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ゴッホの町、アルル

2014-04-09 | フランス旅行

アルルと言えばビゼー作曲、アルルの女。どんな女性だったんだろ?

アルルは晩年のゴッホが滞在したことで有名ですが、ギリシャの植民都市になって開かれ、のちにローマ人が街を造り、その遺跡が今も残っています。

歴史地区入口にゴッホのレリーフが。片耳がありません。墓標のようにも見えます。

円形闘技場と日産の車。オーナーはたぶんフランス人。

よく保存されています。中世に一階が商店、二階が住居として利用されたため、他の遺跡のように石切り場とならずに済んだとか。

中で日本人ガイドさんの案内を聴きます。

観覧席の後ろの見晴らしのいいところまで上がると、町とローヌ川が見えます。街の角はカフェになっていることが多いです。

あの向こうにゴッホの住んでいた「黄色い家」があったそうですが、今はもうないとのこと。

「夜のカフェテラス」に描かれたカフェ・ヴァン・ゴッホ。店の前にはモニュメントが。

市庁舎の中を通って行きます。

きょうは土曜日で市長さん立ち合いのもと、結婚式があるとか。花嫁さん出てこないかな。

アルル市庁舎前の広場

元は病院だったエスパス・ヴァン・ゴッホ。

中庭がゴッホ入院当時に復元されています。

ゴッホはここにいた短い間にたくさんの絵を残し、パリにうつった後、亡くなります。絵は、病院長の息子の代になってから、「狂人の描いた絵」としてほとんどが捨てられたそう。残念ですね。

上手に描いてやろうなんて邪心は露ほどもない、真っ正直なゴッホの絵。芸術の神様に選ばれし者は、生前、誰の評価も受けることなく、弟にだけ見守られて亡くなったそうです。合掌。

今ではそのゴッホが観光資源となっているアルル。

 

周りは土産物屋たくさん。カラフルな郷土菓子カリソン。

失礼して写真撮ります。


 バスで20分ぐらいの郊外へ

跳ね橋です。

跳ね橋と言えばゴッホ、ゴッホと言えば跳ね橋。

「洗濯する女性がいない」と以前文句付けた人がいたそうですが、当時は川で洗濯していたのでしょう。

川の水運が利用されなくなり、跳ね橋は観光用に新たに作られたそうです。

近くにあった斑入りのアザミの葉。

アルルはゴッホで町おこしをしている小さな街。旧市街はこじんまりとして、歩くのに楽しそうです。

今日の宿はアビニヨンのイビススタイルシュッド。街中ではなく、郊外の幹線道路沿いにあります。

イビススタイルは全世界にチェーンを持つフランス系のホテル資本。ちょっとおしゃれなビジネスホテルのランクらしい。ヨーロッパらしい雰囲気はありませんが、使いやすいホテルです。木の下で眠るような壁紙と、アクセントカラーがおしゃれ。ここでは二泊。ゆっくり過ごせました。

ちなみに二人部屋をずっと一人で使っていました。


 

大きなレストラン併設のホテル。地元の人が週末、家族連れで食事を頼んでいました。

 

まずはウサギのテリーヌ。軟骨なども入ってそう。臭いと言う人もいましたが、私は出されたものはたいていのものなら黙っていただきます。

「食べものの文句を言わない、残さない」と厳しく躾けられた世代です。おいしくない、口に合わない、今は欲しくないと言えない性格です。よく冷えていたので、冷たさが初めに来て、味はそうわかりませんでしたね。

続いてメインが。フランスではplaプラと言うらしい。鶏肉だったかな。付け合せの白はアスパラガスではなく、白いいんげんでした。初見です。

洋ナシかリンゴのタルトだった。詳細失念。カスタードクリームでいただきます。素材の味をうまく引き出す正攻法。日本のケーキのような細工はありませんが、とてもおいしかったです。さすがフランス。

私たちが出るころは地元の人たちがたくさん食事に来ていました。8時くらいからが忙しそう。


朝は過不足なく。干しイチジクが珍しかった。トレイがオレンジ、ナプキンとマグカップは黄緑。日本人なら使わないポップな色。

でも不思議と目に優しく落ち着きます。そして元気が出るんだから不思議。

二階建てのホテル。私の部屋は一階。窓の外には中国原産、ヒイラギナンテンが。我が家の庭のより花は小さめ。

棘のある花や木は、人を近づけたくない場所によく植えられます。それはフランスも同じことのようです。

明日はゴルドとアビニヨンへ行きます。

 


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