700万人近くいると言われる団塊世代。
ちょうど今60歳から62歳になる。
私は63歳だから一つ上。
持ち家で、子供は独立して、多少の蓄えもある(私は例外です)。
さてこれからどうするかといった人がたくさんいると思う。
子供の頃から生存競争にさらされ、還暦まで息を止めて走り抜いた。
ほっと一息。
さあどうしましょう。
体力も知力も有り余っています。
はっきり言えることは、みんな社会のために役に立ちたいと思っているということ。
収入はないと困るけど、たくさんなくてもなんとかなる。
これからは自分のために働くのではなく、他人のために働きたいと思っている。
しかし、馬車馬のように働いてきたから、これから何をどうすれば生きがいにめぐり合えるか分からない。
なんとかその手助けをしてあげたいと思っている。
ちょうど今60歳から62歳になる。
私は63歳だから一つ上。
持ち家で、子供は独立して、多少の蓄えもある(私は例外です)。
さてこれからどうするかといった人がたくさんいると思う。
子供の頃から生存競争にさらされ、還暦まで息を止めて走り抜いた。
ほっと一息。
さあどうしましょう。
体力も知力も有り余っています。
はっきり言えることは、みんな社会のために役に立ちたいと思っているということ。
収入はないと困るけど、たくさんなくてもなんとかなる。
これからは自分のために働くのではなく、他人のために働きたいと思っている。
しかし、馬車馬のように働いてきたから、これから何をどうすれば生きがいにめぐり合えるか分からない。
なんとかその手助けをしてあげたいと思っている。
働くは「傍を楽にする」と片貝さんは良く言われていますが、これを現代人は忘れているのではかいかと思います。傍とは、そばにいる人と言うような意味ですね。困っている人がいたら助ける、楽しいことは共有する、悲しいことがあったら励まし合う、私もこんな世界を宮沢賢治みたいに夢想することがあります。市場経済とは全く無縁の世界です。
あの詩は圧倒的ですね。。