東福寺塔頭の天得院は桔梗とスギゴケの美しい小さな寺で、創建は南北朝時代、東福寺住持無夢一清(むむいつせい)
で臨済宗東福寺五大塔頭の1つです。1614年に文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住持となりましたが、清韓は、
豊臣秀頼の請に応じ方広寺の鐘名を撰文いたしましたが、その銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文字が徳川家を呪詛
するものとして家康の怒りを招き、寺が取り壊されれる運命となり、現在の堂宇は1789年に再建されました。
山門前に佇む慈母観音像。 本堂奥には保育園も経営なされております。
南庭園 丁度桔梗の花が満開を向かえすぎ苔の庭園に彩を添えておりました。
正確には解らないそうですが、樹齢300年位と言われている軍鶏檜葉(しゃもひば)と言う
ヒノキ科の樹だそうです。
華頭窓より西庭の眺めです。
西庭園の奥には、精進料理が食べれるお座敷があります。
芬陀院(ふんだいん) 天得院の南側に位置する雪舟庭園で有名なお寺です。
1321年~1324年に時の関白であった一条内経(うちつね)が東福寺開山・円爾(聖一国師)の法孫にあたる定山祖禅
(じょうざんそぜん)を開山として創建され、以後、今日まで一条家の菩提寺とされております。
左手大玄関の手前が参拝受付です。
画聖として知られる雪舟が作庭したと伝わる枯山水庭園で、元禄と宝暦の火災などにより一部荒廃しましたが、昭和12
年(1937年)に重森三玲により復元されました。
南庭 1460~68年に作庭されたと認められており、様式は禅院式枯山水庭園で京都で最古の枯山水庭園のひとつです。
左側の鶴島は折鶴を、右の亀島は二重基檀により亀の姿を表現しております。
東庭は重森三玲が復元に携わった時に作られたものです。こちらの庭園にも亀島と鶴島が配されております。 庭の奥
に見える茶室は昭和44年に再建された恵観堂です。
恵観堂の西側にある茶室
茶室北側の坪庭
恵観堂から東庭の眺めです。