片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

五味君懐かしいですね。ご苦労さまでした。

2012年01月08日 | 子供時代の思い出
朝日新聞埼玉版に高校の同級生が写真入りででかでかと載っていた。
群馬県渋川工業高校電気科の同級生だ。
高校2年の時東京オリンピックがあった。
彼は陸上部で、聖火リレーに参加した。
写真は、そのときのトーチだ。


彼の経歴にはこう書いてある。

1947年2月  群馬県渋川市に生まれ、地元の工業高校陸上部主将として東京オリンピックの聖火ランナーを務める。
1965年4月  大倉電気に入社。秩父工場に配属。
1087年9月  労働組合委員長に就任。
2001年10月 会社が民事再生法に基づいて倒産。同社名で再生。
2007年3月  定年で嘱託に。
2011年3月  嘱託契約満了で退職。

もういいでしょう。これ以上は働かなくても。

46年間苦労の連続だったという。
会社は電話の中継所に使う増幅器を作り電電公社に納めていた。
一生懸命働けば社長になれると思っていたという。
転機は臨時工の解雇だった。迷わず、簡単に首を切られてしまった労働者を支援した。そのせいか事務担当に配置換えされ、上司に監視された。希望退職の肩たたきにも耐えた。人より率先して働いた自負があった、当然定年まで働けると思っていた。それが会社の都合で人生を振り回されることに遭遇した。
そして労働組合の委員長になった。
その間にも会社は縮小を続け、仲間が去っていった。
1800人いた会社はついに倒産し、100人の会社として再生した。
五味君は嘱託社員として最後まで残り、営業を続けた。

二人の子供は独立し、奥さんと秩父の自宅で二人暮らしだという。

私も、もしかしたら同じ道を辿ったかもしれないと思った。

ごくろうさまでした。
いつかお会いできればと思います。


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