さて、西洋館巡りの続きです。
山手234番館
『 山手234番館
朝香吉蔵の設計により昭和2(1927)年頃に建築された外国人向けの共同住宅で、横浜市に現存する数少ない遺構の一つです。従来は同一形式の住戸が中央玄関の玄関ポーチを挟んで、左右対称に向かい合い、上下に重なっていました。1階では山手の総合案内、2階は展示や会議などに使用できます。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
山手234番館お向かいの電話ボックス
ここにも素敵なレストランが・・・。「えの木てい 本店」
エリスマン邸
『 エリスマン邸
日本の建築界に大きな影響を与え「現代建築の父」と呼ばれたA.レーモンドの設計。横浜の大きな絹糸貿易商シーベルヘグナー商会の支配人であったエリスマン氏の私邸として大正15(1926)年に山手127番地に建築されました。
現在の元町公園には、平成2(1990)年に移築復元されました。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
ベーリックホール
『 ベーリックホール
イギリス人B.R.ベリック氏の邸宅として、J.H.モーガンの設計により昭和5(1930)年に建てられました。スパニッシュスタイルを基調とし、戦前の西洋館としては、最大規模を誇る、建築学的にも充実した価値のある建物です。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
1923年、関東大震災で倒壊、ヤン・ヨセフ・スワガー設計により1933年に再建された「カトリック山手教会」
ここで、ちょこっと左にそれて、フェリス女学院大学の奥にある庭球発祥の地にも行ってみることにしました。
フェリス女学院の門の前の大きな「タブノキ」
1878(明治11)年、外国人専用の山手公園内に5面のコートがつくられ、本格的に庭球が始められた「日本庭球発祥之地」
テニス発祥120周年を記念して設立された「テニス発祥記念館」
外国人向け賃貸住宅として、昭和9(1934)年に建てられ、現在は、山手公園管理事務所になっている「山手68番館」
外交官の家
『 外交官の家
明治43(1910)年に明治政府の外交官・内田定槌邸としてアメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台に建てられたものです。平成9(1977)年にこの地に移築され、同時に国の重要文化財に指定されました。建物は、木造2階建て・塔屋付でアメリカン・ヴィクトリアン様式を基本としています。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
お庭のイチョウは地面を黄色く染めています。
ブラフ18番館
『 ブラフ18番館
大正末期に建てられた外国人住宅で、カトリック山手教会の司祭館として平成3(1991)年まで使用されていました。
平成5(1993)年にイタリア山公園内に移築復元され、館内では、震災復興期(大正末期~昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、当時の横浜家具を復元展示するなど当時の暮らしを感じることができます。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
黄色に色づく大きなイチョウの木
明るい秋色を満喫しました。
「横浜山手西洋館」、スタンプを押しながら(時々忘れそうになったけれど・・・)、のんびり見学しました。建物の特徴とか素敵な部分をじっくり見てくるつもりでしたが、華やかなクリスマスのディスプレイに気を取られてしまい、建物そのものをじっくり見てこなかったことが、少し残念でした。季節を変えて行ってみようかな?
西洋館では、スリッパに履き替えるところが多かったので、脱ぎ履きが楽な靴で行くことをお薦めします。(私にはアドバイスをしてくれていたのに、当日の寒さにそんなことはすっかり忘れてロングブーツで来てしまったkaoは、建物の入り口で、大変そうでした・・・。)
この後、大丸谷坂を石川町駅方面に下って、元町散策を楽しみました。
つづく
山手234番館
『 山手234番館
朝香吉蔵の設計により昭和2(1927)年頃に建築された外国人向けの共同住宅で、横浜市に現存する数少ない遺構の一つです。従来は同一形式の住戸が中央玄関の玄関ポーチを挟んで、左右対称に向かい合い、上下に重なっていました。1階では山手の総合案内、2階は展示や会議などに使用できます。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
山手234番館お向かいの電話ボックス
ここにも素敵なレストランが・・・。「えの木てい 本店」
エリスマン邸
『 エリスマン邸
日本の建築界に大きな影響を与え「現代建築の父」と呼ばれたA.レーモンドの設計。横浜の大きな絹糸貿易商シーベルヘグナー商会の支配人であったエリスマン氏の私邸として大正15(1926)年に山手127番地に建築されました。
現在の元町公園には、平成2(1990)年に移築復元されました。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
ベーリックホール
『 ベーリックホール
イギリス人B.R.ベリック氏の邸宅として、J.H.モーガンの設計により昭和5(1930)年に建てられました。スパニッシュスタイルを基調とし、戦前の西洋館としては、最大規模を誇る、建築学的にも充実した価値のある建物です。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
1923年、関東大震災で倒壊、ヤン・ヨセフ・スワガー設計により1933年に再建された「カトリック山手教会」
ここで、ちょこっと左にそれて、フェリス女学院大学の奥にある庭球発祥の地にも行ってみることにしました。
フェリス女学院の門の前の大きな「タブノキ」
1878(明治11)年、外国人専用の山手公園内に5面のコートがつくられ、本格的に庭球が始められた「日本庭球発祥之地」
テニス発祥120周年を記念して設立された「テニス発祥記念館」
外国人向け賃貸住宅として、昭和9(1934)年に建てられ、現在は、山手公園管理事務所になっている「山手68番館」
外交官の家
『 外交官の家
明治43(1910)年に明治政府の外交官・内田定槌邸としてアメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台に建てられたものです。平成9(1977)年にこの地に移築され、同時に国の重要文化財に指定されました。建物は、木造2階建て・塔屋付でアメリカン・ヴィクトリアン様式を基本としています。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
お庭のイチョウは地面を黄色く染めています。
ブラフ18番館
『 ブラフ18番館
大正末期に建てられた外国人住宅で、カトリック山手教会の司祭館として平成3(1991)年まで使用されていました。
平成5(1993)年にイタリア山公園内に移築復元され、館内では、震災復興期(大正末期~昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、当時の横浜家具を復元展示するなど当時の暮らしを感じることができます。』(公益財団法人 横浜市緑の協会「横浜山手西洋館マップ」より)
黄色に色づく大きなイチョウの木
明るい秋色を満喫しました。
「横浜山手西洋館」、スタンプを押しながら(時々忘れそうになったけれど・・・)、のんびり見学しました。建物の特徴とか素敵な部分をじっくり見てくるつもりでしたが、華やかなクリスマスのディスプレイに気を取られてしまい、建物そのものをじっくり見てこなかったことが、少し残念でした。季節を変えて行ってみようかな?
西洋館では、スリッパに履き替えるところが多かったので、脱ぎ履きが楽な靴で行くことをお薦めします。(私にはアドバイスをしてくれていたのに、当日の寒さにそんなことはすっかり忘れてロングブーツで来てしまったkaoは、建物の入り口で、大変そうでした・・・。)
この後、大丸谷坂を石川町駅方面に下って、元町散策を楽しみました。
つづく