「富岡製糸場」では、希望者は、ガイドツアーの解説なども聞きながら見学することもできます。私たちは、自分たちのペースで見て歩きました。
乾燥場(外観見学のみ)
『乾燥場
生糸の原料となる繭を乾燥させた工場です。
繭の中の蛹を殺すことと繭の長期保存に備えて繭からカビが発生するのを防ぐことを目的として繭を乾燥させます。
この建物は、大正11年(1922)に建設され、その後、昭和17年(1942)まで増築・改装が行われ、操業停止まで 使われました。
現在残る乾燥機6台は、繭を1階からベルトコンベアーで2階に上げて乾燥機に投入し、8段に分れている内部を下段に移動 していく中で約6~8時間かけて温度調節をしながら繭を乾燥させることができました。』(説明看板より)
乾燥場の隅に置かれた「目標」 当時の人々の頑張りが見えるような気がします。
高々とそびえる蒸気釜所の煙突
西繭倉庫(外観見学のみ)
『西繭倉庫
明治5年(1872)建築
長さ 104.4m 幅 12.3m 高さ 14.8m
東繭倉庫と同様、2階を繭の貯蔵庫として使用しました。建築の構造・大きさは、ほぼ東繭倉庫と同じです。
1階北半分の煉瓦の違いにご注目ください。この部分は建築当初には煉瓦壁はありませんでした。
蒸気エンジンを動かすための石炭置き場として使われていました。
現在のような状態になったのは、昭和後期になってからです。』(パンフレットより)
小さな祠 (立ち入り禁止区域なので、遠くから撮影)
検査人館(外観見学のみ)
『検査人館
明治6年(1873)建築
生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居として建設されました。
後に改修され、現在は事務所として使用されています。
2階には、皇族や政府の役人が訪れた際に使用された「貴賓室」が、大理石のマントルピースを備えた形で、
ほぼ当時の状態で残されたいます。』(パンフレットより)
女工館(外観見学のみ)
『女工館
日本人工女に、器械のよる糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居として建築されました。
ベランダの天井には板が格子状に組まれ、当時の日本建築しはない特徴が見られます。』(パンフレットより)
実は、工場見学や建物がとても好きで、工夫や改善などに興味深々、つい力が入ってしまい、2回分でもまだまとめられずにいます。「富岡製糸場」は、新しいものを受け入れて行く”勢い”が感じられます。
・・・ということで、まだ・・・・つづく。
昨夜、だんなさんとある方のお話を聞く機会に恵まれました。久し振りに”夢”を語る政治家に会いました。世界が大きく広がっていくのを感じました。
かなり下まで雪が降った 今朝の富士山
気付けば、もう10月も半ば過ぎ、やっと”暑い”の言葉ともお別れできた感じです。