山科 随心院門跡は、真言宗善通寺派の大本山にして、弘法大師御入定後、121年、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基にして、
一条天皇の正歴二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されました。 古くは牛皮山曼荼羅寺と称されました。
仁海僧正一夜の夢に、亡き母が牛に生まれ変わっていることを見て、その牛を鳥羽のあたりに尋ね求めて、飼養しましたが、日なくして死に、悲しん
でその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き本尊にしたことに因んでいます。
小野梅園には、遅咲きの八重梅を中心に約240本の梅が咲き乱れております。白梅は早くに散った様ですが、紅梅はまだまだ見頃が続きそうで
小野と言うのは、この地域を支配していた小野一族の名前が地名になって
おります。
薬医門
小野小町とは、西暦815年頃に小野一族の娘として生まれ、平安朝初期、仁明天皇が東宮にあられた時より崩御され
るまでお側に仕え特に盛艶優美、詠歌の妙を得た小町は東宮の寵幸を一身に受けた女性です。
『はねず色』とは、うす紅色の事を言います。
百人一首に詠まれた歌の歌碑です。庫裡の入り口に建っております。
庫裡の中庭の山茱萸 ーさんしゅゆ (水木ーみずき科)
阿弥陀如来 金剛薩堹
本堂から見たお庭
雪柳の花が可憐に咲いておりました。
随心院の駐車場に咲いてたソメイヨシノ あと一週間で満開になりそうです。
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