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ちょこっとドライブ その2 ( 虚空蔵堂と言いなり地蔵 )

2014-01-08 07:10:21 | 不思議紀行
 杉原山中腹には、「虚空蔵堂」と「言いなり地蔵」があります。


     
     小さな赤いお堂の「虚空蔵堂」


 『杉原山虚空蔵堂

 このあたりは杉原山と言います。今から約五百年前に創立された本能寺 村松一丁目のたきぎ取りのやまであり、当時は杉原山全体が同寺の飛地境内でありました。現在、この仏堂の境内ちは、六十六平米程であります。
 戦国時代甲斐の武田信玄がまだ世に出なかった徳川家康を攻め、窮地に陥れました。
その時、家康を追い詰めたのは信玄の家臣、今福丹波守主従七人であったといわれますが、ついに家康を探し出すことができず、ご主君に申し訳ないと、この地で無念の自害をしたと伝えられています。
 後に村人達は、この七人の悲運を哀れに思って「七代様」と呼んで供養してきました。
七代様を虚空蔵菩薩としてお祭りするようになったのは、今から二百年余り昔の明和八年(1771年)本能寺第十八世遠寿院日問上人の時からであります。 昭和六十年二月 不二見地区まちづくり推進委員会 清水市立第四中学校郷土研究部』   (案内看板より)

     
     地区の方々が今もお守りしているようです。
     

     
     優しいお顔のお地蔵様と円空仏を思わせる木彫りの仏様が並んでいました。


 ご主君様に申し訳ないと自害してしまうとは・・・。今の時代では考えられないようなことですが・・。
清水区には、今福丹波守の御子孫のお宅が今でもあるとか・・・?  敵味方の区別が今のようにはっきりしていない時代だったのかもしれませんね。

 さて、虚空蔵堂から少し下って、調整池から流れ出る川に架かった小さな橋を渡ると「言いなり地蔵」です。

     
     小さなお社とお休み処があります。

 『由来

  時は元和2年(1616年)の夏に、老行者あり、この地にて病になりました。
村人は昼夜親切に看護す。
「われは地蔵菩薩の化身なり。逝きて後、この地に地蔵菩薩を建てよ。いかなる願いも叶う程に。」と。
村人は地蔵菩薩を建てて供養し、いつしか「言い成りさん」、「いいなりさん」と信心厚き人々により詣である線香の煙絶える事なし。

平成8年3月吉日 再建』(案内看板より)


     
     とても大切にされているようです。


     
     お願い事には、お線香を二本、お祈りには、一本。お地蔵様が微笑んで見えたら、願いが叶うとか・・・?


     
     お隣に祀られていた石、狛犬のようにもお地蔵さんのようにも見えます。    
     

     
     大きな木の根元にも小さなお地蔵さんが祀られています。


     
     紙で作られた干支の絵馬 


     
     願い事いっぱい! 

 
 「言いなり」になってくれるお地蔵さんって? 願い事は何でも叶うのね~。お地蔵さん、大変そう・・・と思いながらも、しっかり手を合わせてお願いしてしまう私でした。優しげなお顔のお地蔵さんの前では、素直な気持ちになれる気がしました。
掛川に言うことのまま願いを叶えてくれる「事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)」という神社があったような・・・。
「事任八幡宮」のことは、以前のご紹介のページを見てね。




         虚空蔵堂
   
         いいなり地蔵    静岡市清水区村松 2188の鉄舟寺より北に280m程歩き左折、
                      いいなり地蔵の看板あり。
                      看板の上、橋を渡ると「いいなり地蔵」

                      いいなり地蔵の看板を右に道なり、突き当りが「虚空蔵堂」 


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