今日は雨降りの休日。梅雨だからしょうがないけど、やっぱりこういう日は体調も今日等のような気がしますです。
こういう日に大荷物をもってお出かけは辛いですね。
エアコンは電車にも入っていましたからなんとか、じめじめ感は少なかったけど、これが止まってしまったら・・なまぬるい生活にどっぷり使っているkおばちゃんには面尾です。やせる思い!!思いだけで実現しないのが悲しいですけど。
先日友達のところの飲み会で○十年前のみんなの姿の映っているビデオをDVDに焼きなおしたというの鑑賞・・・みんなの風貌の変化に大笑いです。
あのころ、こんな姿になろうとは誰が想像したろうか・・とね。
お互い様なのだけれども、中には全然変化なしというのもいて・・・化け物だ!
あーだいぶ反省いたしました。
さて・・この冷や汗はイツまで記憶にあるでしょうかね・・
○1月6日(木)
kおばちゃんの辿り着いたのは パッシー墓地Cimetière de Passyというところですが、ここはパリのど真ん中ともいってもよいところ。で、有名な方が沢山眠ってらっしゃいます。
そのお方一人一人にご挨拶するわけにもいかないので、kおばちゃんは自分の好みで当然回りました。
で、最初の訪問先に選んだのは・・こっちの方向です。
それにしても立派なお墓が多いですね。
由緒正しい墓地なので歴史も書かれていますが・・当然おフランス語なのでわかりません。
この墓地は記録によると1820年に開園しているようですが、その前にもこのあたりに墓地はあったようです。それ以来・・面々と続いているということでしょうね。
ほら、エッフェル塔も見えますよ。ということは当然エッフェル塔からもみえますね。
ところでお目当てのお墓ですが・・第一番目のものは割りと直ぐにみつかりました。
これです。え、誰のお墓かって?この胸像じゃわかりませんよね。
ここはこの方エドアール・マネÉdouard Manet氏のお墓です。
彼の絵は2009年にオルセーで鑑賞させていただきましたね。
彼の絵画の中で一番すきなのは・・って全部知ってるわけではありませんけど・・オルセーにあったベルト・モリゾBerthe Morisot女史の肖像画かもしれません。
2009年07月27日にも書きましたが、この絵の下にかかってた『アスパラガスL'asperge』という作品・・未だになんでかかっていたのか・・わいかりませんけどね。
そのほかにはあの有名な『笛を吹く少年Le fifre』なんてのも好きですね。
で、ここパッシー墓地Cimetière de Passyを訪問しようと思って、ちょこっと調べたらこのマネの墓地の『そばに』あの、絵画のモデルでもあり弟子でもあり弟の嫁さんでもあったベルト・モリゾBerthe Morisot女史も眠っている・・と書いてあるのをみつけたので、探しました。
でも見当たらないんですよね。で。ふと根元の棺の納められている部分にめをやると・・
ん??これは・・
『ウジェーヌ・マネEugène Manet』という弟の名前と・・その下にあるのは『ベルト・モリゾBerthe Morisot』の文字が見えます。
その下にわざわざ『Veuve d Eugène Manetウジェーヌ・マネの未亡人』とありますから間違いありません。
なんだ、皆一緒に埋葬されてるんじゃない。と納得したkおばちゃんです。
マネとベルト・モリゾは恋仲だったんじゃないか・・なんて邪推する輩もいますけど、こうやって夫と一緒に、ま、マネも一緒ですけどね・・埋葬されてるんだから問題なかったんでしょう。
恋多きマネにはスザンヌSuzanne Leenhoffという奥さんがいたのですよね。こでがなかなか体も心も器も大きな女性だったようです。
そうそう、オルセーで一番お気に入りだったルノアールPierre Auguste Renoirの『ジュリー・マネ Julie Manet』
前にも書いたけどモデルの少女はベルト・モリゾBerthe Morisot(マネÉdouard Manetの弟子)とウジェーヌ・マネEugène Manet(マネの弟)とのの娘だったのよね。なんて思いをはせていたkおばちゃんです。
さて、暗くならないうちに次のお墓に向かいましょ。お名残惜しいけどね。
たしかあっちの方向のはず・・です。
こういう日に大荷物をもってお出かけは辛いですね。
エアコンは電車にも入っていましたからなんとか、じめじめ感は少なかったけど、これが止まってしまったら・・なまぬるい生活にどっぷり使っているkおばちゃんには面尾です。やせる思い!!思いだけで実現しないのが悲しいですけど。
先日友達のところの飲み会で○十年前のみんなの姿の映っているビデオをDVDに焼きなおしたというの鑑賞・・・みんなの風貌の変化に大笑いです。
あのころ、こんな姿になろうとは誰が想像したろうか・・とね。
お互い様なのだけれども、中には全然変化なしというのもいて・・・化け物だ!
あーだいぶ反省いたしました。
さて・・この冷や汗はイツまで記憶にあるでしょうかね・・
○1月6日(木)
kおばちゃんの辿り着いたのは パッシー墓地Cimetière de Passyというところですが、ここはパリのど真ん中ともいってもよいところ。で、有名な方が沢山眠ってらっしゃいます。
そのお方一人一人にご挨拶するわけにもいかないので、kおばちゃんは自分の好みで当然回りました。
で、最初の訪問先に選んだのは・・こっちの方向です。
それにしても立派なお墓が多いですね。
由緒正しい墓地なので歴史も書かれていますが・・当然おフランス語なのでわかりません。
この墓地は記録によると1820年に開園しているようですが、その前にもこのあたりに墓地はあったようです。それ以来・・面々と続いているということでしょうね。
ほら、エッフェル塔も見えますよ。ということは当然エッフェル塔からもみえますね。
ところでお目当てのお墓ですが・・第一番目のものは割りと直ぐにみつかりました。
これです。え、誰のお墓かって?この胸像じゃわかりませんよね。
ここはこの方エドアール・マネÉdouard Manet氏のお墓です。
彼の絵は2009年にオルセーで鑑賞させていただきましたね。
彼の絵画の中で一番すきなのは・・って全部知ってるわけではありませんけど・・オルセーにあったベルト・モリゾBerthe Morisot女史の肖像画かもしれません。
2009年07月27日にも書きましたが、この絵の下にかかってた『アスパラガスL'asperge』という作品・・未だになんでかかっていたのか・・わいかりませんけどね。
そのほかにはあの有名な『笛を吹く少年Le fifre』なんてのも好きですね。
で、ここパッシー墓地Cimetière de Passyを訪問しようと思って、ちょこっと調べたらこのマネの墓地の『そばに』あの、絵画のモデルでもあり弟子でもあり弟の嫁さんでもあったベルト・モリゾBerthe Morisot女史も眠っている・・と書いてあるのをみつけたので、探しました。
でも見当たらないんですよね。で。ふと根元の棺の納められている部分にめをやると・・
ん??これは・・
『ウジェーヌ・マネEugène Manet』という弟の名前と・・その下にあるのは『ベルト・モリゾBerthe Morisot』の文字が見えます。
その下にわざわざ『Veuve d Eugène Manetウジェーヌ・マネの未亡人』とありますから間違いありません。
なんだ、皆一緒に埋葬されてるんじゃない。と納得したkおばちゃんです。
マネとベルト・モリゾは恋仲だったんじゃないか・・なんて邪推する輩もいますけど、こうやって夫と一緒に、ま、マネも一緒ですけどね・・埋葬されてるんだから問題なかったんでしょう。
恋多きマネにはスザンヌSuzanne Leenhoffという奥さんがいたのですよね。こでがなかなか体も心も器も大きな女性だったようです。
そうそう、オルセーで一番お気に入りだったルノアールPierre Auguste Renoirの『ジュリー・マネ Julie Manet』
前にも書いたけどモデルの少女はベルト・モリゾBerthe Morisot(マネÉdouard Manetの弟子)とウジェーヌ・マネEugène Manet(マネの弟)とのの娘だったのよね。なんて思いをはせていたkおばちゃんです。
さて、暗くならないうちに次のお墓に向かいましょ。お名残惜しいけどね。
たしかあっちの方向のはず・・です。
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