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「軽井沢の風だより」 早坂真紀

2013-07-29 | 読書

 

 クリックで拡大。R18御代田付近からの浅間山。2008年


 

最近雨も降るけど、夏はまだ折り返しにも来ていない。

近所の公民館に行ったとき、涼しげな題にひかれて借りてきた。少しでも暑気払いできるかなと。

著者は内田康夫氏の奥さんで、自身もエッセイなど書く人らしい。これは10年くらい前の婦人公論に連載した短文を集めたもの。

1985年、軽井沢に二千坪の別荘地を求め、それ以来通年そこに住んでいるとか。子供はなく、愛犬もこの本を出した時点ですでに死んでいる。

軽井沢の四季が読みやすい文章でつづられる。自然の中に暮らすのは誰にとってもたぶん憧れだけど、冬は寒いし、夏は虫が出るし、それを楽しめる人だけが、軽井沢を楽しめるのかもしれない。

軽井沢の歴史だとか、今の時代の矛盾に対する考えだとか、そういうものをこの本に期待してはいけない。あくまでも文字でつづる淡い水彩画、ひととき味わって楽しむもの。人の心を不安で攪乱したり、これではいけないと何かに目覚めるきっかけになる本ではない。

自分でお金を出しては買わないけど、あれば読んでもいいかなと思えた本。それにしても、軽井沢関係の本って、なんで軽く自慢モードが入ってるのかしらと不思議。

カラマツも白樺も結構だけど、そればかり植えるのはどうかな。多様な植物があってこそ、本当の自然。

追分駅から追分宿までの別荘地もカラマツばかり植えていた。辺りは暗く、生き物の気配の感じられない死んだ森。カラマツを植えるという決まりでもあるのかな。管理がしやすいのかもしれない。自然の力って、たまに来るだけではコントロールできないので。

もう一つは雲と霧。雲の一部が地面に接していたら霧というのが一般論だけど、富士山にかかる雲はやはり霧ではなくて雲ですよね。雲の中に人が巻き込まれて、あるいは間近に見る場合のみ霧というのかも。

秋口に広島県の盆地に見られる雲海、中に入る人にとっては霧。徐々に霧が上がると雲になるけど、これもやっぱり人の近くにある場合は霧なんでしょうね。

曖昧模糊とした日本語の、わけても違いのはっきりしないのが雲と霧。それをこの本を読んで改めて考えた。

コメント (2)
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