神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

千日谷

2014-09-06 18:08:00 | 城西の堀川2

 元鮫河橋南町の旧名は千日谷町、元鮫河橋千日町ですが、これは当地が千日谷と呼ばれていいたためで、その由来となった一行院は現存しています。「永固山一行院 鮫河橋の西の方、千日谷に在り。浄土宗にして、開山は源蓮社本誉利覚和尚といふ。慶長年間草創す。昔は僅(わずか)の草庵なりしを、永井家開基して一宇の浄刹とす。開山利覚和尚は則(すなわち)永井信濃守尚政に仕へけるが、剃染して此地に庵をむすび、千日の間常行念仏をす。結願の時、千日不退転の回向を勤む。依て道俗群衆せしより、千日寺と唱へ、又此所を千日谷と呼ぶとなり。」(「江戸名所図会」) なお、元鮫河橋南町の書上では、庵をむすんだのは利覚和尚ではなく、「(尚政の先代の)永井直勝様御仲間」となるなど、事実関係に異同が見られます。

 

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    ・ 元鮫河橋南町通り  昨日UPの通りの西端です。正面台上は外苑東通りですが、昨日UPの→ 「実測図」を見ると、谷頭を築堤で分断しているのが分かります。

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    ・ 千日谷  上掲写真の左手の坂からのショットです。元鮫河橋南町の書上に「水源者西之方久野伊織様御屋舗」とあった、紀州家家老久野氏の屋敷はこのあたりを占めていました。

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    ・ 千日坂  信濃町駅に上る坂ですが、解説標識には、「かつての千日坂は明治39年(1906年)の新道造成のため消滅し、現在の千日坂はそれと前後して造られた、いわば新千日坂である」とあります。

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    ・ 一行院千日谷会堂  千日坂の中腹からのショットで、高架は首都高新宿線のものです。首都高工事によって境内は縮小されましたが、その際の出土品は区の有形文化財に指定され、保存されています。