数年前に、私が患った脊柱管狭窄症。
このことについて、今の私の思いを、また語らせていただきます。
前と同じような内容ですので、興味のない方は、スルーしてくださいね。
せめて、私が旅した時に撮った写真だけでも、目にしていただけると嬉しいです。
脊柱管狭窄症の診断を受けてから、もう二年以上が経過。
最近の新聞広告の健康雑誌の見出しには、この病名が再々出るようになりました。
高齢者の典型的な病の一つなのでしょう。
このような雑誌を買い求めて、今後のために少しくらい勉強すればいいのに・・・。
私はこの類のものに目を通すことは、全くと言っていいほどありません。
この病名の診断を受けた時、ネットの記事は、参考のために少し読みましたが。
励ましてくれるような明るい記事はなくて、途中でやめてしまった私です。
過多の情報入手は、ストレスをためるだけとの思いがありますから。
いえいえ面倒臭いだけかもしれません、
私は、なるようにしかならない、と思ってしまうようです。
今の季節に訪れた紅葉が盛りの京都の天竜寺
脊柱管狭窄症の症状に見舞われる前、お出かけ嫌いの私にしては、よく旅行をしました。
夫が亡くなって以降、一人暮らしが侘しくて、気持ちを入れ替えたいがための気晴らし旅行にすぎなかったのかもしれませんが。
憧れていた一人旅が多く、ツアーでは三越伊勢丹旅行をよく利用したものです。
このツアー旅行は、旅費は多少高めでしたが、時間に十分ゆとりがあり、一流のお料理が頂けます。
私のような体力に欠ける高齢者には、とても向いていました。
夫の墓参のための広島行きも年に三回、と。
脚を実によく使い、数年間が過ぎました。
小諸城址でのお花見
そしてある年の、お盆のお墓参りから帰って数日後のこと。
突然、脚の異変に見舞われたのです。
歩くことがままならなくなり、炊事でシンクの前に立つことにさえ支障をきたすように。
片足を台の上にのせると楽になりましたので、いつもそのようにして調理をしていました。
日頃、速足なら5分足らずで行けるバス停に辿り着くのも一苦労。
しばらく歩くと足の痛みに見舞われ、一歩も前に進めなくなります。
立ち止まって数分休憩すると、歩けるようになりますが、また痛みが襲う。
このような症状がずっと続きました。
「間欠性跛行」と言うようです。
足の異変に見舞われたのは、久しぶりに平和公園周辺ををひたすら散策し、
旅行から帰宅した数日後のことでした。
整形外科医院にしばらく通いましたが、坐骨神経痛、ヘル二ヤなどと病名がくるくる変わり、幾種もの痛み止めを下さる対症療法ばかり。
これでは、とても信用できないと思いました。
それで紹介状を書いていただき、大病院の診察を、妹や次女の付き添いのもとに受けました。
このころには、介添えがないと、歩けないほどになっていました。
その時の診断結果は、思いもよらない厳しいもの。
レントゲンの画像を見ながら、
「脊柱管狭窄症です。
手術をしない限り直りません。
手術をして、必ず回復するとは限りません。
手術をしないなら、生活量を六割くらい落とすしかありません」
と。
帰りは、しばし放心状態のようになりました。
今後どうすればいいのでしょう。
杖の暮らしが目に浮かびました
軽井沢の雲場池
医師の、他の一言も気になって仕方ありませんでした。
「随分強い薬を飲まされているね~」というもの。
薬嫌いの私には、胸に突き刺さる言葉でした。
その薬は鎮痛剤で、対症療法にすぎません。
その話を伺い、通っていた整形外科に行くのが嫌になってしまった私です。
でも大病院は、手術の決意をしなければ、これ以上の診察は受け付けてもらえそうにありません。
已む無く、元の医院に行くことにしましたが。
それからしばらく経過した時のこと。
近所にお住いの私より遥かに高齢のご婦人から、思いもよらない朗報を耳にすることになったのです。
運命的な出会い、と言っていいのかもしれません。
この続きは、次回で。
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ありがとうございました。
花のように泉のように