山科の毘沙門堂(びしゃもんどう)は、天台宗の寺院で山号は護法山と称します。本尊は毘沙門天を祀り天台宗京都五門跡の一であり、毘沙門天を
祀っていることから「毘沙門堂門跡」とも呼ばれております。 車で来ましたので、本堂西側の駐車場まで登ってきました。染井吉野は風にあおられ散
り始めておりましたが、枝垂れは満開でした。
寺伝によりますと、毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703年)に行基が開いたといわれ、その後、平安時代末期には出雲
寺は荒廃していおりましたが、鎌倉時代初期、平親範が平家ゆかりの3つの寺院を合併する形で再興され、中世末期には再び荒廃しておりましたが、
近世に至り、天海とその弟子の公海によって現在地に移転・復興され、天台宗京都五門跡の一として栄えておりました。
宸殿前の枝垂れ桜、樹齢百十数年の巨木で、枝張りは30mにも及びます。この樹が五代目だそうです。
宸殿前の勅使門は、後西天皇より拝領した総門で、かつては天皇陛下の行幸の時かその代参、現在では門跡門主の晋山式以外は開門されない開
かずの門となっております。
風が吹くたびに花吹雪が舞っておりました。 本堂が改築補修中なので本堂裏側の霊殿で拝観受付をされておりました。
霊殿西側の八重桜
大玄関
円山応挙筆とされる衝立で、裏表に描かれた鯉の姿です。
宸殿の北側に広がる庭園
鞍馬自然石手水鉢
右手前に千鳥石、石塔の前が座禅石、石橋の手前が亀石だと思います。
中庭に佇む閼伽井の井戸は、仏前に供える水を汲むための井戸です。
鐘楼
仁王門前の階段です。
仁王門 1665年この地に再興された当時の建立です。急峻な石段の上にある本堂への表門にあたります。
仁王門の左右を固める阿吽二天像
本堂の東側、弁財天の手前に有るお堂です。 一切経蔵 一切経・ 転輪経蔵の創始者の傅大士像(ふだいし)を祀ります。
高台弁財天 大阪城で豊臣秀吉の正妻、大政所高台院湖月尼(お寧)が信仰していた弁財天で高台弁天と称します。住職・一品公弁法親王が所望
されて、本堂裏右手(東側)に安置して、高台弁財天、不老弁天として多くの人々に信仰されております。
本堂 御本尊の毘沙門天(伝教大師一刀三礼の作)が安置されている本堂は、1665年当山中興第二世の公海大僧正が、師・天海大僧正の意志を
受け継いで復興されました。
勅使門への階段
駐車場前にある休憩所は、春の桜の時期だけ営業されます。
帰り道の琵琶湖第一疏水の民家に咲いていた、菊桃
普通のお宅なのに御親切に、菊桃と木札に書いてありました。
琵琶湖第一疏水沿いの菜の花は、市民の方が植えられたものだそうです。
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