日宗寺のある谷頭を右岸から望むのが、江戸時代は四谷天王社、牛頭天王社と呼ばれた須賀神社です。「牛頭天王社 同所伝馬町一丁目、二丁目の間の左側の横小路を入て、二丁許り西にあり。故に俗字名(あざな)して此小路を天王横町といふ。祭神素戔嗚尊。」(「江戸名所図会」) 天王横町から東福院坂、別名天王坂を下り、その先が須賀神社です。なお、社伝によると、元々は清水谷にあった一ッ木村の鎮守の稲荷社で、寛永11年(1634年)、江戸城外郭拡張のため当地に遷りました。それから数年後、島原の乱の当時、輸送に従事し功のあった日本橋大伝馬町の人々が、甲州街道沿いを拝領して四谷伝馬町を起立ますが、その際、旧地の守護神である素戔嗚尊をこの稲荷社に合祀します。以来四谷地域の総鎮守、四谷天王社として信仰されてきましたが、例によって明治の神仏分離令によって、須賀神社と改称され今日に至っています。
- ・ 「江戸名所図会 / 四谷牛頭天王社」 源氏雲に覆われた右下のくぼ地が今回の谷頭一帯で、右下隅の妙行寺は日宗寺の南隣の寺院です。
- ・ 須賀神社 参道を上って右手の鳥居、奥の社殿と位置関係は今も変わりません。ただ、「図会」に描かれた文政11年(1821年)竣功の社殿は、先の大戦で失われました。
- ・ 須賀神社 その参道の中腹から谷頭を見下ろしています。正面が「図会」にもある妙行寺で、その奥が日宗寺です。前回の水路は両寺院の間に位置しています。
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