときまい)を納める際渡った橋の意で、区画整理で江古田川の本流が流れることになり廃止されますが、その石材には元禄16年(1703年)の日付が刻まれていた旨続きます。