山王神社(現日枝神社)は文明10年(1478年)、太田道灌が川越山王社を江戸城内に勧請して創建しました。天正18年(1590年)、家康の入国に際して、江戸城の鎮守、徳川家の産神となりました。その後、江戸城拡張に伴い、城内紅葉山から城西の貝塚(元山王)に遷り、さらに明暦3年(1657年)の大火で社殿が焼失したのち、溜池を望む景勝の当地に移転、再建されました。この間の事情は一度引用した「落穂集追加」の「西御丸之事」に書かれています。「半蔵御門外御堀端に山王権現の社新に御建立・・・・殊の外繁昌仕候所、酉の年大火(明暦の大火)の節類焼いたし候以後、只今の山王の宮地へ御引移被遊候と也」 なお、日枝神社と改称したのは明治の神仏分離によってです。
- ・ 「江戸名所図会 / 日吉山王神社」 社殿は永田町方面に面しているので、溜池は画面の裏から左手にかけてということになります。
- ・ 山王坂 永田町方面からの表参道に当たります。坂下が「図会」の中央下端に描かれており、正面突き当たったところで左折すると、男坂、女坂下に出ます。
- ・ 男坂、女坂 急階段は男坂、奥の緩やかな方が女坂です。男坂の石段について、「江戸砂子」には53段とあります。
- ・ 社殿 「図会」に描かれている社殿は昭和20年(1945年)焼失、現在のものは同33年再建されました。左手奥には対岸にあるTBSのビッグハットも見えています。