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異国 長崎 ぶら~り旅 その13 ( 眼鏡橋と中島川の石橋  )

2012-09-08 08:29:24 | 橋紀行
 石橋からは、路線図 緑色の蛍茶屋行きの路面電車に乗って、賑橋で下車、眼鏡橋に向かいます。


     
     龍馬と並ぶ「上野彦馬」

 上野彦馬は、日本人初の写真家、私たちがよく目にする龍馬の肖像写真を撮ったとも言われています。(現在の研究では、彦馬の弟子、井上俊三の撮影であることが通説となっているらしい?)
 さて、ここからは中島川に沿って歩きます。


     
     中島川 第11橋  袋橋

『この橋の記録がなく、架設年、架設者ともに不明。中島川下流に架かる橋の中では眼鏡橋に次ぐ古い石橋との説もありますが確証がありません。
 享保6(1721)年閏7月以降、度々の洪水にも流失を免れており、壁面を整然と積む長崎型石造アーチ橋の形態を良く残しています。
 袋町に架かることから、袋町橋と呼ばれていましたが、明治15年に袋橋と命名されました。 』(案内看板より)


     
     古そうな擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ) 


     
     勝手に「片眼鏡橋」と命名 


     
     中島川 第10橋  眼鏡橋

『1634(寛永11)年、興福寺の唐僧黙子如定禅師によって架設されたといわれていますが、寛文3(1663)年の大火で諸文書が消失したため、確証はありません。日本最古のアーチ型石橋で、長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5,46mあります。しかし、正保4(1647)年6月の洪水で損害を受け、慶安元(1648)年、平戸好夢(こうむ)によって修復されました。
 川面に映った影が双円形を描くことから「めがね橋」と呼ばれていましたが、明治15(1882)年、正式に眼鏡橋と命名されました。
 この中島川には、かつて14のアーチ石橋がありましたが、1982(昭和57)年の長崎大水害により、眼鏡橋ほか2橋が一部崩壊、6橋が流失しました。眼鏡橋は1983(昭和58)年10月に、桃谷橋、袋橋は1985(昭和60)年1月に復元されました。 』(案内看板より)


     
     なるほど、眼鏡のようです。 川岸の柳の緑もとても綺麗です。


     
     袋橋と眼鏡橋の間に川を渡れるように、石が置かれているので、渡ってみました。


     
     下からも見ることができます。



     
     中島川 第8橋  東新橋

『1673年架設、1800年架替え。1982(昭和57)年の長崎大水害により流失したため1986年、昭和の石橋として架設されました。 』

     
     
     美しい石の橋です。


     
     車は、通れません。


 中島川には、たくさん橋が架かっているようなので、いつかひとつひとつゆっくり見て歩きたいと思いました。(実は「橋」も好き!)この辺りは、なんとなくのんびりとして良い雰囲気です。
川は、あちらとこちらを隔ててしまうものですが、橋は、あちらとこちらを繋ぐものです。川があり、橋があり、人々が行き来する日常、毎日の営みが当たり前で、とても尊いことだと、古い橋を見ながら、ふと思いました。


                                               つづく