美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

悩ましい亡霊の世紀(フォスカ)

2015年11月15日 | 瓶詰の古本

   十八世紀は、金銀財宝を盗むこととか美しき婦女子を怯やかすことをしか念頭に置かなかつた実践的猟奇家の世紀でもあれば、また特に『形而上的、』幻想家的、神秘派的、秘密結社員的、催眠術的猟奇家と呼び得る徒輩の世紀でもあつた。彼等の多くは実践的であると共に形而上的でもあつた。その一例として降神術及び妖霊退散呪法と称する妖術を以て知られてゐるカザノヴァとカリオストロを挙げることが出来る。十八世紀は世に啓蒙の時代と言はれてはゐるが、亡霊の而も往々にして悩ましい亡霊の世紀でもあつた。
   一七四〇年頃以後の西部ヨーロッパでは、空想性の要求と、精神的にも肉体的にも苦しみ苛まれ怯やかされたいといふ激しい欲望とが各所に生れるに至つた。イギリスではヤングの『夜の嘆き』(一七四二年―四五年)に続いて、ウォルポールの『オトラントの城』(一七六四年)、ベツクフォードの『ヴアセツク』(一七八六年)、ルイスの『修道僧』(一七九六年)、マテュリンが一八〇七年から一八二〇年に至る間に発表した数々の小説、マリー・W・シエリの『フランケンシュタイン』或ひは『近代のプロメテウス』(一八一八年)があり、更にフーセリーとブレイクの絵画がつけ加へられる。ドイツにはゲーテの『フアウスト』とシルレルの『ガイステルゼーエル』に次いでホフマンのコントが現はれ、イタリーにはピラネーシの『カルチェリー』が現はれ、イスパニヤではゴヤの『サバの情景』が現はれたのである。然るにフランスだけは、サード侯の書物は別として、以上の如き情勢の伝染を免がれたらしい。それは、当時フランスは革命期にあつたため恐怖を芸術に求めるまでもなく、政治的諸事件が充分恐怖を覚えさせて呉れたからであらうと思ふ。

(「探偵小説の歴史と技巧」 フランソア・フオスカ 長崎八郎訳)

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