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「秋の日本画展」に行く

2021-10-19 | お出かけ

本日は、広島信用金庫八丁堀支店で開催中の「秋の日本画展」に行きました。

小品ながら、文化勲章受章者の作品も含めて見応えがありました。

2020秋の日本画展_

交通の便がいい街中、しかも無料なので、もう一回くらい行くかもしれません。

絵葉書は杉山寧の鯉、白い鯉が幻想的。いろいろな秋の風景画もよかった。


あとは染色関係の本や材料を見て回る。本日は下見、いずれ始めるつもり。

教室や公民館、いろいろ探したけど、コロナで断られたり、もう解散する予定と言われたり、今から参加できるところが近くにない。

教室は東広島と呉に。遠すぎる。市内だと紅型を教えるところがあるだけ。

とりあえずは機織りの糸を自分で草木染する。できれば友禅も習いたいけど、どうするかなあ。困った時のYouTube、友達はそれでプロ顔負けのパン作っているのでやる気さえあれば何とかなるかもしれない。

動けなくなるまでにやりたいこと全部したい。やや焦る私。

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やれやれ、終わった

2021-10-18 | 日記

2014年10月 香川県三豊市粟島


本日午前中は、昨日の片づけや家事いろいろしてすぐに昼がきた。

午後から出かけるつもりだったけど、二階の元三男の部屋、片付けてない客布団にくるまって本を読むうち眠ってしまった。

昨日は姑様の家と我が家との往復を何度もして、あれこれ気を配って疲れてしまったらしい。

とは言え、もう我が家の法事なので息子と嫁ちゃんたちに役割を振り分け、私は全部動かないようにした。もうこの歳なので、それも許してもらおう。

あとで二時間くらい、我が家でお茶会したのが久しぶりでなかなか良かった。

とは言え、義弟妹は来ず、夫も途中参加。どこかで何かを話していたらしい。せっかく顔を合わす機会なので込み入った話もした模様。

食事の後、嫁ちゃんがお茶の追加を持って行ったら、何か真剣に話していたのですぐ席を外したと言っていた。賢明です。


前日から来ていた義妹が我が家での夕食の後、

「うちの主人は親の面倒見ているので、財産は全部もらうと(義)妹に言ってある。(私の)お母さんの財産はどうなってる?」と聞いてきた。

「ああそれは・・・」と言いながら二人で隣の部屋に行くので私はそのまま台所に残り後片付け。

手元の水音の合間に、切れ切れに話が聞こえる。

・・・いずれ壊すけど、ビルを壊すのはお金がかかるので・・・

どういう話になったかは知らないけど、義妹はすっきりした顔をしていたので話の内容に納得したらしい。

夫が、親の面倒見たので全部もらうと言わないかと、義妹は心配していたようですが、我が夫は長男風吹かせるような人間ではありません。

私は私で、実家大好きの義妹が、たまには来てくつろぎたいので家をもらいたいと言わないかと心配していましたが、それはないようです。私には関係ないのに、遠くの持ち主に替って、結局は私が掃除する羽目になるのを恐れていました。

自分が使わない不動産、それと同額のお金なら、壊す費用、換金して譲渡所得税分の目減りなど考えると、どちらがいいかはおのずと明らか。この後もすんなり話が進むことを陰ながら願っています。

しかしまあ、自分が関係しない遺産相続は大変気が楽。夫婦で一切そのことも話題にしないし。

一度だけ、相続税はかからないはずというので、それはないと思うとだけ言いましたが、どちらでも。三年くらい前でしたか、相続税は基礎控除が大幅に少なくなり、(約4割減)、結果、増税になりました。世の中に死なない人は一人もいない。死んだのは必ず把握されます。そこが税金を取るチャンス。見逃してくれるほど国は甘くない。

納期まで10か月、来年の7月初めですね。長いようでもあっと言う間です。無事着地して、人間関係も壊れず、法事には引き続き顔を合わせることもできるように願っています。

同じく粟島。


きょうからコメント復活しました。とは言え認証制です。閉じてる間、天皇制についてあれこれ書いたので、アクセス数は増えたのですが、リアクション数は減りました。

お考えの違う方はコメントくださっても反映しないこともあります。悪く思わないでください。

同じお考えの人と話し合い、そちらで盛り上がってください。あなたのコメントで私の考えは変わらず、私もあなたの考えを変えようと大それたことは考えていません。

ここは人と会っておしゃべりする代わり。お互い、深刻にならずに参りましょう。考えが合わないと思えばお互いに離れていく。それでいいのではないでしょうか。

それでも一時楽しくお付き合いしたことは忘れません。去って行った方たち、ありがとうございました。

と言うことで、これからもどうぞよろしく。

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四十九日は秋晴れ

2021-10-17 | 日記

午前10時から近所のお寺の本堂で。

26年ぶりの本堂。前は舅様の葬儀。

きょうは風が強く、木枠の本堂のガラス戸が小刻みに揺れて音を立てる。

おおー懐かしき冬の音。冬の夜の音。

本日の参列者。義弟義妹のほかはわが息子たちとその係累。

昨夜、愛知県から到着したのは車で6時間かけてきた三男夫婦。揃ってくるのは二年ぶりくらい。深夜過ぎまで4人で話をして、その後就寝。

お寺の仏事は1時間くらいで終わり、法事用のお弁当を取って姑様の家の座敷で会食。

店のサイトより拝借

大人用。3日前まで緊急事態宣言発令中。お弁当にしました。

こちら子供用。釜めしで有名なお店、配達してくれました。

久しぶりに会食して、夫は義弟妹と込み入った話もした模様。我関知せず。

義弟に姑様の藍染を見てもらい、一枚だけ持って帰る。

義弟妹が帰ったあと、我が家で延々と話をする。

こうして集まるのは本当に久しぶり。前は当たり前だったことが、しみじみと嬉しい。


さて、楽しかった時もあっという間に終わり、それぞれの家へと帰る。

寂しいなあ、人が一人ずつ帰っていく法事の後がいばん嫌。

また明日からそれぞれの持ち場で頑張ってください。

お正月には来るのかなあ・・・

コロナ次第とのこと。とりあえずは気を付けて帰ってください。


やれやれ終わりました。

雨の予報が外れ、秋風の立ち始めたいいお天気の日でした。

私の祖父が、「親の法事は孫子の正月」とよく言っていました。その言葉を初めて実感する日でした。

特に三男たちと、私たち夫婦ははしばらくゆっくり話すこともなかったので、昨夜は今までの楽しかったこと、子供時代のエピソードなど話して寝たのは25時半頃でした。

次は一周忌、それまで元気にいたいものです。

 

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「冬物語」 南木佳士

2021-10-16 | 読書

1995年から96年にかけて文芸誌に発表された短編をまとめたもの。

主人公は長野県佐久市の病院に勤める呼吸器系の内科医。これは実際の作者を投影したものと思う。

どの作品も、自分が触れることになったさまざまな死について、寄り添い、死に行くとその周りの人に心を通わせる話。

作者は何かのエッセイで書いていたと思うけれど、治りにくい肺がんの患者さんを見送り続けるうち、心身が不調になり、療養していたこともあるとか。

医者は死に対して動揺せずに治療に全力を尽くすのが理想だけど、医者とても人間。様々な人間がいるように医療従事者も様々。

こうして寄り添ってくれる医師の理想が、「木肌に触れて」の老医師。山奥の木立に囲まれた温泉に併設された診療所で、あまり長くない患者を引き取り、積極治療をせずに最後までみとる。その人を訪ねて行った「私」は自分が手放した末期がんの患者さんが安らかに過ごしていることを知り、医療を超えた癒しの世界を垣間見る。

どの作品も上品で清潔で、死は自然現象の一つ。どのように死ぬかはどのように生きるかを選ぶことでもある。限りあるそれぞれの命の中で、人の縁を大切にし、周りの人と助け合って生きていく。そう言う静かな決意の感じられる、作品群でもあった。

信州の秋や冬の描写も秀逸。この抒情がこの作者の真骨頂。あーあ、秋の信州、行きたいなあ・・・

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セイタカアワダチソウで草木染め

2021-10-15 | 染色

秋になりました。どこの空き地にも元気よく繁茂するセイタカアワダチソウで草木染をします。

セイタカアワダチソウ150g

みょうばん大匙1杯半

染めるもの。今回は白い帯揚げ45g。

帯揚げはミョウバンを入れて中火で10分→冷ます

セイタカアワダチソウは短く切って中火で20分煮出す。

ザルで濾して染液を作る。

帯揚げが冷めてから、染液に浸ける。すぐに黄色に。

中火20分。途中でゆらゆら混ぜる。

染め上がったら水洗いして陰干し。

残りの液で台拭きを染めます。

色が頼りないので、セイタカアワダチソウをそのまま入れて煮出しながら染めます。

こちらもきれいに染まりました。

乾いて出来上がり。帯揚げではなくて、スカーフとして使う予定。

絞りが絡み合っていい感じになりました。

今、黄色の花があちこちに咲いています。皆様もよかったら是非お試しください。

ミョウバンはスーパーで、ナスの漬物の色止めに焼ミョウバンで代用できるようです。

とっても簡単にきれいな色に染まりました。

姑様の残したミョウバンを使って、材料費は無料。台所で鍋を使って手軽にできました。

今度はまた別なもので染めてみたいと思います。

 

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眞子さま、小室さん、おめでとうございます

2021-10-15 | 日記

来週、ご両親に会って挨拶の運びになったとか。とてもよかったと思います。

最後にはとうとう認めてもらえたんですね。

親はとかく、気に入らない相手だと「勘当」と言いがちですが、自分の方から門戸を閉ざしてはいけない。すぐに気になり始め、会いたくなるのが親ではないでしょうか。孫でも生まれたらなおさら。

帰って来れる入口を少し開けておく。そこから帰って来るのではないでしょうか。

娘を託す男性に、最後によろしくとあいさつができてよかったなあと思いました。


お金貸したという男性かどんな人か知りませんが、借金と認定するのは法的にはいろいろ条件があるはず。それを確かめもせずにマスコミが飛びつき、検証もせずに報道したのではないでしょうか。

また代理人が弁護士ではなくてマスコミの人だとか。もう弁護士に替ったのかな。素人にはこういう交渉事は無理ではないでしょうか。それに守秘義務もない。危なくて会えませんね。私なら、相手が弁護士を立てるのを待ちます。弁護士同士で交渉。そして決して直接は会わない。息子にも会わせない。

私なら、マスコミは一切無視。国民の声も一切無視。何の結果責任も取らない声を聞いて、自分の行動を変える必要もないと思います。


ここしばらく、皇室の結婚についてあれこれ書いて、ブログによく訪ねてくれる方がぷっつりと来なくなったりといろいろありました。

コメントも閉じているので反対意見もいろいろありそうですが、たぶん折り合えないと思うので去っていく方はそれだけの御縁だったと思うことにします。

私の父方の叔父は21歳でニューギニアの戦地で戦病死(餓死)しました。とても悲惨な戦場だったそうです。私の子供のころは、何かにつけてその話が出て、祖母が嘆くのを聞いて育ちました。

軍国教育以外の教育を知らず、喜び勇んで出征した20歳の叔父を思うと、何かの権威の前で物が言えなくなる時代には決して戻してはいけないと強く思います。

同世代でも、ブログ拝見してると「神様」だと思い、今回の結婚は「国体の危機」と言う人がいました。全く折り合えませんね。

天皇中心の国体を守れっていつの話ですか?

神様と思われている当のご本人は、きっと自分のこと神様と思ってない筈。私は制度には何の幻想も持っていないつもりですが、ご本人は中国や朝鮮半島の人々を見下したりもしていないと思う。そんな狭い心では周りの国と仲良くやって行けません。

いやいや、これは私の思いを投影しているだけで、そのようにニュートラルなところがこの制度の持つ側面。どんな人間でも吸い込まれそうになる。

誰であれ、階層を超えての結婚は、日本社会に活力をもたらすと私は信じています。とても明るい気分になりました。ありがとうございます。

本当は花嫁姿も見たかった。ばあちゃんは若い人の花嫁姿が大好き。ごく内輪で、せめて写真でも撮ればいいのにと要らぬお世話ですが、思いました。

お幸せに。

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男系の危機、我が家の場合

2021-10-15 | 断想

人様のお宅の心配している場合ではない。

我が家の男系も先細り。

系図書いてみました。

赤丸が夫です。分家した夫の祖母以外の女性は省略、男性のみです。

夫の系統は大正の初めころ?夫の祖母(一人娘)が養子を取って地主の家を継いだところから始まります。

養子は曽祖父と番頭さんで吟味、九州から若い医師を婿として迎え、長男もできたころに祖母にはうんと年の離れた弟ができます。この人は後妻の子供です。

男子なので家督を継ぎ、祖母一家は敷地内に家を建てて分家します。

祖母には三人の男子があり、次男が夫の父親、我が舅様です。

分家したとはいえ、裕福な暮らしだったらしく、子供には一人づつ、小作人の家から子守りが来ていたとのこと。子守りをしながら行儀作法も習うのでしょうか。祖母は何でもできる人だったので、縫物なども教えていたはず。ぼんやりしていては大家の奥様は務まりません。

太宰の「津軽」の世界ですね。

しかしながら養子に来た夫の祖父はわずか40代でなくなります。働きすぎて腎不全になったと聞きました。田舎のことで医師が少なく、とても忙しくて体を壊したと聞きました。今のように透析もなく、最後は「モヒ(モルヒネ)打ってくれ」と言いながら亡くなったとか。

18歳で医師になり、40代でなくなる。生き急いだ人生でしたね。写真見ると髭を蓄えて老成した風貌。昔の人は早くに大人になっていたのでしょう。

その時我が舅様は高校生で、遺言で「お前は医者になれ」と言われたそうです。その後、某帝大の医学部に進み、学費は夫から言うと曽祖父が出してくれたそうですが、長い休みが終わる時に本家に挨拶に行き、次の休みまでのお金をもらう。遠慮して最低限しか言わないのに、それよりまだ少なくしかもらえなかったと生前話していました。

父親がなくて、たとえ身内でも人に頭を下げて学費をもらうのがどんなに辛いことか、息子たちが勉強しない時には私も腹が立って、この話をしたのですが、親がいて当たり前、親が学費出してくれて当たり前の息子たちには全然伝わりませんでした。

えー男系の話でしたね。

夫の親世代は本家分家併せて4人の男子。全員結婚して、全員男の子に恵まれます。

夫の世代では倍増して8人の男子。

しかし結婚したのは半分の4人。そのうち男子が生まれたのは2人。女の子だけが1人、子供がいないのが1人。未婚が半分の4人。成人する前の死亡は原爆死に水死です。

さらに息子の世代になると、男の子は半減して4人。

そのうち未婚2人、子供なし1人、男の子がいるのは我が長男だけ。その子は7歳。家制度はなくなりましたが、◎◎という姓を継ぐのは(たぶん、結婚相手の姓を名乗らない限り)その子だけになりそうな予感。

しかも7歳の孫、4歳のころ、「**クンは下品なこと言って嫌われているから結婚できない」と申していました。その頃、何にでも「うんち」を付けて大人が嫌がるのを面白がっていたのです。

「大丈夫よ。まだ間があるからそれまでに直せばいいのよ」と言う祖母。

こうして略系図を書いてみると、男系を続けるのが一庶民の家でも難しくなっているのかなと思います。

もちろん嫁いだ女性もたくさん、そちらの子孫もいるので、女系で書いてみれば賑やかなはず。今度機会のある時に。


簡単なファミリーヒストリーみたいになりましたが、私の実家は純粋庶民、結婚してから聞かされる夫の本家筋の昔話には驚くことばかりでした。

年貢を持って来る日には小作人は全員座敷に上げて、酒食のもてなしをする。

用心が悪いので駐在所を屋敷のすぐ外に誘致する。

地主としての経営は有能な番頭に任せ、特定郵便局を始める。

お金出して橋を作る。

陸軍大演習で何とかの宮(竹田宮でないことを願う)の休憩所になった時に、事前に手洗いを新設。

流しの絵描きや琴の教師などが半年くらい滞在する。その間にふすまや掛け軸の絵を描いてもらったり、夫の祖母は娘時代、そうして琴を習ったそうです。

まだまだたくさんありますが、自慢話になりそうなので止めておきます。

私が嫁いだ1970年代は地主制度がなくなってまだ25年くらいしかたっていません。四国の小作人の娘と思われていたのかも。我が家の相手にふさわしくないと思われていたのかも(戦前は自小作で2町歩くらい。純粋の小作人ではありませんが、まあそんなことはどちらでもいいけど)。

いまだ未婚の夫と同世代の人は、親が家柄に釣り合う相手を探すうちに結婚しそびれたとのこと。

釣り合うとは何?

本人同士、この人と思うのが、いちばん釣り合っているのでは。そうしないと家系はどんどん先細り。

皇族の結婚でその原則を改めて思った私でした。

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天皇制と家制度

2021-10-14 | 断想

眞子さま結婚問題に下重暁子氏「崩壊した『家制度』を皇族にだけ求める愚かさ」|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

短いけれど、大変分かりやすいインタビューでした。納得。

私の違和感はいまだ家制度を残していることに。いえ、一部の国民が家制度を続けるよう望んでいることに。

すぐにはなくならないでしょうが、人権については最大限配慮してもらいたいもの。

不敬罪のなくなった今、名誉棄損は政府が代わって告発するそうですが、これも運用は難しい。としたら、とりあえず、毎日の暮らしの中で、ご本人たちがあまり拘束を感じないやり方なら、工夫次第で何とかできそうですが。

先日の女子会でいちばん雰囲気悪くなったのは、自称旧皇族の某タレントをほめそやす人がいて、私が反対の考えを言ったから。

彼女はどこかで・・・テレビかな・・・で見てその分かりやすい話に共感したらしい。

私もいつか見たことがある。

司会者に「また皇族に戻ってほしいと言われたらどうしますか」と聞かれて、嬉しそうに「お断りします」と言っていたので、元は皇族とばかり思っていた。明治天皇の玄孫と言うことだし。それも男系と早とちりしていました。

あの人、元は皇族の家の生まれだけど、民間人になってから生まれたので、元皇族と言うのは厳密には違うようです。そんなこと人の価値を決める材料にならないけど、ご本人が訂正しないのはわざと勘違いしてほしいからかなと思い、あえてここにも書いておきます。

明治天皇の皇女が、南北朝時代に天皇家から分かれた家に嫁いだその子孫のようですよ。男系を辿るなら、ものすごく縁は薄い。

その話を友達に言うと、知らなかったのでしょう、ふーーんと言う顔をしていました。自分がいいと思うものに賛同してくれず、不本意だったのでしょう。

例え南北朝時代に枝分かれしたとはいえ、天皇の血筋が誇りなのでしょう。どんなことにでも誇りを持ち、それに相応しい人間になろうと努力するのはとてもいいことと思いますが、その誤解されたままの肩書で世間に何かを語るのは、有難がる人もたくさんいるので慎重にと願いたいものです。

この二、三日、この衰えつつある頭でつらつら考えたことは、天皇制はすぐにはなくならない、なくせないだろうということ。

この先、76年前の敗戦のように、日本社会が大きく変わる時にはまたその機会もあるかもしれない。全くなくせない制度ではないというところに希望をつなぎましょう。

直接の知り合いではないので、私は好きでも嫌いでもないのですが、好きな人もいることでしょう。災害地へ首相が行っても年寄りは涙流さないのに、もはや信仰の領域。信仰をどうこう言うのは難しいのです。

続いて行くとしたら、私はとりあえず女系を取り入れ、そのあとは男女で生まれた順にでいいと思います。

男系にこだわり、どんな人がいるのか知りませんが、調べる気もないけど、明治天皇には大正天皇しか男児がいなかったらしいので、遡るとどんなに近く見積もっても江戸後期以前でしょうか。

その人を呼び出して天皇に据えるよりは、血縁関係の近い、今いる女性皇族が結婚して繋いでいく方が自然だと思います。

y染色体にこだわっても、昔々に別れた後、膨大な人がそれを受け継いでいるはず。

民間では、女の子ばかりの家では養子に来てもらい(いえ、名字を受け継いだ別の戸籍を作り)、商売や会社、継いでいますよね。そして子供につないでいく。

いやいや、どうしても男系でないといけない。そう言われて、会ったこともない遠い遠い縁のほぼ他人が、いきなりやってきて、あなたたちは女系でY染色体がつながってないのでこの家出て行ってとはならない。

全然知らない他人が身内と言われ、きょうからここを継ぐと言われても・・・私が親ならなら困るし、拒否しますね。

男系天皇に固執するのもこれと似たようなものでしょうか。違うかな。あるお宅だけ、女性ゆえに一段劣った扱いをされ、女性ゆえに自分や子供まで継ぐ資格がないと言われるのもおかしな話と私は思います。

こういうことは男女に関係なく、血縁の濃さと思いますが。

有識者会議が、時代にふさわしいいい結論を出してくれると期待しています。

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機織り、やっと終わりそう

2021-10-14 | 機織り

始めたのは8月初め・・・記憶も茫々と薄れがち。

その間に姑様が亡くなり、私は一つ歳をとり、初七日があって、もうすぐ四十九日です。

夏休みに孫娘に、経糸の一部を取って織らせたのはいいけれど、後が大変でした。

三回に分けて綜絖と筬のやり直し。例によって綾は落とすし、したくないときは10日くらい放置。そろそろしなければと気分が追い込まれて、やっと織り機の所へ行く。

最期は平織りで糸をいろいろ変えてみる。

木綿、麻、そして名前も知らない観葉植物の葉。

いつからあるのでしょう。30年くらい前から?

上の芽が伸びると、下の葉からパラパラと落ちる。茶色になった葉を捨てずにとっておく。

枯れて落ちた葉は縦方向にとても強く、織りに向いている。

室内で、ほぼ放置。それでも長生き。こうなったら私と寿命比べしてみましょう。

今までに織ったもの。幅、長さまちまち。組み合わせてニュアンスのある夏のバッグを作る予定。

7月に湯布院の和雑貨の店で見たのにヒントをいただいて。

できるかな~夏は過ぎ、今はもう秋。来年用ですね。


その他に

夫仕事場、窓の外の狭い場所に鳩が営巣。

隣のマンションから糞が落ちるとクレームが来て、やっと気が付き、巣は撤去。鳩除けの網を張ったとか。

これ、食べる?

食べないよう、細菌が付いてるかもしれないし。と言うことになりました。

やれやれ、もうすぐ四十九日です。前日から三男夫婦と義妹が泊まります。

義妹は疲れやすい人で、車だと高速利用で1時間ちょっと、在来線でも90分くらいの所に住んでいますが、めまいがするとのことで、毎回、新幹線こだまで往復。泊りがけで来ます。

寝るのは姑様の家、三男夫婦は我が家です。

義妹は遠慮してか、自分だけ姑様の家でお弁当買って来て食べると言ったそうですが、夫を通じて今まで通り、一緒にと言ってあります。一人の方が気が楽なのでしょうか。強制はいけないけど、みんなで食べた方が楽しいと私は思っている。

姑様がいなくなって、自分が少し遠慮しなければならないことに気が付いたのでしょうか。それが親が亡くなるということですよね。

一緒にご飯食べて、とりとめなく話して、あちらの話も少しは聞いて、普通にするのが癒しになればいいけれど。ことさらお悔やみの言葉なんて言わない。

淡々と。そう淡々と。

さりながら普段は掃除も徹底してとまでは行かないので、きょうから布団干したり、庭掃除したり、色々片付けたりとするつもりです。

三男の嫁ちゃんが超きれい好きで、家は昨日引き渡されたくらいにゴミ一つ、髪の毛一本落ちてないし、不出来な姑はものすごくプレッシャー。

ブログなんて書いてる間があれば掃除ですが、とりあえずは初速を付けるため。

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アンデルセンの秋

2021-10-13 | 日記


街中の緑に癒されます。

この木は何でしょう。
マユミの大きいような実が着いてます。
まだまだ暑いけど少しだけ秋🎃

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Y染色体と姦通罪

2021-10-13 | 断想

小室圭氏のことについてはこちらのブログから多くの気付きをいただきました。

小室さんバッシング、私の考え - 緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ - (goo.ne.jp)

私は女性の方の人権が気になっていましたが、男性方も同じだけ、それ以上に人権を侵害されている。そのことに気が付きました。そしてうまくまとめていただいているので、考えに筋道が立ちました。ありがとうございます。

非難する人は、自分でサイトなりブログを作って言えばまだましですが、ヤフーニュースその他に匿名で短いコメント付けるだけで、発言の責任は取らない。こんなのは意見とも言えないのですが、言われる当人は気になりますよね。

見ないに限ります。理不尽な相手、世界観の違う相手とは戦わない。無視するのが最大の防御。そして防御は最大の攻撃なり。

昨日アマゾンで本を探している時に、今回の騒動に関しても本がいろいろ出ていることを知りました。粗製乱造の際物がほとんどのようですが、ある本のカスタマーレビューに神武天皇から続くY染色体を他の男性のものに替えていいのかとあり、なるほど男系にこだわる人はそう考えるのだと気が付きました。

この本のキャッチコピーは「民間男性が陛下に!?こんなに危ない女性宮家」と言うもので、暗に小室圭氏を皇室に入れるなと扇動しているものだと思いました。

これはもしそうだとしたら言いがかりです。今の法律で結婚した女性は民間人になり、皇位継承には一切関係しない。法律でよしんば女性宮家を作るとしても今回の結婚にさかのぼっては当てはまらない。法律とはそういうものと私は理解しています。

ネット上ではそのことを知らないのか、知ってての確信犯なのか、小室圭氏を皇室に入れるなと騒いでいます。

大丈夫ですよ。

女性宮家が認められても配偶者がいきなり天皇になるわけではない、その子供に皇位が継承されていくだけで。法律はそのように変わると思います。それの何が問題なのでしょうか。なぜ男系でなければいけないのか・・・Y染色体でなければいけないのか。私には解けない謎です。誰か答えられる人がいるのでしょうか。続いているからえらいのだというのは答えになってませんね。

と、これは一般論。早く決めないと今皇室にいる未婚の女性の将来も不確定。男系にこだわると今いる10代の男の子にすべてを託すことになる。継続のためにははなはだ危ない。

その時になって、もちろん法律も換える必要がありますが、何代か前の男系を辿ってその子孫にいきなり天皇になってもらうことに果たして国民的な合意が得られるのか。私には女系天皇より、そちらの方が違和感ありまくり。血縁重視といっても、血縁関係も薄いし。

もちろん昨日まで民間人でも、立派な御殿に住み、きれいな服を着て(たまには古代の衣装も)、おっとりと物を言いゆっくりとした動作をすれば、そしてマスコミがほめそやす報道をすればそれらしくなりそうですが、そんなにしてまで続けていく必要があるのかと私は思います。

今回の女性のことも心配ですが、弟にあたる人のメンタルも気になります。十代のいちばん多感な時期に、自分がどういう立場か分かってきて、お姉ちゃんの騒動も見て、何を考えるのでしょうか。

男系にこだわるのは、男性が女性より偉い、そういう世の中をこれからも続けていきたいと考えるからでしょうか。女性宮家を作るとして、その次の世代の皇位継承はやはり男性だけなのか、女性も混ぜて生まれた順なのか。そこらあたりもどうするのでしょうか。女性に皇統をつなぐとしたら、男女の区別はなくさないと話のつじつまが合わないように思います。

戦前の皇室は皇后以外の女性がいました。これは男の子が生まれる可能性を求めてのことだったのでしょう。明治天皇も大正天皇も正室から生まれたのではないのです。男の子を得るためには複数の女性の存在を認める。そうやって男系を続けていく。

上がそうだから、民間でも裕福な家はお妾さんがよくありました。で、男性には婚外の付き合いが認められても、女性にだけ姦通罪があるのは、他の男性の血が混ざらないようにするためと、はたと気が付きました。

男系にこだわる天皇制と、女性の姦通罪は対をなしている。昔の大奥も女性は代替わりまで閉じ込められる。これもまた他の血が混じらないように。

皇室にお妾制度がなくなったのはいつからでしょうか。そこらあたりは触れてはいけないことでしょうが、この百年ばかりはそれがなくても男子が複数生まれてしのいできました。また戦後の民法で家制度はなくなり、結婚して新しい家族ができ、子供たちも独立して、親世代が死に絶えるとその家も消滅すると法律的にはなったので、あちらのお宅でもお妾制度もそれに合わせて自然消滅したのかと思います。

しかし、皇室は日本で唯一、法律的に、世代を超えて家が残っていく存在。男系をこれからも続けるなら、嫁いだ女性は必ず男の子を産まないといけない。国民は一人の女性に過剰な役割を期待しすぎ。

大名家も、将軍家も、天皇家も、続いてきたのは複数の女性がいたから。しかし今からそれを認めるのは国民の感覚から言って果たしてどうでしょうか。私は、何よりも制度の内側の人の人権を守る意味から、この制度はいずれなくなってもいいと思っていますが、続けていくなら男系にこだわるのは無理があるのでは。

皇室に来てもらった元民間人の天皇にまた男の子ができなかったら、また民間から呼び寄せる?大変なことです。それよりは今皇室に入る人達で今の継承順の後には、女性も混ぜて繋いでいく。それでいいのでは。

昔々のその昔、京都だったか奈良の朝廷で、いやもっと前かに皇統が絶えて、8代前にさかのぼる越後の天皇家の筋を探し出して天皇にしたということがあったようですね。その名も携帯天皇。(何という変換だあ・・・)継体天皇です。そこらあたりの経緯はうやむやになっているのかな。興味のある方、調べて教えてください。ホントに、ほんとに男系?

今となっては謎?万世一系って本当?

姦通罪に話を戻すと、ばれなければ婚外性交してもいいはず。炭鉱王と結婚した彼の美人歌人も複数の男性と付き合っている。夫の愛情が乏しく、癒しをほかに求めてのことでしょうが、お妾制度は正妻の気持ちも不安定にしている。

またお妾さんには姦通罪適用していた?

それははやりすぎで片手落ち。男性は自分の子だと思ってもお妾さんを24時間拘束するわけではなく、そう思い込んでいるだけの場合もありそう。奥さんだって。そう、男系ってその程度のものではないでしょうか。

皇室での男系にこだわる限り、この国での女性差別はなくならないと私は思います。夫婦別姓を認めないのも根は同じ。たかが名字のことだけど、家制度がなくなった今では名字を継ぐのが概念として(ファンタジーとしての)家を継ぐことになっている。家制度がなくなっても女性はよその家に入り、嫁として扱われる習俗も続いて行く。

都会で活躍していても、盆正月には夫実家で嫁をする。それで離婚になった例を私は身近に知っています。家制度もほどほどに。

夫婦別姓は選択的ですから、法律で全員がそうなるわけではなく希望者だけ。したくない人はしなくてもいい。それなのに反対するのは脳内に昔からの家制度が残り、日本全国の女は男の下について言うこと聞くべきと言う考えの顕れなのかな。公民館サークルでも、女性会員を自分の嫁か娘のように扱う人がいます。そう言うのにはこまめにたてつくに限ります。

私はもう夫の姓を名乗っているので、今さら変えるのもめんどくさいけど、変えたらものすごく開放感があると思う。夫親族から嫁扱いもされなくなると期待している。もう代が変わったのだから、私の好きなようにさせてもらう。先日夫にそう宣言しました。

好きなことして、好きな所へ行って、好きなもの買って、好きなもの食べて、要するに好きにする。先日夫に宣言。80歳までもう十年もありません。し残したことがないよう、一つずつやっていく。

夫は「今までも好きなことしてきた」と申しますが、まだまだ。動ける間にこの人生を極めます。好きなもの食べるはちょっと控えないといけませんが。

取り留めもない長話、深謝します。

 

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小室圭さんのこと

2021-10-12 | 随想

ずっと否定的な意見が多くて気が滅入っていましたが、そうでない人もいることが分かり、ちょっと安心しました。

小室圭は何が悪いのか?【嫉妬とネットリンチ大好き国民】 | ぼっちライダーのひとり旅 (lornrider.com)

ちょっと前、ニューヨークの街をテレビで見ました。ビルがたくさんで、きらきらしていて、お若い二人が早く彼の地で新生活を始められたらいいなあと思いました。頑張って勉強して資格とったのに全然褒めないばかりか、未だに何のかんのと言いがかり。いつから日本人はこんな情けないことになったのでしょう。

(変な人と)結婚したら皇室の権威が地に落ちる、敬愛できない、もう解体するしかないなんて言うのは言いがかりで暴論ではないでしょうか。

あなたの敬愛はその程度のものだったのかと問いたい。私は自分の思いを貫いて立派だと思います。ご本人がこの人がいいと言っているのに、なんでえらそげに口を出すのかとはなはだ疑問。その根拠は何?

解体するしかないと言ったって、制度の解体は国民の総意が必要、憲法上は。今の憲法では国民が主権者、国民が象徴天皇制を選んだのだから要らないと決めるのも国民。

特定の個人を言いがかりをつけて叩きまくる。人が幸せになるのが妬ましい人は心が病んでいるとしか思えませんが、こんなことがこの先繰り返されるなら、誰も皇族と結婚しようなんて思いませんよね。身内の話を暴かれて叩かれるなんて、考えただけでもおぞましい。

今回の反対意見は、皇室のためを思っているつもりでも、実は逆になっているのではないでしょうか。そのことに早く気が付いてください。いえいえ、ただ面白くてネット上で騒いでいるだけ。底は浅いと思います。

私の友人の一人もこの件では容認できない派で、何の根拠も示さずに「在日」と決めつけていました。「在日」・・・嫌な言葉ですね。差別感丸出し。友達止めようかと思った一瞬でしたが、他の所はいい人なので、この先どうしますかねぇ・・・

こういう素朴な差別主義者が、マスコミの操作で、はたまたネット上での噂で人を傷つけるのでしょうか。誠に暗澹とした光景。

スッキリとした秋空のように、早く新しい一歩を踏み出していただきたいもの。

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秋、萌す

2021-10-11 | 日記

ビルの中の小さな売店。朝は開いている。

おにぎり、サンドウィッチ、お弁当、飲み物、タバコ。

小さな旅の予感。

 

日の出。

朝日射す。

車両運搬船ほか。

 


柿とマンション。

かんたんピザトースト。

友達が教えてくれた。ソースの代わりにケチャップとマヨネーズ。

私はピーマン苦手だったのを作ってから思い出した。

あとからバジルを載せてみる。

 

秋のケーキ。イギリスの藍色の器が好きなのです。

ケーキも秋仕様。


機織り、途中で一部を孫に織らせたら綜絖を全部もう一度することになり、あまりにも間延びしてばあちゃん、飽きた。

通し方は4.3.2.1。踏み方をいろいろ変えてみる。麻糸もたまに入れる。

最期はほつれ止めにボンドを塗る。

縦一直線の模様の時だけオーバーショット、あとは一種類の横糸で織る。


飾り棚の扉の桟が一部剥がれた。

別の木を貼り付けてマスキングテープで養生中。

完成するも下手。

木目は横向きでしたね。

これは哀れ、嫁入りダンスの末期。

こちらアベノマスクの最後。

マスクを分解して赤玉葱の皮で染め、バイアス方向に手縫いして、染めたゴムも使たけど、布マスクはもう要らないのでゴムを外す。

マスクは使い捨ての台拭きにしようかな・・・

姑様の分の二枚は横に四つ折りにして縫いました。

小さくたたんで手拭きのハンカチにする予定。

分解、染色、縫製といろいろ楽しませてもらいました。

あのアベノマスクのゴタゴタ、ずいぶん昔に感じる。


デモですか~

昭和30年代の某歌人の反対運動を思い出した。右翼を使って結婚反対のデモをしていたそうで、美貌の有名歌人のもう一つの側面。

戦後、華族、士族、平民の区分けはなくなりましたが、旧平民からお妃が選ばれるのはけしからんということだったようです。歌人は伯爵家の妾腹の生まれで、大正天皇とはいとこ同士。父方の叔母が典侍ないしのかみとして明治天皇に仕え、男児を産むことになったのです。

歌人の母親は旧幕臣の娘。明治維新後は柳橋芸者となり、伊藤博文と競って落籍した伯爵の妾となり、生まれたのが美貌の歌人。美貌は母親譲りですが、妾腹だったことで、プライドとコンプレックスの混じった複雑な性格だったのかなあと類推するわけです。コンプレックスを内に隠して人には強気に出るという。

価値の中心にいる人は案外無頓着で鷹揚に振舞います。その周辺部に入る人が、自分をその価値に同化して、よりそれらしく振舞い、人からもそう見られたがる。

ということを私のわずかな見聞から類推するわけです。

自分の成績は地味だったけど、県下一の進学校を出た、東大へ行ったやつと机を並べていたといまだに言いたい人。

ビートたけしさんがどこかで言っていたけど、今人気のある芸人のことを話すのに、昔の〇〇の人気はこんなもんじゃなかったと、自分の無名なのを棚に上げてえらそげに言う人とか。

ご主人の仕事で外国に住んだことのある友達。日本人会の女性部の会長はミッション系女子大で学友、とてもおっとりとした人。その次のランクの人達が元華族だったと鼻に掛けていたとか。うちは四人家族だけど・・・と言いたかったそうですが。

歌人の運動空しく結婚が白紙に戻ることはありませんでしたが、今回も時を経て同じことが起こり、一部の人の反応に改めて驚くわけです。

昭和30年代のあの結婚は、田舎の年寄りがとても喜んでいたのが印象に残っています。自分の息子が戦死した人も、平民が選ばれたことで癒される部分もあったのでしょう。私たちと共に歩んでくれると。

思えばあれは、制度と国民の再契約の完成するエポックでした。戦後すぐの背広姿での各地の巡行、あの結婚以後は若い二人での外国訪問も増えて、この制度は生き残って来たのでした。

結婚反対を言う人は昔も今も、周辺部に居て中心部のその価値にあやかりたいと思う人。私はそう思っています。

しかし、社会の一部に人権を制限される人がいて、生まれで差別される私やあなたのいる限り、この社会はまだまだ未成熟と私は思います。

好きか嫌いで言えば真ん中あたりで、やや否定的な感情かな。大好きな人も尊敬する人もいることでしょう。これは個人の感覚、変えようがない。

私の感覚は痛々しい。そういうことです。見て見ぬふりをして何も語らない。それが正しい大人の態度としても、先日もつい込み入った話になり、なくてはならないと言う人からは嫌われたかも。

マスコミの作る、はたまた昔から信じられている虚像の皮を剥いで剥いで剥ぎまくって、結果、どういう自我が見えてくるのかと。そこが私の持つ違和感。自我を持たない、それが制度の中で生き延びていく条件かもしれませんが、今の時代には無理。無理強いしてはいけません。

古代には皇族にしか嫁げず、時代が下っても嫁げる家は限られていた。残りは仏門に入り、尼門跡の後を継ぐ。何度か京都のそんな寺院も尋ねましたが、格式高そうで、誇りも高そうで、制度からの距離で人の価値が決められる一面に触れました。離れているからこそ、もっと離れている人には高飛車に振舞いたい。

デモした人は近くに寄りたかったのでしょうか。

長話深謝。

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まあすぐにはなくならないでしようが・・・

2021-10-10 | 断想

内に向けては疎外、外に向けては抑圧。何か言うと、長崎市長のようなことがある。

こんな取り扱いの難しいもの、これからも未来永劫続けていくのでしょうか。

国民主権の憲法のもと、制度の存続は国民の総意に基づくもの。国民が要らないと思えばなくなっていくし、どちらでもいい、あった方がいいなら続いて行くでしょう。

しかし今あるそれを盾にして、もの言えない時代に戻してほしくない。また中の人の人権は最大限配慮するべきと思います。

玉川徹氏 眞子さまと小室圭さんの結婚を応援「もっと皇族の方々の自由を認める制度であってほしい」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

三浦瑠麗氏、眞子さま結婚報道に苦言 「心を傷つけられるような一般人コメント誘発」|ニフティニュース (nifty.com)

無責任な、面白半分のコメント、ご本人は気にしていちいち見ていたのでしょうか。面と向かって言われるより、匿名で公表される意見の方に、人はうんと傷つきます。

嫌なものは見ない、聞かない、自分の心を守るにはそうした方がいいと思います。


こういうことは成育歴、若い時に世の中のことをどう考えたか、結婚の経緯などに影響される。先日、友達複数と話していて改めてそう思いました。

価値観はもうこの年では変えようがないので、人さまがいろいろな考えを持っていることがわかったのが収穫と言えば収穫。

その節目節目で、私はまあ好きにしてきたようです。結婚も初めは反対されたけど、言うこと聞かなかったので、その後、どんなことがあっても親に一言も愚痴を言わなかったという自負があります。

もし親の気に入った人と一緒になっても、もちろんいろいろあるはず。その時に後悔しないかと言えば、したかもしれない。あの時自分の思いを貫いていればと。


先日の友達は、私以外はお見合い結婚だそうで、ご実家が、世間でいうところの家柄のいいお金持ちの人が特に、恋愛したかったとしみじみ話していました。

私は以前彼女の家で、「明治天皇はんが遊びに来はった時に使わはった器」と言うものを見せてもらい、お菓子を載せていただきました。

ってこんなこと自慢するのが天皇制の空間ですね。いえいえ、史実が分かって面白がっているだけですが。

明治天皇は東京へ行ってから生活が激変、京都では御殿の外へ出ず地面も踏んだことないと言われてますが、彼女によるとこっそり塀の破れたところから抜け出して公家のお宅へ遊びにに行ってたとか。京都時代の方が自由だったのでしょうか。

今みたいにがんじがらめにしなくてもいいのでは。

そして気に入らない人と結婚するので尊敬できなくなるとか、制度がなくなってしまうと心配し、なくなってもいいのかと言うのは、どうでしょうか。

そんなことですぐになくなるほどやわな制度ではないと思います。良くも悪くも。

それだからこそ、今の時代にふさわしく変えていくことも必要。

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暑い土曜日

2021-10-09 | 日記

10月になっても30℃・・・暑い。暑いけど出かける。

駅前福屋のジュンク堂で本を一冊買い、ついでに本をあれこれ立ち読みする。

女性天皇と女性宮家に関する新書、興味深く読んだ。

一代限りの女性宮家では皇統の先細りは解決されないばかりか、余計に危機的になるとの話。全くそうですね。

未婚の女性皇族が結婚後も皇室にとどまり、皇位を継承していくのが一案、もう一つは皇籍を離脱した元宮家の男性に、どういう人がいてどう系統を辿るかは書かれてなかったけど、呼び出して天皇になってもらう。

うーーーむ、どうしても男系にこだわるなら血筋を辿るしかないのかあ・・・

今まで会社で机を並べていた人がいきなり天皇・・・って、違和感ありまくり。

著者がそれとなくリサーチしたところでは、いざとなったら覚悟を決めるという人もいるそうですが。

それよりは今皇室にいる女性の子供も含めて伝えていく方が、感覚としては無理がないと思う。

今未成年の男子が一人いるけれど、その人が天皇になって果たして結婚相手が見つかるのか、もし見つかったとして、男児を産まなければならないプレッシャーが大きすぎて、生まれなかった場合大変なことになりそう。

未婚の女性皇族にしても、今回こんだけの騒ぎになったのです。結婚できるでしょうか。

いずれは男女関係なく、継承順位は生まれた順番。そう、明治初めまで北関東から東北にあった長子相続の原理と同じになるのではと思う。あれは乳児の死亡率が高かったという社会的条件に依るし、今の天皇制、一夫一婦制になってからは女の子が多く生まれたのでそうした方がいいと思う。

一夫一婦制は広く社会の規範になったので天皇家もそうなって行ったのでしょう。今さら時代は元に戻れない。

男女関係なくとするには法律変える必要があるんでしょうね。国民の合意が一番難しそう。私個人の意見はありますが、本音を書いて激しく反応されても困惑するのでまた別の機会に。

ネット上で人格を攻撃されて自殺することが近年続きました。もう結婚するって決まったので、心に負担をかけることはやめませんか。やめた方がいいと思うのですが。

じゃ、この制度は要らないのかと憤慨の声が聞こえてきそうですが、先々代の人自身、戦争に負けたときにはある程度なくなることも覚悟もしていたはず。マッカーサーに様子を伺いに行きましたが、占領軍も統治に使えると思って残したと言われています。

この先、制度が国民への抑制の道具として使われるのは民主主義の原則に反します。男系にこだわってこの先消滅していくのなら、それは女性天皇の嫌いな、男が女の下につくのが生理的に受け入れられない人の結果責任。別に責任問うつもりはありませんけど。

と言って、昨日まで民間人だった人をいきなり天皇と言われても抵抗感ありまくり。男系の血筋にこだわるのがとても滑稽に思えます。もはや信仰の域。

血筋をありがたがるのは差別の根源。差別はよくない。女性差別、外国人差別、貧困者差別、学歴差別、世の中にあふれる差別が少しでもなくなる方向へ進んでいって欲しいものです。緩やかに消滅とはならないのでしょうか。制度がなくても、やっていく。宇宙の暗がりに一人で立つ、その覚悟も必要では。


最近は新書でも千円近くする。すぐ読んでしまうし、同じ金額を有効活用。

まだまだ冷たいものがおいしい。

広島駅、工事中。

ビックカメラの上はタワマン。駅から地下を通って雨に濡れずににアプローチできる。

川は猿猴川、橋は猿猴橋、こうじん(荒神?)橋、大正橋、橋の多い広島です。

猿猴とは河童のことですが、猿と桃の飾り、親柱の上の鷲か何かが近年復興されました。戦時中に金属供出したそうで。広島城内にあった第五師団に赴任する軍人はこの橋を通ったそうです。また古くは西国街道。

あーあ、ばあちゃんの蘊蓄がめんどくさい。


広島駅は工事中ですが、人出多し。なんかほっとした感じ。戦争が終わって灯火管制も解けたときってこんなかんじだった?

 

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