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内子、大洲、高知、夏の旅・・・2

2013-07-16 | 旅行

14日、日曜日。朝の内子の街並

二階の手前の部屋に同行人がまだ寝ています。早く起きれ!!

本芳我邸の鬼瓦に鏝絵

骨董屋

山野草の盆栽

実業家の屋敷跡。今は地区の催物に使われている。

宿へ戻りました。坪庭で明るい。

朝ごはんです。ウィンナーはドイツで修業してきたご子息が作っているとか。spicyでおいしかったです。道の駅内子フレッシュパークKARARにも置いてあります。

道の駅で。

奥は川に面して休憩する場所

森の中のレストラン

川べりを歩いて吊り橋を渡ります。

上流

下流

水辺。

リゾート地のような白い椅子とテーブル、そして木陰。

立ち去り難い内子ですが、そろそろ大洲へ向かいます。

 

 

 


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内子、大洲、高知、夏の旅・・・1

2013-07-16 | 旅行

7/13 午後から出かけます。広島都市高速→山陽道→しまなみ海道→松山道と走って、目的地は愛媛県内子です。宿に行くにはまだ早いので、小田川を遡り、大瀬まで行きます。

集落のT字路。魚屋さんが鯖を丸ごと焼いています。いい匂いの煙が漂い、近所の人数人が雑談しています。

家の後ろは川、国道、そしてすぐそばまで迫る森。

反対側の山裾には「大瀬の館」、旧村役場の建物を集会や宿泊の施設として再生しています。

 

藩政時代から製紙の材料、ろうそくの材料などの集積で栄えた村の面影がよく残っています。歩いて10分くらいの短い街並みですが、酒屋数軒、魚屋などもあり、豊かな地方だったことが想像されます。

この道は内子から久万高原町へ行く主要な通りだったようです。ビールケースの向こうがノーベル賞作家の実家です。土間で犬がずっと鳴いていました。

新聞販売店の軒下には、各紙取り混ぜて、家ごとに入れてあります。新聞は配達されるのではなく、ここまで各自で取りに来ます。車で来た人もありました。

種物各種。野菜の種類が多い。

大瀬小学校。山がすぐ後ろまで来ています。

この後お寺へ行く途中で女の子に話しかけられました。

「きょう、クワガタ獲った。水の上で泳いでいたので手で獲れた」と嬉しそうです。

「そう、よかったね。何歳?」

「六歳」

「一年生?」

「うん」

「もう夏休み?」

「ううん、19日から」

「そうなんだあ、一年生は何人?」

「十人。おばちゃんたちどこから来たの」

「広島よ。知ってる?」

「知ってる。結婚式で行った。車で行って遠かった」

「そう、またおいでね」

「うん」

それから女の子は家族が待つ軽トラの助手席に乗り込んでいきました。

「ばいばい、またね」

「またね」と手を振る私。かわいくて人懐っこい女の子でした。


 

万延元年のフットボール、芽むしり仔撃ち、同時代ゲーム、飼育・・・深い森に囲まれた谷沿いの集落が舞台になった小説の数々。村には、昔は砂利道の旧国道しかなかったのでしょう。

東京からシュトロエンで谷間の村へ帰る鷹四、万延元年の印象的な場面です。いまでも外車で乗りこんだら超目立つ集落、ましてや作品の発表された1960年代に置いておや。そうだ、あれもまた妊娠小説だった。

自分が大瀬に行くなんて夢にも思っていなかった。便利になったものです。長生きはするものです。


内子町の古い街並みの中に今夜の宿、月乃屋さんはあります。約束の18時に遅れること2分、ご主人は家の前で待ってくれて駐車場へ誘導してくださいました。

よくいらっしゃいました。我が家の畑で今年初めて採れた西瓜です。色はこんなですけど甘いです。

甘くておいしい西瓜でした。

お風呂の後、一階の坪庭に面した部屋で夕食をいただきます。新鮮な野菜たっぷり、野菜とコメは自家製だそうです。とてもおいしかったです。肉は養豚をされる親戚からの仕入れだそうで。

スペアリブがまたおいしい。こちらも内子産の豚だそうで、味が濃くてジューシィ~♪

アジとか

デザートもおいしいです。

田舎の親戚のようにくつろぎます。扇風機があるとぐっと家庭的。

囲炉裏もあります。蚊遣を炊いています。向こうが通りに面しています。

家の造りは通り庭に坪庭、奥にまた部屋と、京都の町中の家の造りとよく似ています。坪庭があることで、奥の庭にも光と風が通ります。

部屋にはぬあんと蚊帳が。もう使ったことない世代も増えたことでしょう。あんまりにも懐かしいのでつい吊るしてしまいました。蚊なんていないのに。

天井の明かりがぼんやりとして、そうそうこんな感じだったと、体の緊張がほどけて行きます。

内子の街は夏まつりでした。大勢の人が街に繰り出して楽しんでいます。子供は浴衣を着て、お小遣いでかき氷を買ったりして、嬉しそうです。

木蝋の取引で栄えた芳我家は立派な作りです。

うろうろしているうちに宿のご主人夫妻と出会いました。お二人もお祭り現物です。誘われて川のところまで行き、花火大会を見ることにしました。奥様が高校生のとき以来、何十年ぶりに復活したそうです。

川の手すりにもたれ、ご夫婦といろいろ話します。団扇を一つ貸してくださって、虫よけスプレーも貸していただきました。これはもう旅館の経営者と客という関係ではないでしょ。言うならば、親戚か知り合いの家に泊まりに行ったような感じ。ちなみに客は我が家の二人だけ。全館貸切。くつろぎます。

地元の人に交じって、よそ者扱いされることもなく、川の向こうに上がる花火を見ている。花火見て腹立てたり、悲しがる人はいないはず。みんな幸せそうです。その幸せが私にも伝わってきて、幸せな気分になります。

これはもう太宰の「津軽」の世界ですね。偶然だったけど、夏祭りに行き合えてよかった。

川の向こうの川原で打ち上げます。10分間だけだけど、すぐ目の前に見えて迫力満点。

涼しい風も吹いてきて、また来た道を宿へと引き返します。こんどまた別な人と来てみたい、そう思った癒しの宿でした。旅はまだまだ続きます。

月乃屋さん

http://www.youtube.com/watch?v=EZ_-ubYVr6U&feature=youtu.be


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国民を守ってきた日本国憲法

2013-07-16 | 日記

http://blog.tatsuru.com/2013/07/12_1234.php

内田樹氏のブログはたまに読むけど、いつもなかなかに深い。

内田氏は、ブログを小さな出版社に見いだされて出版、それ以後刺激的な論考を次々世に問うてきた。ブログ出身のライターが、紙の媒体で出すのは大出世。ネット社会がいかに進もうと、この原則は変わることはないと思う。羨ましい。

この論の中で膝を打ったのはこのような趣旨の一節。

日本国憲法が施行されて以来、日本人の誰一人として戦死していないし、一人の外国人も殺していない。

私が思うに、なんという鉄壁のありがたい憲法であろうか。

こんなにはっきりとわかりやすいことに、なぜ改憲論の人たちは気が付かないのか。あるいは気が付かないふりをするのか。

軍事面で、アメリカの世界戦略に組み込まれてきた戦後の日本。朝鮮戦争、ベトナム戦争、日本は極東の重要な基地として位置づけられ、戦争に利用された。忸怩たるものがあるし、片棒を担いだ、担がざるを得なかったことは悔しいけれど、それでも日本人が戦争に参加しなかったことは、もっと誇りに思っていいと思う。

改憲論、なんか急に言わなくなったけど、巧みに論争を避けつつ、参院で多数を得たなら必ずや改憲に向かって猛進すると思う。勇ましいこと言うと自分が偉くなったように錯覚する、幼児的誇大妄想。国の指導者がそんな単純なことでいいはずがない。ほかの国々はもっともっとしたたか。

膨大な国家財政の赤字と、いまだ反応をし続けて放射能をまき散らし続ける原発事故、それなのにさらに借金を積み重ね、原発を再稼働へと向かう狂気。とてもまともな国と思えない。

選挙というのもまどろっこしくてイライラするけれど、取り敢えず政見をよく読み、勉強しておかなくては。


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