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北野神社、新井薬師

2016-05-07 06:57:58 | 妙正寺川4

 北野神社と新井薬師は、中野通りと新井薬師公園を挟ん隣り合っています。「天満宮 除地、二段二畝十六歩、村の中ほどにあり、本社は一間四方、拝殿二間に三間南に向ふ、前に木の鳥居をたつ、松の並木ありて物ふりたる社地なり」(「新編武蔵風土記稿」) 「梅照院 除地、九畝六歩、外に二段五畝、当村と上高田村との接地にあり、松高山と号す、・・・・今は新井の薬師とて其名隠れなきことにぞなりける」(同)

 

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    ・ 北野神社  中野通りに面した鳥居で、酉の市の飾りつけがされています。北野神社は新井天神とも呼ばれ、新井村の鎮守でした。

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    ・ 新井薬師公園  中野通りを挟む1haほどの公園です。写真はメインの新井薬師側から、中野通り越しにひょうたん池を見下ろしています。

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    ・ 新井薬師  創建は天正14年(1584年)と伝えられ、二代将軍の娘の眼病治癒により、目の薬師、子育て薬師として信仰されるようになりました。

 <新井村>  「なかのの地名とその伝承」(昭和56年 中野区教育委員会)によると、新井村の草創は応永年間(1394~1427年)、新田開発に伴い新たな共同井戸を掘り、新井村の起こりとなったと、「武州多摩郡新井埜草別調」には記され、一方、元亀元年(1570年)と書かれた文献(「草分年代略記」)もあるようです。新井薬師開山は「遊歴雑記」などに天正14年(1586年)とあり、この寺院の新井村との密接なかかわりを考えると、時期の隣接する元亀元年説が有力かとも思えますが、決め手となるものではありません。
 地名由来は新しい井戸説が一般ですが、中新井村や長崎村字荒井など、近隣にも新井(荒井)という地名は多く、新しく開拓され人が住みついた(新居)という意味の普通名詞が元との考えもあります。それはともかく、新井村が湧水豊富な土地柄だったのは間違いなく、特に昨日UPの→ 「大正10年第二回修正」に見られる、等高線が台地に食い込んでいるところなどはそうで、その一帯が最初に開拓され村の中心となったことは、北野神社や新井薬師の場所から見ても容易に想像できるところです。