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初めてのドライブ旅行 その10 ( 伊藤博文 旧宅・別邸 )

2013-11-29 07:17:39 | 建物紀行
 車は、「松陰神社」に停めさせて頂いたまま、徒歩で、「伊藤博文旧宅・別邸」に行くことにしました。


     
     伊藤博文旧宅のお隣には、伊藤博文の像が建てられています。(もしかして萩焼?)
     


          
          木造茅葺き平屋建て、29坪のこじんまりした旧宅


                 
          どんな子供時代を過ごされたのかしら?


          
          お風呂もトイレもお外なのですね。

 旧邸のお隣には、別邸が移築されています。

『別邸は、伊藤博文公が明治40年(1907)に東京に建てたもので、当所へ、玄関、大広間、離れ座敷の三棟を移築しました。』(「城下町 萩を歩く」より)

     
     
     文久3年(1863)ロンドンで撮影された「長州ファイブ」(萩博物館蔵)

 「長州ファイブ」 左から 初代外務大臣 井上馨(29歳で密航)・造幣局長 遠藤謹助(28歳で密航)・鉄道庁長官(鉄道の父)井上勝(21歳で密航)・工部卿(工業の父)山尾庸三(27歳で密航)・初代内閣総理大臣 伊藤博文(23歳で密航)
 
 萩観光協会の方から送って頂いた中に「萩藩英国留学生 長州ファイブ -近代化に挑んだ5人の萩藩士ー」という資料があり、このロンドンで撮られた写真と、立場を得てからの写真が載っていました。どの方も、信念を持った生き方をした良いお顔になっていました。
密航という書き方をされていますが、萩藩としての派遣のようです。
ここ萩では、歴史は教科書の中ではなくて、町そのものに存在している感じでした。


 宮大工 伊藤満作の手による「別邸」の一部(玄関、大広間、離れ座敷の三棟)を移築したとのことですが、東京府下荏原郡大井村(現品川区南部)からこの萩の町まで運んでくるとは・・・? 萩の町の方々は、どれほどの情熱を持っていたのかしら?
・・・とちょこっと違う方向の見方をしながらの見学です。
     

     


     


     


     


     


     


     


     


     
     別邸から旧宅を望む  


     
     鏡天井

『鏡天井
 元々昔は平らで大きい板を鏡板と呼んでいたので、この天井は鏡天井と言われています。
この板は紀伊半島の山中、奈良県の吉野山で発見された「吉野杉」(=Japanese Ceeder)で、稀に見る無節無傷、樹齢約千年の価値ある杉板です。見えている部分の板1枚の実測値は、幅145cm、長さ366cm、厚さは3cmです。
東京品川にあった時にはこの板はつながっていて1枚板だったが、トラックに積めないのでやむを得ず切断したという逸話があります。
なお隠れて見えない部分を含めると元の1枚板は、縦1088cm、横202cmの大きさだったとか。』(説明看板より)
 

  施設紹介   伊藤博文 旧宅・別邸  山口県萩市椿東 1511-1


 さて、まだまだ、見て歩きたい「萩の町」ですが・・・。取りあえずこのあたりで切り上げ、kaoが行ってみたいと希望していた「津和野」に向かうことにしました。
「萩の町」には、いつになるかは未定ですが、まだ一度も訪れたことのないだんなさんと一緒に、再訪するつもりです。
萩八景遊覧船、萩城跡、鍵曲、萩藩御船倉、笠山、明神池、大照院、萩反射炉、等々、ゆっくり、じっくり、歩き廻ってみたいと思います。

                                                   つづく