旅行も7日目、早寝早起き、あれこれ考えずあなた任せもだいぶ慣れてきました。
きょうはモンサンミッシェルから348キロ、約5時間かけてパリ近郊のベルサイユまで行きます。途中渋滞もなく、正午にはベルサイユに着きました。
お昼は中華です。普通の中華でした。
落ち着いたきれいな街です。
入場時刻が決められているので、このあと時間調整に日本人経営の総合土産物店に行きます。宝石やブランドバッグなどがありましたが、欲しいものがないので、あっても買えないので、淋しく皆さんの買い物を待ちます。
1860年製の蓋。日本だと江戸末期。明治維新の7年前。
こちら電話線。
バスを降りて歩いて宮殿に向かいます。
宮殿のウェブページ。日本語版 http://jp.chateauversailles.fr/jp/the-palace-
庭を見ます。広大です。ずっと向こうまで庭です。
正面の池のほとりにはブロンズ像が。
1682年製のようです。
ほらほら、池に落ちるからこっちにおいで。
今から見学です。
豪華な部屋が続きます
聖書の一場面でしょうか。説明聞いたはずなのに完璧忘れています。
ルイ14世?だったかな(違うかも。自信ありません)。古代風の衣装を身に着けています。
大理石の模様がまたすごい。
豪華。フランスの宮殿に余白の美というものはない。
シャンデリア
鏡の間は、先ほどの庭がよく見える宮殿正面。広すぎて長い廊下のよう。
第一次大戦後の講和会議が開かれ、ベルサイユ条約が締結されたのもこの宮殿ですよね。
豪華さを笠に着て、ドイツに巨額の賠償金をおっかぶせ、ドイツはものすごいハイパーインフレに。そこからナチスが出てきて再び対戦が起きた歴史の教訓にかんがみ、第二次世界大戦では敗戦国は賠償金は課せられなかったのではないでしょうか。
人間は言葉で過去を記録し、過去の過ちから学べるはず。過去から学ぶことはいつの時代にも大切。最近の日本人、学びを忘れていませんか。
戦後の日本の諸改革は、どこの国にもできなかった理想の民主主義を実現するための実験みたいなものだったと私は思う。
例えば今、他業種から農業に参入するのは地域の農地委員会の許可が必要。これは寄生地主制に再び戻らないために施策でありましょう。と、ベルサイユ宮殿から連想は広がります。駄文深謝。
鏡は築城当時、とても高価なものだったと思う。燭台も当然純金でしょう。どれだけお金かけたら気が済むのかと、おばさんは呆れる。
王の寝室。金ピカ。
中国人観光客がとても多い。しかも若い人が。今、国の勢いがあるんでしょう。
我が国も若い人が小さくまとまらず、外国へ出て見聞を広めてほしい。
ここで毎夜舞踏会。贅沢。
豪華、と言うしかなくて他に言葉を知らない。
マリーアントワネットの寝室。布は劣化するので何度か修復されたことでしょう。
左の金ピカ箪笥は、宝石箪笥だそうで。あれにいっぱい宝石持ってたんでしょうか。凄い~そりゃフランス革命も起きるはず。
天蓋。豪華さてんこ盛り。人間が考えうる最高の豪華さとでも言いましょうか。
ベッドヘッド部分。王妃はバラが好きだったそうです。
上はバラにクジャクの羽にライラックに・・・と花尽くし。
頭の後ろにはMとAのイニシャルが。
参考画像。
ルーブルのショップで自分用にポーチ買いました。写真見てようやく、デザインをパクッたのだと気が付きました。枕元に置いて寝たら私も王妃様???
出ました。いゃあ、豪華絢爛だった。イギリスのウィンザー宮殿も豪華だったけど、ベルサイユはとっても繊細なデザインを積み重ねて、全体として豪華さを出している印象。装飾すべて、考えられる限りの豪華さを追求している。
情報の多い時代の私達でもびっくりするのに、明治時代、初めてヨーロッパへ行った人はどんなにか驚いたことか。負けないように近代国家をつくらなければと、固く誓ったはず。
日本には石の建物はないので、何百年と持つ堅牢なものは出来ませんね。煉瓦の西洋建築もほとんどなくなっているし。と彼我の文明の違いをひしひしと考えさせられた。
ベルサイユ宮殿、二度も見る必要はないけど、一度は見てた方がいいのかもしれない。
このあとパリへ行ってエッフェル塔を観ますが、それは次回に。See you again!!