11月1日の記述
先日、妹がブログ記事に、那須旅行で寄った歴史的に由緒ある牧場の写真を載せていました。
https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014/e/c1cddfcdb496cce6ac9610cbdbb1bdf4
牧場というだけで、私の心はときめきます。
少女時代から、牧場は私の憧憬の地。
将来は、牧場の経営主の奥さんになるというのが、その頃の私の夢でした。
実際は、想像以上に大変なお仕事なのかもしれません。
私が夢見た暮らしは、雇人もたくさんいる大牧場経営主の奥さんの日常。
さもないと叶わないような、甘ったれた夢だったのでしょう。
六甲山牧場
そんな夢を心の片隅に忍ばせていた高校生の頃、クラスの友人5~6人で、近郊の牧場に出かけたことがあります。
感動したのは言うまでもありません。
牧場の入り口近くにどこまでも続く人影のない一本道があり、両側は、新緑の葉が眩しく輝いていました。
思春期だった当時の私が思ったことは、
「この一本道を恋人と、どこまでも歩き続けてみたい」でした。
これは箱根旅行した時の湿生花園の画像ですが、これにとてもよく似た雰囲気の道でした。
今でもその道の風景を鮮やかに想い出すことができます。
それから60年以上経過していますのにね。
その時抱いた想いは、思春期の憧れ、そのものだったのでしょう。
その後、牧場の風景に出逢うことはめったにありませんでしたが・・・。
長女夫婦が結婚して間もない頃、一緒に那須旅行に出かけた時寄った牧場。
次女の義父母様の別荘に招かれ、蓼科に旅行した時、次女夫婦に案内してもらった蓼科牧場。
この時は「地平線に向かって歩き続ける」といった夢が叶いました
後方では、次女夫婦が見守ってくれているといった安心感があったから、できたことでしょう。
広い空を仰ぎながら、緑滴る牧草の大地を踏みしめて、私は一人でテクテク、テクテク、とどこまでも、どこまでも・・・。
すると突然、何の趣もない崖っぷちに。
私の夢は、そこで空しく果てました。(笑)
これからの画像はすべて、六甲山牧場で撮ったものです。
そして一番近い良き想い出は、夫が亡くなって数年後、神戸の六甲山牧場に立ち寄った時のもの。
この時は一人旅でしたので、思う存分、牧場の景色を堪能し、大感動しました。
台風が来る前で、怪しい空模様。
時に霧がかかり、まるで幻想の世界。
すっかり心を奪われた私は、人影もほとんどない美しい牧場を独り占め。
私の若い頃からの憧憬が、十分満たされたひと時でした。
そういえば、もう一つありました。
主人と初孫のR君を連れ立って出かけた、北海道旅行の時、訪れた富良野。
町全体が牧場のような景色で、地平線が望めるのどかな平原のなんと美しかったこと。
そこに二重の虹がかかるといった幸運にも恵まれました。
六甲山牧場とともに、できる事なら、再度訪れてみたいところですが・・・。
でも、もう旅行はいいかな。
体力は落ちていく一方ですし、脊柱管狭窄症で歩行が困難になり、数か月間味わった苦労の辛酸が今も忘れられません。
生活を六割に落とすか、手術しかない、と大病院の整形外科医に診断を下された私の脚でしたが。
今は奇跡的に回復しています。
無理をしてまた再発すると、今度こそ杖の暮らしになるに違いありません。
ですから、足を労わり労わり、適度の運動を心がけて暮らす。
今の私の気持ちです。
牧場の美しい風景は、今でも折に触れ懐かしく想い出し、心の潤いになっています。
それで十分。
平凡ながら素敵な日常を、アンダンテのリズムで、体をいたわりながら丁寧に紡ぐ。
今の私は、それを一番望んでいます。
ライフスタイルとシニア日記ランキングに参加しています。
下のピンクのバナーに応援のポチッをいただけますと、励みになり大変嬉しいです。
にほんブログ村
ありがとうございました。
花のように泉のように