広島湾の見えるマンション14階の部屋に4人が集まり、緊急事態宣言明けを祝って情報交換。
話題は多岐にわたる。思った通り、皇室の結婚問題も出る。お母さんの人柄が信頼できないという人が一人。美容院で読んだ週刊誌情報から。
付き合っていた時に援助したお金は借金と違うという人が一人。いろいろ意見が出たあと、好きな人と結婚した方がいいと結論。
みんな話に飢えていたので、二時間の予定が倍に伸びた。楽しかった。
次は我が家で、なるだけ早いうちに。と約束して解散。
広島湾の見えるマンション14階の部屋に4人が集まり、緊急事態宣言明けを祝って情報交換。
話題は多岐にわたる。思った通り、皇室の結婚問題も出る。お母さんの人柄が信頼できないという人が一人。美容院で読んだ週刊誌情報から。
付き合っていた時に援助したお金は借金と違うという人が一人。いろいろ意見が出たあと、好きな人と結婚した方がいいと結論。
みんな話に飢えていたので、二時間の予定が倍に伸びた。楽しかった。
次は我が家で、なるだけ早いうちに。と約束して解散。
認知症になった父親を、次男幹夫が介護する話。
同棲相手と別れて、実家近くに喫茶店を開いていたが、介護していた嫂が亡くなり、同居して介護する話。
うーーむ、介護度は要介護度は3くらい?食事、トイレなどは自立。ときたま認知症の症状が出る。主なのは今の時間が分からなくなることと徘徊。家を飛び出すと幹夫もついて行き、納得するまで歩かせて帰って来る。
いつも行く公園で佳代子に出会う。佳代子は年寄りの扱いがうまく、次第に父も心を開く。佳代子は離婚後介護施設で働いていたが、施設を跳び出した利用者が事故死したことがトラウマになり、次の一歩が踏み出せずにいた。
しかし、幹夫親子と交流するうちにまた介護職に戻ると打ち明けてくれる。幹夫は思い切って「うちへ来てくれないか」と頼む。
そうやって佳代子が通いでヘルパーに来る日々が始まった。報酬は週払いで3万円。この小説には説明がないけれど、土日休みとしたら一日6千円、時給は700円から800円交通費込みと言うところ。単行本発行が2007年としても、この時給安すぎるのではないだろうか。
父親は食事もトイレも自立、介護と言っても話し相手したり、一緒に習字したり、と楽そうである。佳代子は介護のプロであると同時に母性の固まりのような人。その優しさに父親も幹夫もたいそう心が安らぐ。
やがて幹夫は住み込みで働いてほしいと頼み、佳代子はカバン一つでやってくる。そしてその夜、二人は深い仲になる。
いやあ、幹夫のこんな介護なら楽だなあと私は思った。これからが本番。ご飯食べさせて、排泄の世話をして、いつ終わるとも知れない(いつかは必ず終わるけれど)格闘としての介護が待っている。
亡くなった嫂の夏美は献身的に介護していたし、佳代子もまた天使のように父親に接する。そして幹夫を女性としても相手してくれる。これってファンタジーだと思った。
殆どの場合、徘徊する父親について歩いても天使には出会わない。その人が家に週払い3万で来てくれて、夜は自分の相手もしてくれる。。。。って、男の書く介護小説ってこんなものかなあと思った。
これからが大変です。週3万では済まないだろうし、それならば、結婚して今度は無償で介護させるのかな。自分が家の経済を支えるため働きに出て、妻に介護を頼む流れになるのかな。
妻に親の介護の報酬を払う男はいないので(たぶん、我が家もそうでしたよ)、なんで私ばかりただ働きと妻が切れる・・・いえいえそれは私の場合で(お金はどうでもよろしい。困った人に世話するのは当然。それに対して、夫及び夫親族から感謝の言葉がないばかりか、まるで私は初めから存在しないような言動の数々に傷つく)、作者の造形した心優しい佳代子さんに限ってそんなことはない。
けれど、尽くしたら尽くしたで、女としての私は悔しい。女には元々無限の無償の愛が備わっているとでも?
先のことはわからない。しばらくはこのままでいられそうな気がする。幹夫の独白で作品は終わる。介護を通じて人と人が心を通わせる美しい話も、三人の気持ちと負担の割合のバランスが何とか取れているから。介護度が進み、それがどうなるか、それはわからない。
ちょっと歯がゆい小説だったかな。現実はもっとシビア。でもそんなのは読まなくてもいいかな。実際に経験したのでもう思い出したくない。と言うのが正直な気持ち。
もう一つの介護の小説。
「テルちゃん」 玄侑宗久 - ブログ (goo.ne.jp)
こっちの方がよりムカムカした。
毎日、夏のような暑さ、湿度も低い。
着物の虫干しをします。
といっても、昔みたいにロープ貼って吊るしてとはせず、タンスから出して広げるだけ。
持ち物自慢になったらごめんなさい。高価なものはありませんので何卒お許しを。
リアルな呉服屋で買ったものはほとんどなし。ネット上の呉服屋、はたまた別の手段。
着物は便利。改まった席にその都度洋服を準備するのは大変。
買いに行ってもいいものに巡り合えず、次に着るときは流行と自分の体形が変わっている。お寺の本堂にスカートで座るのも苦手。
上前に柄のない色留袖。椅子席だと裾の柄が見えずに地味。
訪問着。
江戸小紋。柄が分かりにくいけど青海波。
リバーシブルの袋帯。法事用。
絽の色無地紋付と絽の袋帯。遠山模様。法事用。
何の出来心でか10年くらい前に作った。
九月初めに亡くなった姑様の一周忌には初めて着る予定。
帯は一周忌には黒、三周忌にこの袋帯の予定。(三周忌はしないと夫が言いそう・・・)
袋帯各種。右2本は親が買ってくれた。
左の博多織は自分で買った。
この他の紬などはなるだけ着て、改めて虫干しはしない予定。
それでも着ないのはこの先着ることもないはず。どうしますか・・・
備忘のために。◎夫と ◆一人で ★友達、夫以外の身内と
2021年
9月 ◎徳島、高知 かんぽの宿伊野
8月 ◎益田、浜田(島根県) 荒磯館
7月 ◎大分県、筋湯温泉 湯布院温泉
4月 ★名古屋、岡崎、尾西(静岡県) 友達の家、息子の家に宿泊
3月 ◎舞鶴 美山町、亀岡(湯の花温泉)、福知山 人生初のJAF体験
2020年
11月 ★三次、庄原 友達二人と日帰り
10月 ★琴平の奥、「阿讃琴南」に泊まる
10月 ◆尾道 千光寺山荘宿泊 絶景
9月 ◎天橋立、伊根、氷ノ山登山
8月 ◎★大久野島 ウサギと戦跡 息子一家と
8月 ◎大分県 八面山 金色温泉 長湯温泉翡翠の庄
7月 ◎湯村温泉と扇ノ山 雨、、、、
2月 ★大崎上島 竹原 友達3人で温泉と日帰りツアー
1月 ★最上稲荷(岡山市)と温泉 日帰り
2019年
12月 ◎玉造温泉白石屋と一畑薬師(島根県)
11月 ◎京都紅葉日帰り旅 苛酷
11月 ★倉敷日帰り旅
9月 ◎大阪、神戸日帰り旅
9月 ◎津山(岡山県)
8月 ◎沖縄
6月 ◎浜田日帰り
5月 ★倉敷 高校の友人二人と
5月 ◆中欧4か国ツアー(ドイツ、チェコ、オーストリア、ハンガリー)
ショパン生家(復元)
5月 ◎千葉県いろいろ
4月 ★岡山花見日帰り
3月 ◆倉敷ひな祭りとアウトレット
広島に大型アウトレットができてツアーバスは終了
2月 ◆八女、大宰府、博多。新幹線往復激安切符で
1月 ★高松、花樹海宿泊 倉敷
2018年
12月 ◆京都紅葉一人旅日帰り 京都駅の光の階段
11月 ★国の登録有形文化財、農村に残る大型水車と仏生山(香川県)
10月 ◆尾道
10月 ◎閑谷学校、天空の城、城崎温泉 ドイツの森などなど
姑様をショートにお願いして二年ぶりくらいの遠くへの旅行。
リフレッシュできました。
8月 ◎岐阜、高山、下呂温泉は湯の島館。
天皇宿泊の山の宿は迷路みたいで楽しい。下呂の街が一望。
姑様はショートに。
5月 ◆尾道、スケッチなど。
4月 ★県人会のウォーキングと花見
3月 ◎庄原のセツブンソウ、上下町のユキワリイチゲとひな巡り
1月 ★津田(香川県)の砂浜に立つ宿宿泊。
同宿した実母の愚痴の垂れ流しエンドレス。
聞いているうち体調悪くなった。(過呼吸に不整脈)
2017年
12月 ◆京都、神戸 終い弘法と美術館巡り日帰り
11月 ◆岩国日帰り紅葉
11月 ★岡山日帰り紅葉
11月 ◆尾道日帰り スケッチ
10月 ◎備中高松城、八掛宿
高松城は上の駐車場閉鎖、シャトルバスに乗るしかない。激高。
歩いても30分くらい。帰りは徒歩で。
9月 ★軽井沢、富士山五合目
9月 ◆高松で高校の同窓会。次はオリンピックの年にがいまだ果たせず。
7月 ◎近江八幡、宇治、夫は伏見稲荷へも。
6月 ◆尾道
6月 ◎福山鞆の浦、医王寺へ
私は乳腺腫瘍の検査結果待ち。夫に誘われる。癌封じだそうで。
困った時の神頼み。結果は良性。終了。
6月 ★近江八幡 長浜 高校生だった昔の乙女、三人旅。
5月 ★香川県へのうどんツアー、県人会主催。日帰り
5月 ◆ポーランド慰霊の旅
ザルツブルク ホテルで見る天気予報。
3月 ◎元乃隅稲成神社(島根県)日帰り。
2月 ◆竹原ひな巡り
1月 ★児島、倉敷
1月 ◎長崎 佐賀。武雄温泉。
この後も暫時まとめたいと思います。
山歩きは入れていません。
今整理してみると、三年くらい前からは記憶も混ざりあい、あいまいになっている。
老化、抗じ難し。同じ場所へ何度も行かないように鋭意、記憶の整理。
昨日の夫の話。
四十九日に義妹は前日から来て姑様の家に泊まるけど、夕食はお弁当買って一人で食べると言っているとのこと。
今まで通りうちで一緒にとつい言ってしまう私。うんうん、それでいい。きょうだいだけでどこかへ行ってなんて、言わなかった自分にちょっと安心した。
これからも誰は来ていい、誰は来てほしくないは言わないでおこう。
と言っても、面と向かって年寄せたなんて言う人は大嫌い。あのきょうだいだけは勘弁。もう私の時代なので好きにする。
こりゃまた、完全なダブルスタンダードですね。
親子して地主の家系をかさに着て、私の実家を自分の家の小作人くらいに思っているのが何とも。
態度の端々にそれが見て取れるのが誠に痛々しい。そんなものにいまだにしがみついているのが。だから大嫌いなのです。
以下略。
今年の2月15日、夫が嫁入り道具の洋服ダンスをいきなり壊しました。
使わなくなって、上のロッカー部分だけ、夫実家の空き部屋に突っ込んでいたものです。
要らないとは言ったけど、壊したと聞いて駆けつけると、あわわ、こおーのありさま!!
ところでニューヨークで新婚生活始める皇女は、嫁入りダンス持っていく?
外国だから向こうで買いなさいってお金渡すのかな。頑張っていい人生歩んでください。
今朝のサンデーモーニングで、法政大学総長の田中優子氏が、皇室の女性は弱い立場、言い返すことも訴訟もできない。好きな人と結婚したいというだけで、バッシングされ、言われたら言われっぱなし、美智子さんも雅子さんも同じことがあったと憤慨していた。全く同感。
美智子さんの時には旧平民から嫁ぐのはけしからんと反対運動が起き、歌人柳原白蓮も参加していた。反対する人は自分の価値観、プライドが傷ついたのでしょうが、人さまの結婚、口出しはほどほどに。その上から目線が見苦しい。と言うか、親戚のような気分にさせるのがこの制度の持つ功罪。今回は悪く出ましたよね。
うちの長男の嫁ちゃん、お父さんの仕事の伝手で、なんでも美智子さんの嫁入りダンス作った家具会社へ頼み、作ってもらったとか。その時作った職人さんがまだ一人高齢で残っているとか、両親がうやうやしく話していた。
つまりうちの嫁ちゃんと美智子さんはタンスの仲間同士、となるのかな。嫁ぐ先は大違いだけど。息子、タンス負けしないように頑張れ。
嫁入りダンス、親にしたら娘の幸福を願って買うもの。買う時は親も幸せ~♪
それを我が夫は、手持ちの道具各種を駆使してベリベリと壊す。壊すの大好き、捨てるのも大好き。まあいいんだけどね。いずれは大型ごみになる運命。
この時は引き出しだけ救出、織りの道具入れている。
洋服ダンスの下の引き出し部分は、着物を入れて今も使用中。
捨てる予定だったけど、化粧貼りの桜がいいもので、剥がしたそうです。
それに板を当てて印をつけて・・・
鋸でカット。
ボンドで貼り付けて乾燥中。お父さん、お母さん、あの時のタンスこんなことになってますが、私は元気でやってるので安心してください。
箱に組み立て、中にスピーカーのキットを組み込んで、オリジナルのスピーカーボックスを作ります。
次の例会に向けて準備中です。
私は引き続き、膝痛し。必要以上には歩きたくない。さて、どうしますか。
いいお天気です。長かった緊急事態宣言期間もようやく開け、膝の痛みもほぼ治まったので、午後から外出。
目的は、さるデパートの木工や籠作家の作品展。県北在住の作家とはいえ、広島県では安定的に山葡萄のツルを確保するのは難しい。
何度か、山中で見つかった記録があるだけ。ぶどうのツルで編むと広告にはあったように思うので、そのブドウが何なのか、知りたかった。
で、弟子を取っていないかと聞くつもりだった。けど・・・けど・・・
私の勘違いか、もう催しは終わったのか同じデパートの二つの店を回ったけど、出会えず。残念。よく確かめてから行くべきでしたね。
もちろん、この年で教えてもらうのは難しいはずだけど、一応粘ってみるとか。。。。
残念でした。
ちょっと一休み。向こう、猿猴川に黄金山。いいお天気。
後ろの席の四人連れの年配女性、PTSDが・・・と話している。誰にとっても大いなる関心ごとらしい。女性は人の結婚話好きですよね。幸せになってほしいという好意的な話だったので、ちょっと安心しました。
催し場でちょっとした買い物。以前地下で店を出していた手芸屋さん。服も扱っていてたまに買っていた。面白い話の商売上手のご主人は健在だった。
服地は2メートルの切り売り。綿麻。
買う時がいちばんやる気があって、あとは縫わないんですよねと言うと、5年くらいで生地が弱るので早く作ってくださいって言われた。
あとはブドウ色のTシャツ。写真だと黒にしか見えませんが。
おかずも秋仕様に。
大学芋は夫の好物。いつも決めている酒盃に油2、砂糖3でゆっくり煮て最後に焦げ目をつける。
おいしいけど、これ太りますよね。
来週は友達の家に有志が集まり、久しぶりで情報交換することになった。
長かったねぇーーーと開口いちばん言いそうです。
昨日の食器棚、メーカーのサイトでよくよく見ると正価は312,400円ですって。もうお、びっくり。
ヤフオクだったと侮らず、立派な食器棚に負けない立派な人間になりますと、夫に誓う。例によって相手にされず。
いい食器棚だとお金持ちになったみたいと言うと、それならずっと食器棚見ていればですと。私も雑用いろいろ、そう言うわけにもいきません。
棚の中の整理に、プラスティックの小物入れ、または籠を買おうかと思ったけど中止。もうものは増やさない。
前の食器棚の廃材、きょうにでも電動鋸で引いてくれるかと思ったら、自分の用事に忙しく室内に放置。それで情報交換会を友達に家にしてもらったんだった。
昼前、食器棚到着。
設置してもらいました。
午後から、食器を入れます。
宵の口、振袖到着。
掛けてみます。
青海波に雲、花いろいろ、紅葉と日本の伝統を押さえた柄です。
食器棚と振袖。
きょうの振袖と柄、ちょっと似てるかな。お宮参りの衣装。2010年。
七五三には被布を着て。
弟のお宮参りを兼ねていたので、両親に手を引かれて、本人は頑張って歩きます。
今度振袖着せても、手を引かなくてもよさそうです。
食器を納めるのに疲れて、夕食後寝てしまう。
食器棚の買い替えも、元気なうちですね。次はもう無理、無理。
作者は大正末生まれ。JTBの前身、日本交通公社に入社し、同社が出していた(今もあるのかな?)旅行雑誌、「旅」の編集長をした後、横浜商科大学で、観光学を教える。
ご存命のようですがすでに90歳を超えたご高齢。旅行に関する著書多数。
親本が1974年発行、のちに文庫になり、2016年、ヤマケイ文庫として再発行。
各地のぶっちぎりの奥地を一人で、徒歩で旅する紀行文。旅行は1960年代から70年代にかけてでしょうか。今から50年以上前の辺鄙な土地へ旅するのはそれはそれは大変と思いますが、奥地の風物、人々の暮らしへの好奇心から日本各地を旅している。
今なら高速道路も出来、たいていの奥地も車で行けるけれど、この時代は鉄道とバス。あとは歩き。とても苛酷な旅行記で、胸が苦しくなるほど。
しかし奥地にもまだコミュニティがあり、人が暮らしている。路線バスも通っている。平家の落人と自称する家を訪ね、貴種流離譚の残る歩訪ね、あるいは白神山地を津軽側から辿ろうとする。その時代の日本の奥地の様子を定着していると思う。
とても面白く読んだのですが、地図がその地域だけで、たどり着くまでのことが省略されているので場所の感覚がつかみにくいのと、写真が全然ないのでイメージがわきにくかった。
読むのに骨が折れてちょっと疲れたかな。今度はもう少し今の時代に近いもの、現代のものを読んでみたい。
いよいよ結婚の運びとなったようで、よかったと思いました。
でも女性の方はPTDSになっているとか。無理もありません。三年にわたっていろいろ言われたら、誰でもおかしくなります。
マスコミの論調に流されて、結婚に反対していた一般国民の一部の人は、本当によく反省してもらいたいものです。皇室の為を思って反対したつもりでも、全然為になってませんね。むしろ逆効果。今回の件で、今後の結婚はますます難しくなるのでは。血筋で続くこの制度、こんなことで大丈夫?
一度報道されると、マスコミに家族の来歴をあれこれ暴かれ、日本全国に知られてしまう。それを乗り越えてまで結婚しようとする人はいるのでしょうか。
また一般人よりも自分達は結婚がうんと難しいと感じ、心塞がれる思いかもしれません。系統が先細りになるのを防ぐために、男系の血を引く人を養子にする案も聞いたような気がしますが、本人の意思を全く無視して、こんなめちゃくちゃな人権侵害はありません。そこまでして男系にこだわるのは、この国の救いがたい男尊女卑の顕れ。
続けていくなら、臨機応変に変えていかなければ。それももう時間はあまりありません。
相手の人は外国で勉強して難しい資格を取って、迎えに帰られるまでになって、立派だと思います。あそこまで騒がれては日本での就職は難しかったでしょう。
しかし、夫が朝よくつけているワイドショーで(無責任な言説が横行して私は大嫌いですが)、ただの一度もよく頑張ったというコメントを聞いていません。誰か言ったのでしょうか。
学費、生活費はどう工面した?とか、資格取ったら取ったで、仕事は大変、物価も高いとか、詮索したり、けなす話ばかり。男性はそれに耐えているのかなあ、すごく根性の座った人だなあと思ったけど、女性の方はとうとう病気になったんですね。よそのお嬢さんたけど、かわいそうでたまりません。
早く結婚して嫌な嫌な日本から脱出して快復してもらいたいものです。
お母さんの金銭トラブルはお母さんが解決するべきこと。マスコミがお母さんのあれこれを暴き立てて、それに流されて結婚に反対して、反対する人は娯楽か、義憤か知りませんが、よそ様の結婚、反対するなんて思い上がりだと私は思います。その人の為と思っても全然なってないばかりか逆効果。反対するのは親親戚まで。結婚はどんな人でも私的なものと私は思います。
若い人に、好きな人と結婚させてあげましょう。そして、それを見守り、時にはサポートし、失敗しても人生はいつでもやり直せると力づける、それが年長者の取るべき態度ではないでしょうか。
早く快復して幸せになってもらいたいものです。
人類は長い歴史の中で、人権を一つ一つ勝ち取ってきました。古代的権威をまとった制度の中の人だけを普通の人間が持つ人権から疎外していいものでしょうか。
それを許す社会はいまだ未成熟と言わざるを得ません。すぐにはなくせないとしたら、制度を残したままでももう少し生きやすい方法はあるはずです。
私ですか、もし生まれ変わって、どんなに頼まれても、どんなに好きになっても絶対に行きません。なぜかって。
だって蚕の世話があるそうなので。一匹、二匹じゃなくてものすごくたくさん。それに桑の葉を与えるそうで、ひょええええええーーーー