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いよいよパリへ

2014-04-15 | フランス旅行

ベルサイユからパリへは21キロ、45分の距離です。わが地元で言うなら宮島口~市中心部くらいの距離。

川のほとりへ出ました。セーヌ川らしい。夕方5時、まだ明るいです。

郊外の高層ビルの向こうにエッフェル塔が。

どんどん近づきます。

いよいよ近くへ。大きいですねぇ~

対岸の絶景ポイントへ。観光客がいっぱい。

クリックで拡大

Tシャツに絵葉書など、土産物の屋台。

こちらは袋物など。後ろのビルが立派。

写真撮ってあげるとしつこく言われるのでまず後姿を。

はい、これがエッフェル塔でございます。きょうもウィンドウブレーカーを。セーターは暑くて着られない。

来年の年賀状写真はこれで決まりかな。何か芸をしないと、気恥ずかしくて。

バスに乗って今夜の宿へと向かいます。賑やかなパリの街です。

どんどん街外れへ。ホテルは地下鉄三号線の北の終点すぐ。台湾資本の大きな宿。

近くにスポーツセンターがあるのかな??

テレビ番組?

パリの人

人は左、車は右。自転車も車道に降りて。

広い部屋です。

窓の外はホテルの裏で、大型バスなどの駐車場に。

部屋は暑くてたまらない。窓はワイヤーで固定して開かない。火災のときだけ開けることと英語とフランス語で書いてたけど、あまりの暑さに二日目には持参のハサミでワイヤーを切って外気を入れた。

誰だあ~フランスが寒いって言ったのはーーーーー!!!

お茶セットもあるけど暑いので、冷ましてから飲む。

洗面所も広い。

夕食はホテル一階レストランで。女性はドレスアップしている人も。私もちょっとだけ着替えて、足元パンプス風の靴で。

海外旅行には皺にならない薄手のワンピースやチュニックブラウス、本物でなくていいからちょっと派手目のアクセサリーなどがあったらメリハリ聞いて楽しいかも。

どこも暖房しているので屋内で寒いということはまずないでしょう。薄着で大丈夫。

スーツケースの整理をする気になってつい夜更かししてしまった。スーツケースは最終日まで決して整理しない。次からは絶対にそうしよう。

スーツケースいじってたらおやまあ、23時に。日本は4月3日朝6時。リアルタイムでニュースやっている。

日本の放送は契約して視聴できるとのこと。パリでは16チャンネル。

翌朝、日本では見たことない朝の連続テレビ小説まで見てしまった。こちらはパリの8時からやっていた。

あすはいよいよパリの最終日。明日のために今日も寝る。おやすみなさいZZZZZZZ

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ベルサイユで豪華さに酔う

2014-04-15 | フランス旅行

旅行も7日目、早寝早起き、あれこれ考えずあなた任せもだいぶ慣れてきました。

きょうはモンサンミッシェルから348キロ、約5時間かけてパリ近郊のベルサイユまで行きます。途中渋滞もなく、正午にはベルサイユに着きました。

お昼は中華です。普通の中華でした。

落ち着いたきれいな街です。

入場時刻が決められているので、このあと時間調整に日本人経営の総合土産物店に行きます。宝石やブランドバッグなどがありましたが、欲しいものがないので、あっても買えないので、淋しく皆さんの買い物を待ちます。

1860年製の蓋。日本だと江戸末期。明治維新の7年前。

こちら電話線。

バスを降りて歩いて宮殿に向かいます。

宮殿のウェブページ。日本語版 http://jp.chateauversailles.fr/jp/the-palace-

庭を見ます。広大です。ずっと向こうまで庭です。

正面の池のほとりにはブロンズ像が。

1682年製のようです。

ほらほら、池に落ちるからこっちにおいで。

今から見学です。

豪華な部屋が続きます

聖書の一場面でしょうか。説明聞いたはずなのに完璧忘れています。

ルイ14世?だったかな(違うかも。自信ありません)。古代風の衣装を身に着けています。

大理石の模様がまたすごい。

豪華。フランスの宮殿に余白の美というものはない。

シャンデリア

鏡の間は、先ほどの庭がよく見える宮殿正面。広すぎて長い廊下のよう。

第一次大戦後の講和会議が開かれ、ベルサイユ条約が締結されたのもこの宮殿ですよね。

豪華さを笠に着て、ドイツに巨額の賠償金をおっかぶせ、ドイツはものすごいハイパーインフレに。そこからナチスが出てきて再び対戦が起きた歴史の教訓にかんがみ、第二次世界大戦では敗戦国は賠償金は課せられなかったのではないでしょうか。

人間は言葉で過去を記録し、過去の過ちから学べるはず。過去から学ぶことはいつの時代にも大切。最近の日本人、学びを忘れていませんか。

戦後の日本の諸改革は、どこの国にもできなかった理想の民主主義を実現するための実験みたいなものだったと私は思う。

例えば今、他業種から農業に参入するのは地域の農地委員会の許可が必要。これは寄生地主制に再び戻らないために施策でありましょう。と、ベルサイユ宮殿から連想は広がります。駄文深謝。

鏡は築城当時、とても高価なものだったと思う。燭台も当然純金でしょう。どれだけお金かけたら気が済むのかと、おばさんは呆れる。

王の寝室。金ピカ。

中国人観光客がとても多い。しかも若い人が。今、国の勢いがあるんでしょう。

我が国も若い人が小さくまとまらず、外国へ出て見聞を広めてほしい。

ここで毎夜舞踏会。贅沢。

豪華、と言うしかなくて他に言葉を知らない。

マリーアントワネットの寝室。布は劣化するので何度か修復されたことでしょう。

左の金ピカ箪笥は、宝石箪笥だそうで。あれにいっぱい宝石持ってたんでしょうか。凄い~そりゃフランス革命も起きるはず。

天蓋。豪華さてんこ盛り。人間が考えうる最高の豪華さとでも言いましょうか。

ベッドヘッド部分。王妃はバラが好きだったそうです。

上はバラにクジャクの羽にライラックに・・・と花尽くし。

頭の後ろにはMとAのイニシャルが。

参考画像。

ルーブルのショップで自分用にポーチ買いました。写真見てようやく、デザインをパクッたのだと気が付きました。枕元に置いて寝たら私も王妃様???

出ました。いゃあ、豪華絢爛だった。イギリスのウィンザー宮殿も豪華だったけど、ベルサイユはとっても繊細なデザインを積み重ねて、全体として豪華さを出している印象。装飾すべて、考えられる限りの豪華さを追求している。

情報の多い時代の私達でもびっくりするのに、明治時代、初めてヨーロッパへ行った人はどんなにか驚いたことか。負けないように近代国家をつくらなければと、固く誓ったはず。

日本には石の建物はないので、何百年と持つ堅牢なものは出来ませんね。煉瓦の西洋建築もほとんどなくなっているし。と彼我の文明の違いをひしひしと考えさせられた。

ベルサイユ宮殿、二度も見る必要はないけど、一度は見てた方がいいのかもしれない。

このあとパリへ行ってエッフェル塔を観ますが、それは次回に。See you again!!

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モンサンミッシェルのたそがれ

2014-04-15 | フランス旅行

この日の見学はモンサンミッシェルだけ、対岸の島から二番目に近いホテルに泊まります。

小さなホテルです。エレベーターはありませんが、荷物はドアの前まで運んでくれます。パック旅行のありがたいところ。

アルルでしたか、60代の日本人ご夫婦、私たちのツアーのガイドさんにホテルの場所聞いていました。お二人とも荷物引いてバス停か駅から歩いて来たようです。困難のあとには達成感があるとしても、疲れる旅はもうできないなと思う今日この頃。

これは翌朝7時50分頃、北の方なのでまだ薄暗いです。

前日夕方、川の土手からホテルを見たところ。裏側シンプル。真ん中が出入りできるドアで、土手に上がると、この写真では左方向にモンサンミシェルが見えます。

どの部屋からも見やすいようにベランダ付き、しかも右へ行くにしたがってベランダが張り出しているという心憎い設計。

私の泊まった部屋は、下の階のドアの右へ三つ目の部屋。静かでいい部屋でした。

フランス、たそがれ、ホテルの小部屋。

掃出し窓はヨーロッパでは珍しいのでは。ベランダに出られます。カーテンの代わりのブラインドは電動式で、枕元に操作盤があります。

部屋は狭いながらも使いやすくお洒落。いえいえ、狭いと文句言ってはいけません。きょうも一人で使います。

夕方になるとこんな感じです。夜はライトアップするので、いいカメラを持つ人は写しに行きましたが、夜道は怖いのでパス。

モンサンミッシェルの環境問題についてはこちら。

http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/cb88ebdbc2a67f15236213219d7006be

長い目で見ると自然環境をよくすることでしか、観光地としての将来はないと思う。えらそげですみません。

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世界遺産モンサンミッシェルへの道

2014-04-14 | フランス旅行

トゥールはロワール渓谷の中心都市で、お城巡りの起点でもあるようですが、ここは泊まっただけで観光しません。駅に近い小さなホテルでした。

観光5日目、きょうはノルマンディーのモンサンミッシェルへ行きます。ツールからは266キロ、四時間半かけて行きます。

途中のSAで一度休憩、イチジクジャム入りお菓子、2.85€を三個買います。ユーロも高くなっているので、頭の中で150倍にします。

フランス語が喋りたくて、レジでこれ下さいと言ってみる。Ça, s'il vous plaît・・・サ、シルヴプレ・・・わあ、言ったあ~

がしかし、その言い方でよかったんだろうか。あとはbaggage pleaseと英語で。何でもpleaseで済ます。

今年はノルマンディー上陸作戦から70年、近くに記念館があるらしい。SAにパンフが置いてあり、簡単なパネル展示もあった。第二次世界大戦の趨勢を決めた作戦、欧州の歴史の節目として、今も人々の記憶に残り続けているのだろう。

見えてきました。牧草地のかなた、特徴ある島の形。

ん?羊かな?

こちらは牛。のどかな牧草地の横をツアーバスは走ります。

近づいてきました。島全体が要塞のようです。

朝、ツールを出てもう昼前です。とりあえず、名物のオムレツ料理の昼御飯です。

泡のようなのは卵の白身を泡立てたもの。その上から薄焼き卵風のが掛かっています。

向かいに座った人が、「ここのほんとのオムレツはこんなんじゃない」とおっしゃるので、なんか食べにくく、残してしまいました。

確かに生の白身は石鹸の泡食べてるみたいでした。本当は全卵をよく泡立てて半熟くらいに火を通すらしいですが、一度に大勢のツアー客、なんちゃってオムレツかも。卵アレルギーの方はご用心。

menuはフランス語でセットメニューのこと。各種あります。

隣はスーパー。牛の産地らしく、看板牛がお出迎え。

店はお土産中心。夕食前、孫息子の涎掛けとイワシの缶詰(ひまわり油、トマト味)を買いました。

可愛い目

寝そべってます。

草原になってる。

いいお天気です。あの先がモンサンミッシェル。車は乗り入れ禁止で、手前の駐車場からホテル街を経由して無料のシャトルバスが出ています。

着いておりました。左はシャトルバス。歩いても10分くらいかな。

正面から見たところ

 

オムレツの有名店。昔、巡礼者に料理を出す店だったとかで、今はモンサンミシェルにいろいろな店やホテルを持つらしい。

門を入り、狭い通路の両側は土産物店がぎっしり。我が実家地方のこんぴらさんを思い出した。石段登るのも同じ。

この店は16世紀頃のものらしい。木組に風格がある。

軽食各種。こんぴらさんで言うと、参道のうどん屋みたいなものかな。ユーロが安いときならよかったんだけど、今はそう安くないかも。

だいぶ上がってきました。振り向くと海。

この上の広場で添乗員さんが入場のチケットを配り、一人いないことが発覚。一人参加のあの人だと大騒ぎになり、血相変えて階段を駆け下りる添乗員さん。しばらくして「いない」とまた駆け上がってきた。男性一人も一緒に探しに行ったのか、あとから帰ってきた。

いなくなった一人参加の男性が、先に建物の中に入っていたのを誰かが発見。「あーーーあそこ!!」と見上げて呼び戻した。

やれやれ、男性が下りてくるまでに、添乗員さんは「みなさん責めないでください」と気を遣っていた。待ったのは10分くらい。大したことにならなくてよかった。一人なのでうっかりはぐれたのだろう。

と、そこまではいい。そのあとその人はまたツアーから離れて愚図愚図している。

「私はそこはもう見たからいい」ですって。最後尾にいた私は「皆さんが心配するから一緒に行きましょう」と声を掛けて連れて行った。なかなかにユニークな方だった。

いやあ、団体ツアーは窮屈だけど、それだから短い期間でフランスの各所を廻れるというもの、飛行機だって普通に買ったら、片道がツアー代金全額くらいする。全員で気持ちよく旅行しないとね。

私も木や花を見るとつい遅くなるので、気を付けなければと思います。人のふり見てわがふり直せでございます。

元々は干潮時だけ歩いて渡れる島だったらしい。道路を付けたことで潮の流れが替わり、現在周辺は2mも砂が溜まっているとか。

高架式のトリムを造り、道路を廃止する工事が延々行われています。完成は何時のことでしょう。

何よりもがっかりしたのは海の水がとても汚いこと。下水みたいな匂いがします。世界遺産になって、環境の為にはよくなかったのではないかと思います。

中は回廊があったり

地形を建物に組み入れてあったり、

民家も少しあるようですが

道は狭く人は多く

モンサンミッシェルにやや食傷気味な私

自由に楽しめないのがとっても窮屈。やや閉所恐怖症の私。

クッキーはけっこう安い。7.5ユーロとかそんな感じ。

キャッシングもできます。日本で両替しなくても現地通貨を現地でキャッシングすれば為替手数料は要らないそうですが、フランス語の分からない私は難易度高い。もちろん英語表記も自信ありません。

ああ、あの日の不勉強が今になってこんなところで祟るとは。

振り返ると要塞みたい。新教と旧教の宗教戦争の時代には、旧教側の拠点になったらしい。フランス革命のあとは牢獄として使われたこともあったとか。今も少数の修道士たちが修業しています。

寺院は修復工事中。

浅瀬に高架の軌道を作る。いつできるのだろう。

フランス式だから、ガツガツしないのかも。

夕方、ホテルから川の土手へ出てみました。潮が満ちています。

もうすぐ日暮れ。

ここまでアップしたら疲れたので残りはまた明日。see you again


 

本日の教訓。

パックツアーは必ず団体行動で。旅行をよくするも悪くするのも一人一人のちょっとした心がけ。

出された料理が期待外れでも、前来た時の方がよかったとしても、それを食べるしかないんだからあまり文句言わないように。(小声でちょっと言うのは許す)。旅行をよくするのも悪くするのも一人一人のちょっとした心がけ。

我が身のこことしてもって瞑すべし。 

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ロワールからツールへ

2014-04-13 | フランス旅行

えー、さらに旅は続きます。

旅行から帰ってもう8日が過ぎましたが、ブログの更新に追われ、あちこちにお土産を配り、その間に孫も二回遊びに来て、忙しいです。

昨日やってきた孫娘は「おばあちゃんと食べようと思って」と、きのこのチョコの小袋を持ってきました。

「ありがとう、おばあちゃんはいいわ」「食べて。おいしいよ」

ウルウル、子供の言葉って宝物みたい。ありがたく一個頂く。

「もっと食べて」「もういいよ」「いいから食べて。おばあちゃんと一緒に食べようと思って持ってきたの」・・・さらにウルウルする私。

「このチョコどうしたの」「お母さんが買ってくれたの」

きょうはお母さんは来ません。息子が二人を連れてきました。息子ものんびりしています。お嫁さんも家でのんびりしていることでしょう。まあこんな日もあっていいでしょう。

昨日は上の孫にニースで買ったプロバンス柄のワンピースを、下の孫にはモンサンミッシェルの刺しゅう入り涎掛けをやりました。

「**ちゃん、この服大好き。お母さんが見たら嬉しい」と最大限に喜びを顕す孫娘。ワンピース一枚でこんなに喜ぶなんて、祖母の方が感激した。

成人式まで生きていて、振袖作ってやろうかしら。この間の古い着物であんなに喜んだんだから、どんなに喜ぶことか。いえいえ、その頃はもう祖母の出る幕はありますまい。

すみません、愛情ダダ漏れ、人様には面白くもなんともない話で失礼しました。歳取ると自制心もなくなるようで、心の括約筋も鍛えようと思います。


パリから南西へ約176キロ、バスで二時間半走り、シャンポール城へ着きました。

フランソワ一世が狩りをするために造り、ルイ14世の時に完成。敷地は広大で、東京23区内だったか、山手線内側だったか、そのくらいの広さ。今も野生のシカなどがいるとか。

バスを降りて城へ向かいます。

 クリックで拡大。端正な城です。

敷地は広大。あのずっと向こうまでこの城の庭です。

内装は最近作られたらしい。

ベッドなどもそれらしく。

同行者が写真撮ってあげると言うので断りきれず、パンフで顔隠す。

名所旧跡をバックの写真撮る趣味は、なぜかない私。

毎日暑くて着る服がない。この日は素肌に、メッシュの夏用登山服と薄いウインドブレーカー。それでも暑い。

後ろの塔だったと思うけど、ダヴィンチ設計の二本のらせん階段が絡み合うように塔屋まで。お互い決して交わることのない不思議な階段。

日本でも、どこか東北の方に栄螺堂と言うのがありましたよね。

城は大きいだけで、人のいた気配がないので、ちょっと退屈だった。中を見学するより、遠くから見た方がいいのがフランスの城なのかもしれない。


 

ほらね。きれいですね。

お城の周りの風景がまたいい。こちら敷地内の運河。向こうは堰になっていて水量を調節している。左側には小さなホテルがある。

水ぬるむフランスの春。

おや、何してるんでしょう。

ボートを引き上げているらしい。観光シーズンも間近です。

橋を渡って・・・

遠くまで行ってみたいけど、パックツアー中の身には願っても詮無いこと。せめて胸いっぱいに春の空気を吸い込んでみる。

体が元気で、こんなに遠いところまで来られた。そのことをまず感謝しよう。快く出してくれた夫にまず感謝。自営業で家を空けられない身、それでもいつかはヨーロッパに二人で来たいもの。

サイクリング

橋と城

春の水辺

ホテルと桜

真ん中が私たちのツアーバス。日向に停めていたバスはすでに暑くなっていた上に、走るうちにさらに暑くなる。

ドライバーさんはこのバスに乗るのが初めてだそうで、エアコンの入れ方が分からない。暑がりの私は耐えきれずに夏用登山服一枚に。だれだあ~フランスが寒いと言ったのは~暑くてたまらない。

そのうち路肩に停めてあっちゃこっちゃいじっていてけど、ツールに着くまで結局エアコンがきかずに、車内は炎熱地獄。25度はあったと思う。皆さん大人なので、言っても無駄なことは言わない。言っても不愉快になるだけだから。

私は一人で「お金とって人を乗せてるんだからね。プロの仕事と言えんでしょう」とブツブツ言っていた。すみません、周りの皆さん。気分悪かったでしょう。なにとぞお許しを。


 

1時間ほど走ってツールの街へ着きました。世界史的には「ツールポアチェの戦い」ですよね。あれ、何でしたっけ。

端正な街並み

ロワール川に陽が沈む。印象派の絵みたい。

街中の小さなホテル。壁紙がおしゃれ。ここには一泊だけでした。いよいよ明日はモンサンミッシェルへ行きます。

そのあとはベルサイユとパリ、旅もいよいよ終盤です。

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フランスの新幹線TGVでパリへ

2014-04-13 | フランス旅行

フランスへ来てはや四日、ずっと地中海沿岸を観光していましたが、31日日曜日、TGVに乗り、一気にパリまで北上します。

ツアパンフーの謳い文句は「パリまで約700キロ、バスなら約10時間かかるところを列車で約3時間のラクラク移動。車窓からの風景もお楽しみください」で、9時ホテル発、列車内でお弁当を食べるはずが、実際は7時出発、午前中にパリに着きレストランで食事となってました。

まあその方がいいんですけど、このあとアクシデントの連続で、添乗員さんは大変だったと思います。ありがとうございました。

ホテル発7時、アビニョン駅には15分ほどで到着。ピンクのおしゃれなバスはこの時だけでした。

きょうから夏時間、昨日までの6時過ぎ。まだ夜は明けきらず、肌寒いです。でもツアーの皆さんは元気いっぱい。

アビニョンは小さな駅です。

8時14分発のパリ行き直行便に乗ります。パリへは11時前に到着。パンフと違ってパリのレストランで昼食です。いよいよ華の都パリへ。ワクワク。

スーツケースはポーターさんがTGVの荷物専用車両に積み込んでくれるので、自分で押して歩く必要はありません。楽ちんです。発車までまだだいぶ時間があります。

ちなみにここでは乗るのをサポートする日本人ガイドさんが来てくれました。近くに住んでいて、請け負って仕事をされるのでしょう。これも安心です。

チケット貰っていったん解散。

ここのキヨスクで私は息子のためにフランスの地図、

フランスの自動車雑誌を買い、ついでに駅備え付け、無料のルートマップ、時刻表などを頂く。

雑誌と地図、どちらかが6€、レシートもう1枚紛失。2つは同じくらいの値段。と記憶しているんだけど。。。。

駅舎は丸みのある三角屋根。お洒落。柱は見当たりません。力をうまく両端へ分散するのは教会建築も同じ。やっぱりヨーロッパだなと思う瞬間。

ホームへ上がります。階段ではなくて緩やかなスロープ。これならベビーバギー、車いす、足腰の弱い人にも優しい。目からうろこ。日本では出来ないのかしら。

振り返ったところ。改札口は特になかったような気がする。人について行くと、ことほど左様に人任せ。それはツアーのよくないところ。

ホームも駅舎と一体化。列車が来たらホームへ出ます。

来ました、来ました。朝靄をついて顕れたTGV列車の雄姿。ホームの先端でカメラを構えて待ちます。人の撮影の邪魔になったらいけないのでしゃがんで。

蛇足ながら、ツアーでは写真撮る場所をお互い譲り合いたいもの。以前、中国のツアーに行ったとき、旅行写真を撮るのが趣味のご夫婦、撮影ポイントにつくと、持参の三脚立てて自動シャッターでご夫婦二人で写真撮っていた。どの観光地でもきわめてまめに、真っ先に。その間ずっと他の人はそのご夫婦の終わるのを待っていた。…というようなこともありました。

もちろん誰も文句は言いません。お互い嫌な思いしたくないですもんね。嫌なことは心に納めて、当たり障りない話をして旅を続けます。

今回のツアーは旅慣れた人が多く、写真撮りまくったり、お土産買いまくったりと言う人は少数派でした。日本人の海外旅行マナーも成熟してきたようで。 

乗ります。

列車はフランスの田園地帯を北へ向けてひた走ります。日本と違って窓ガラスは掃除不充分、窓越しの眺めは靄がかかったようです。

備え付けの雑誌にフランス国内の路線図が。

定刻に着きました。

途中の駅で連結したのかも。

ヨーロッパの駅は大きな屋根がついているのが何となくかっこいい。旅情いっぱい。パリは寒いと覚悟してたけど、暖かい。

と、ここまでは極めて順調。

・・・・・しかし・・・・駅の外の大型バス発着場へ行くと、後半の観光用のバスが来ていない。焦る添乗員さん。人任せの私たちは立ったまま、無駄話をして過ごすこと約一時間。やっとバスが現れ、乗車。

「チェコ人のドライバーさんで道に迷ったそうです」との説明が。プロの運転手が駅の場所が分からないなんて、あるんだろうか。ひょっとしたら、まだ冬時間のつもりだったのでは。と私は思ったのですが。

誰かが迷い子になって待つのならツアーも険悪になってたけど、まずはよかった。やれやれ、早速レストランへ行きます。

ビジネス街にあり、出るころは仕事が出来そうなフランス人がどんどんやって来ました。きれいな店です。

前菜は生ハムなど。全員の飲み物は、待たしたお詫びにとJTBさんの驕り。初めてロゼ飲みましたが、私はやっぱり赤が好きかも。

メインはフィットチーネに鶏肉。クリーミィなソースがまたよかった。

私は今パリにいるんだあと、それだけでeast endのおばさん感激。

Pに停まっているあのバスで午後からはロワール地方の古城へ。


 

ロワール川は大西洋からの暖かい風が吹き込み、パリに近いこともあって昔からたくさんのお城が築かれたそうです。その中の一つを見学に行きます。

途中は「フランスの庭」と呼ばれる、田園風景が延々と続きます。

一面の菜の花

牧草?

また菜の花

遠くに集落

白い花は何高速道路からでは確認できず。

サービスエリアで。グリコからライセンスを取り、フランスのLUという菓子メーカーが作るチョコポッキーはその名もMIKADO(帝)。イチゴポッキーは(ZEN)禅と言うらしい。フランス人のエキゾチズムが奈辺にあるか、その一端が伺えて面白い。

帝と言えばその昔、猪瀬直樹氏の労作「ミカドの肖像」と言うのを買って読みましたね。長くて長くて、で、結論は何なの、中心部はemptyというのは、帝だけではなくこの本も???と思ったのを思い出した。

著者も若く、私も若かった。今は長い本は根気が続かない。猪瀬氏の立件は難しいのだろうか。お金に色はついてないから、よほど証拠がないと公判を維持できないのかも。

すみません、横にそれました。

羊がいます。この付近はもうブドウは作ってないようです。ロワールの古城はいずれまた。see you again!!

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アビニョン

2014-04-12 | フランス旅行

ポン・ティ・ガール見学の後、アビニョンへ行きます。

アビニョンはフランス民謡「アビニョンの橋の上で」・・・踊る、踊る、輪になって踊るよ・・・で、また、高校世界史には必ず出てくる「教皇のアビニョン虜囚」で、耳に残っている街です。

ローヌ川に架かるサン・ベネゼ橋と、右は教皇庁宮殿。

川岸のごみ箱

12世紀に架橋、現在は途中までしか残っていません。また橋の下で踊る歌詞が、日本語に訳されるとき橋の上にとなったそうです。

教皇庁前の広場

ローマ教皇がここにいたのは1309年から1377年まで。当時はフランク王国の力が強く、教会が屈服するという背景があったとか。(大昔に習ったけど、もう忘れていた)。

建物は質素な旧宮殿と豪華な新宮殿がありますが、内部の装飾、壁画などはフランス革命の時に破壊されたそうで、内部は基本的にはがらんどう、何もありません。

広場の反対側

広場で大きな風船を作っています。

風船に喜ぶ子供たち。フランスの春、アビニョンの春。日本にいる孫たちのことをふと思い出します。いい子してるかな。

人が住んでいた気配はとうになくなっています。建物は窓が少なくて、暗くて息苦しく、冬はとても寒かったと思う。

暖かいローマからここへ来た教皇、何を思っていたのだろう。

塔の近くまで登れます。

アビニョン、旧市街。

バチカンには比ぶべくもないけれど、一時は繁栄した町。

金の天使像

先ほどの広場を見下ろす

写真は嫌いだけど、同行者が撮ってくれた。

広場

郷土人形、サントン人形を売っている。

こちら帽子屋。

ジャム

マンホール蓋。シンプル。

プラタナスの綿毛。空中を浮遊していて、ややアレルギー気味。

日本ではプラタナスは秋に強く刈り込むためか、花を見ることはない。フランスのプラタナスは高く伸び、春に花ガラが落ちるのだろうか。


 

ポークだったかな。レモン味のさわやかな味だったかな。ソースはどれもバランスがよくて食べやすかった。

シンプルなチョコレートムースはやっぱりソースが。お皿がおしゃれ。

これで観光の四日目まで見ていただきました。あと三日分あります。気長にお付き合いくださいませ。

 

 

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パリで食事

2014-04-12 | フランス旅行

旅行の記録、日を追ってあげているけれど、なかなかパリまで辿り着けません。ちょっと飽きてきたので、ここらでちょいと一休み。

最終日の夜は食事がついていません。

「日本から持ってきたオカキを食べる」とか「カード使わない主義なのでお金が心配」という意見もありましたが、レストランへ行くことにしました。

ホテル近くのカジュアルレストランです。夏時間の夕方6時はまだ明るいです。

看板。これならわかりやすいですね。

メインplatプラと飲み物で12.90€、前菜entreeアントレとメインplatまたはメインとデザートdessertデセールで17.90€、三品で21.90€です。

前菜とメインが各4種、デザートは6種類、その中から選びます。

店の入り口に店員が立っていました。

「We have no reserve,O.K?」と聞いたら「I don't understand wha't you say」ですと。もうおーーガックリ。

でも店に入って何となく席に座ったらメニュー持って来てくれました。フランスではcarteカルトと言うらしい。

で、看板の料理が写真入りで載っています。分かりやすいです。ホテル前なので、外国人客を想定したメニュー表なんでしょう。

こちらフランス語はほとんどできない。片言の英語と身振り手振りで料理を決める。ついでに三人ともグラスワインの赤ね。

vin rouge ヴァンルージュと言ったら通じた。ばんざーい!!

さらにパンかライスか聞いてきた。びっくり。当然パンです。

まずは前菜。野菜サラダ。大きな深い器にあふれんばかり。横のマヨネーズ風ドレッシングに付けて食べる。

食べても食べても減らない。ものすごいボリューム。恐れ入りました。

続いてメインは肉がいろいろあったけど、魚にした。魚はなんでしょう。白身魚をソテーしたものに、さっきと同じ器に隠元がどっさり。日本のスーバテー買う三袋分くらいが一人前。恐れ入りました。

魚は鯛でもないようだし、でもあっさりして美味しかったです。

アイスは単品で頼めば4種類の盛り合わせ、でもセットメニューでは2種類を選びます。ピーチとアーモンドにしました。

これもかなりの量です。その他にパンは例によって食べ放題。ワインはどこへ行ってもおいしかったけど、パリ最後の夕食のワイン、グラスにナミナミと。

三人で「よかったーー注文できたーーー、安くて量も多くておいしいねぇ」と喜びまくって食事しました。食べ終わる頃は店はざっといっぱいになりました。右隣は年配のご夫婦、左は私たちと同世代くらいの男性です。

レストランにレジはありません。テーブルのところで清算します。

L'addition, s'il vous plaît. ラディション、シルヴプレと言うと計算書持って来てくれます。

一人ずつ払いますはChacun paie sa part, s’il vous plaît.シャカン、ペィ、サ、パール、シルヴプレです。

私たちがフランス語が聞き取れないので、奥へ行って一人分の金額を書いたものを持って来てくれました。一人当たり27,50€の食事でした。夜の値段としては安くあげられたのではと思います。

何よりもお店の人もお客さんも私たちにとても暖かく、私たちは外国からのお客さんにこんなに親密な態度が取れるかなと反省しました。

旅の恥はかき捨てと言いますが、もう二度と行くことはないとしても、外国では次に来る同朋のために、いい印象を残しておくことが大切と思いました。私たちが親切にしてもらえたのは、今までこの店へ来た日本人が無作法でなかったからでしょう。

どの国とでもいろいろと国同士は問題を抱えてしまったりしますが、一人一人の友好の気持ちは忘れてはいけないなと思ったのでした。

こうしてフランスの最後の夜は暮れようとしています。

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フランス南部の木と花

2014-04-11 | フランス旅行

???

???

Laurier sauce ローリェかも。自信ないけど。もちろん野生。

日本のハマナスのようでもあり。

ツゲの仲間?

草丈10センチくらいのスイセン。原種かも。ギリシヤ神話のnarcissusナーシサス、うつむいている花姿ならあり得ると納得。

株になっているところも 

ローズマリー

Orchis pourpre 直訳すると紫蘭 日本ではランプレアという名前がつくらしい。

山中に黄色い花が。草丈は短いけど、これはヨーロッパ原産のIris des marais(キショウブ)に違いない。水のないところでも頑張っている。野生ですね。感動。

Euphorbe reveil-matin トウダイグサ 

カシはいろいろ 

ヒイラギのような葉。これもカシ。珍しい。

Taubouret des champs ? グンバイナズナ?

Fumeterre officinale カラクサケマン 日本でもよく見るムラサキケマンに近い。

白花も。

???

サトイモ科のなにか。花を見たいものです。

多肉植物も。

オリーヴの古木

葉は大きいけど

木肌は日本のウバメガシによく似ている。この付近は暖かくて乾燥したところのようです。

全体

と、とても楽しく山道を歩いたのでした。木と山野草の大好きな私は嬉しくてたまりません。

地中海式気候に少し湿潤な気候をアレンジしたような、とても豊かな土地のように思いました。

旅の最終日、パリ市内、サンザラール駅近くの大型書店Fnacで、でこんな本を買いました。一冊9.99€でした。

あまりたくさんは載ってないけど、ヨーロッパ固有の植物にはやはり惹かれます。

世界は広く、全てを見て廻るには人生はあまりに短く、お金も有限。でもここで珍しい植物に出会えたことを私の人生の宝物としよう。 

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ポン・デュ・ガールで植物観察をする

2014-04-10 | フランス旅行

ゴルドを出てさらに山の方へ向かいます。

着いたのは川のほとりの建物。ポン・デュ・ガールの入場券売り場です。添乗員さんがチケットを買います。

向こうに橋の威容が見えてきました。

フムフム。

けっこう流れの早い川です。

その前に橋の見えるレストランで昼食。野菜たっぷりのサラダ。クリームチーズのカナッペも。美味。

サフランで色付けした米、野菜の肉詰め。野菜はパプリカとズッキーニ。ボリューム、味ともにけっこうでした。ちなみにどのレストランもパンは籠盛りで出てきてお代わり自由。お皿の横の方に置き、ソース(お皿の汚れ)をふき取りつつ食べる。

デザートはラズベリーのケーキ。ソースが美味。むむむ、太るなあ~。フランスツアーは食事がいいなあ~


食後に橋を見学します。

紀元前19年のローマ統治時代、ユゼス山地の水源からニームという町に水を引くため、約50kmに渡り、導水路を建設。高低差は50㎞の間に僅かに17m、水が滞りなく流れるよう、平均して1kmあたり24センチの勾配を付けているそうな。

当時、水は川の水面上の49mのところを流れていた。コンピューターのない時代に構造計算をし、重機のない時代に長さ275mの三層の橋を掛ける。。。。当時の技術水準の高さにただ驚くばかり。

最下層は元の橋と同じ高さに見学用の橋がついています。歩くのはそちらです。

改めて巨大さにびっくり。

最上段の水の通っていたところは、事前に申し込むと通れるそうです。入り口を覗いています。


 

希望者は、さらに橋が見下ろせる高台へと山道を登ります。そうでない人はビジターセンターへと向かいます。バスが待っています。

私は高台へ。ここからは楽しい楽しいヨーロッパの植物観察~

名前のわからないものがほとんど。やっと探したのも間違っていると思いますので、当てにしないでください。

ヒナギク   Pâquerette  南欧でよく見る花。落ちているのはブナ科の何かの葉。名前不明。

 

 セイヨウネズ Genévrier commun 日本のネズミサシに比べて葉が長くまばら。

とここまで書いたら夜も更けてとても疲れてきたので、あとは明日以降に。いろいろと珍しい木や花がありました。乞ご期待。

 

 

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美しい村、ゴルド

2014-04-09 | フランス旅行

もう一つのカメラの画像も。

昔は水はどこから?他人事ながら心配。

広場

反対側

看板

見上げる

石畳

地形と建造物の一体化

見上げる

遠景

地層と建物

南側の広場から遠くを見る。風景独り占め。

フランスの春。プロバンスの春。

花も咲いて

ツートンカラーの菜の花。日本では見たことない。

住むには車必須。

カフェ。

ゴルドへ来て、フランスの田舎町をいろいろ巡りたいと思ったのでした。いつか行けたらいいなあ。

 

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中世の残る美しい村、ゴルド

2014-04-09 | フランス旅行

観光も三日目、フランスにもだいぶ慣れてきました。景色も建物もどぎつい色がないので、心が落ち着きます。

ホテルを出てゴルドへ向かいます。バスの中から撮るのでピンボケです。お許しを。

向こうは校庭らしい。校庭に糸杉!!さすが南欧。

プロバンスの田舎を走ります。あんなところをゆっくり歩いてみたいなあ。

ブドウ畑と一軒の農家。

山道を上がって、絶景ポイントですと言われたところで降りる。うわあーーーと声が上がり、各自で写真を撮る。

中世の城塞都市がそのまま残っているゴルド。

頂上近くの広場まで連れて行ってもらってバスを降りていたら、係員が怒った顔ですっ飛んできた。

「ここはバス乗り入れ禁止!!」とか言ってるらしい。「すみません、すぐどきます」とか言ってるらしい。下の駐車場から坂道を上がるのはきつい人も入るはず。分かってて停めたのかも。

狭い村なので各自で見学。「迷ったらとにかく上へ。この広場に着きます」とのこと。なるほど。

狭い路地を降りて行きます。古いヨーロッパのそのまま残った眺め。なぜか幸せ。同行者ともどこかではぐれてしまったけど、お互い探し合わずに自由に歩きます。

少し降りてまた引き返します。石の道に石の擁壁。はるばるとやって来たフランスの片田舎で、幸せをかみしめるおばさん一人。

近くの街からバスは一日二便だけ。鉄道なし。田舎のようです。

花の名前は? Valériane rouge ベニカノコソウと言うらしい。オミナエシの仲間。分布はヨーロッパ南部、イギリス中南部など。

建材は地元調達。色はベージュ一色。

散歩道。

石積み。

細い路地

何の花?

観光客が増えてきました。きょうは土曜日。

行き止まり?それとも奥に何かある?

広場横の土産物屋のご主人は添乗員さんとも顔なじみ。私もいろいろお土産を買いました。

ラベンダーの蜂蜜。蜂蜜好きの夫に。500g入りで重かった。容器は実用的なプラスティック。7€、多分安いと思う。

白いのは密封したガムテープ跡。

小さな石鹸各種。蜂蜜、バラ、オリーブ、ラベンダー入り。

駐車場まで歩いて下ります。もうすぐです。このあと、ローマ時代の水道橋へ行きます。

 

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ゴッホの町、アルル

2014-04-09 | フランス旅行

アルルと言えばビゼー作曲、アルルの女。どんな女性だったんだろ?

アルルは晩年のゴッホが滞在したことで有名ですが、ギリシャの植民都市になって開かれ、のちにローマ人が街を造り、その遺跡が今も残っています。

歴史地区入口にゴッホのレリーフが。片耳がありません。墓標のようにも見えます。

円形闘技場と日産の車。オーナーはたぶんフランス人。

よく保存されています。中世に一階が商店、二階が住居として利用されたため、他の遺跡のように石切り場とならずに済んだとか。

中で日本人ガイドさんの案内を聴きます。

観覧席の後ろの見晴らしのいいところまで上がると、町とローヌ川が見えます。街の角はカフェになっていることが多いです。

あの向こうにゴッホの住んでいた「黄色い家」があったそうですが、今はもうないとのこと。

「夜のカフェテラス」に描かれたカフェ・ヴァン・ゴッホ。店の前にはモニュメントが。

市庁舎の中を通って行きます。

きょうは土曜日で市長さん立ち合いのもと、結婚式があるとか。花嫁さん出てこないかな。

アルル市庁舎前の広場

元は病院だったエスパス・ヴァン・ゴッホ。

中庭がゴッホ入院当時に復元されています。

ゴッホはここにいた短い間にたくさんの絵を残し、パリにうつった後、亡くなります。絵は、病院長の息子の代になってから、「狂人の描いた絵」としてほとんどが捨てられたそう。残念ですね。

上手に描いてやろうなんて邪心は露ほどもない、真っ正直なゴッホの絵。芸術の神様に選ばれし者は、生前、誰の評価も受けることなく、弟にだけ見守られて亡くなったそうです。合掌。

今ではそのゴッホが観光資源となっているアルル。

 

周りは土産物屋たくさん。カラフルな郷土菓子カリソン。

失礼して写真撮ります。


 バスで20分ぐらいの郊外へ

跳ね橋です。

跳ね橋と言えばゴッホ、ゴッホと言えば跳ね橋。

「洗濯する女性がいない」と以前文句付けた人がいたそうですが、当時は川で洗濯していたのでしょう。

川の水運が利用されなくなり、跳ね橋は観光用に新たに作られたそうです。

近くにあった斑入りのアザミの葉。

アルルはゴッホで町おこしをしている小さな街。旧市街はこじんまりとして、歩くのに楽しそうです。

今日の宿はアビニヨンのイビススタイルシュッド。街中ではなく、郊外の幹線道路沿いにあります。

イビススタイルは全世界にチェーンを持つフランス系のホテル資本。ちょっとおしゃれなビジネスホテルのランクらしい。ヨーロッパらしい雰囲気はありませんが、使いやすいホテルです。木の下で眠るような壁紙と、アクセントカラーがおしゃれ。ここでは二泊。ゆっくり過ごせました。

ちなみに二人部屋をずっと一人で使っていました。


 

大きなレストラン併設のホテル。地元の人が週末、家族連れで食事を頼んでいました。

 

まずはウサギのテリーヌ。軟骨なども入ってそう。臭いと言う人もいましたが、私は出されたものはたいていのものなら黙っていただきます。

「食べものの文句を言わない、残さない」と厳しく躾けられた世代です。おいしくない、口に合わない、今は欲しくないと言えない性格です。よく冷えていたので、冷たさが初めに来て、味はそうわかりませんでしたね。

続いてメインが。フランスではplaプラと言うらしい。鶏肉だったかな。付け合せの白はアスパラガスではなく、白いいんげんでした。初見です。

洋ナシかリンゴのタルトだった。詳細失念。カスタードクリームでいただきます。素材の味をうまく引き出す正攻法。日本のケーキのような細工はありませんが、とてもおいしかったです。さすがフランス。

私たちが出るころは地元の人たちがたくさん食事に来ていました。8時くらいからが忙しそう。


朝は過不足なく。干しイチジクが珍しかった。トレイがオレンジ、ナプキンとマグカップは黄緑。日本人なら使わないポップな色。

でも不思議と目に優しく落ち着きます。そして元気が出るんだから不思議。

二階建てのホテル。私の部屋は一階。窓の外には中国原産、ヒイラギナンテンが。我が家の庭のより花は小さめ。

棘のある花や木は、人を近づけたくない場所によく植えられます。それはフランスも同じことのようです。

明日はゴルドとアビニヨンへ行きます。

 

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エクサンプロバンスへ

2014-04-09 | フランス旅行

ニースを出てエクサンプロバンスへ向かいます。

車窓から。ニース郊外。 石灰岩の山と、赤瓦の家が続きます。

きょうは最後尾に乗ります。三菱の軽トラがついてきます。車は右側通行。左が追い越し車線。

サント=ヴィクトワール山が見えてきました。セザンヌが好んで描いた山も横から見るとこんな感じ。

ブドウ畑が続きます。フランスは豊かな農業国です。

エクサンプロバンスの旧市街は案内されて歩いただけで、あまり印象に残っていません。

こちらサン・ソーヴール大聖堂。時代により建物の増築、改築が繰り返してこられたため、ロマネスク、ゴシック、バロック様式などの多くの建築様式が使われています。

町の人の信仰とともにあった教会のようです。

プラタナスが芽吹いています。綿毛のようなものがいっぱい飛んで、花粉症の人にはこの時期辛いかも。

朝から外でお茶するフランスの人たち。人生が楽しそう~

その横をぞろぞろと団体で歩く日本人。異文化の接点ここにあり。

向こうは旧市庁舎だったかな?EU、フランス、プロバンス州の旗が見えます。広場は市場になっています。

ラベンダーの鉢植えにプロバンス風布製品各種。

お菓子屋さん。カラフルでお洒落なパッケージ各種。

量り売りで好みの箱に入れてもらえます。菱型の、この街の名物、カルソンもあります。

夫のお土産に各種お菓子の詰め合わせを。素敵な箱です。

チョコ入りクッキー、チョコキャラメル、ヌガー、マーブルチョコのような堅いチョコ。

22€くらいだったかな。右下のチョコは遊びに来た孫娘(三歳十か月)が、瞬く間に完食。

「おうち帰ってよく歯を磨くのよ」

「うん」

「きょうは保育園やすんだんだって」

「だってみんなおうちにいるんだもん、あーちゃんも行きたくないもん」

などと楽しく会話しました。

「箱、かわいいので頂戴」と言うので帰りに持たせました。きれいなもの、可愛いものが大好きです。

広いミラボー通りにはモニュメントや自然の涌き水が。

こちらもカフェ。

この店で食事しました。

前菜。魚のパイだったかな?

ラタティユ、イカのフリッターなど。フランスは野菜がたくさんつくので嬉しい。

リンゴのタルト。美味。焦げ具合が絶妙。

ミラボー通り外れにあるセザンヌの像。キャンバス、絵具を背負って写生に行く姿。後ろは糸杉。ダビンチが描き、ゴッホが描き、南仏でポピュラーな木。

エクサンプロバンスはもっと鄙びた街かと思ってたけど、意外や意外、大都会でした。

今から10年以上前、プロバンスがブームになり、当時はそんな田舎を巡るツアーもあったと添乗員さんの話。

日本人がいきなり行って、フランスの田舎を体験するのはなかなか難しいようです。

午後からゴッホがたくさん絵を描いた街、アルルへ行きます。

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スリにご用心

2014-04-09 | フランス旅行

ヨーロッパは凶悪な事件よりも、スリや置き引きなどが多いらしい。

 

それで前回同様、ポーチには少額のお金とカード。クリップで挟み、ついでにスーツケースの鍵も入れています。キィーケースもお友達からのプレゼント。使い勝手がいいです。ありがとうございました。

たいていの店はカードOK。スーパーですらカードで支払うのが普通。ニースのスーパー、カルフールで50€出したら、ものすごく丁寧に裏表見ていた。偽札と思われたのかしら。

その他に落としても惜しくないネックレス一つ。これもポーチに。食事の時に首に掛けると、あら不思議、たちまち貴婦人に・・・な訳はありません。自分の気分だけの問題。

部屋に入るとまず帽子を脱ぎ、そこに部屋の鍵、パスポート、ミール券など入れると、私の場合整理が簡単でした。

ポーチはバッグに留めています。幸いスリには遇いませんでしたが、ルーブルではミロのビーナス前がその業界の人たちの仕事場だそうで。

各国語の注意書きがあります。

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