今日もお天気予報どおり朝は雨・・・で結構本降り。
でも予報だと午後は晴れる・・と言うことだったので長靴はやめてのご出勤でした。やっぱりあたった!
月曜日の通勤の時の混乱はなくなっていたけど、やっぱり出足がねえ、早いみたい。
今頃になって原発問題で、実は・・ということをマスコミは騒いでいるけど、あの初期の発表の時に数値しか追っかける能力の無かった自分達の実力は棚に上げてるんだから。
kおばちゃんのお友達は、あの数値だけ、そしてあの発表だけで『これは現在非常に不味い状態だから外出するな』と言って来た。
見る人が見れば判る発表の仕方だったんでしょう。それが判らなかったから『発表の仕方が悪い。とか遅い・』とかほざいているのはやっぱりマスゴミと言われてもしょうがない能力ということでしょうね。
先日も早朝の番組で『モノがない』と言う報道とともに『空っぽの棚』の画像ばかりながしてたことが余計不安をあおる。というような検証をやってたけど、あれはあんな早朝じゃなくてゴールデンに是非やってもらいたいと思った。
風評被害についてだって、被害補償だけを補填する議論より、風評を流した物に対する罰則もなきゃおかしいし無くなる訳ないじゃない。と思ってるkおばちゃんです。
だって、罰則がなければ、裏打ちのない風評を流したって、流した本人には痛みがないから余計言いたい放題ですからね。
さてさえて・・
○1月5日(水)
本日の目的地の一つの『メゾン・モーツアルト』詣でを終えたkおばちゃん。お次はどうしようかな・・
これといって、あとは目的がないのです。
でも、引っかかることが一つあるのでそれを確認する為にも・・あそこに向いましょうね。
メゾン・モーツアルトのある通にはちょっと洒落たお店もありました。
ベビー用品屋さん。うーんkおばちゃんの周りのベビーブームはとっくに過ぎ去ってしまっているからなあ。
それに外国の赤ちゃんは特に西洋人は日本人と全然体型が違うので、ベビー服はダメなのよね。
日本の赤ちゃんは『頭でっかち』で『手足が太くて短い』で西洋の赤ちゃんは『頭が長細く』て手足も『細くて長い』ときている。
だから気を付けないと、全然入らないベビー服になってしまうしね。
とそんなものを眺めて広い通りへと出ました。
この広い通りはBoulevard Poissonnière『魚屋(poissonnières) 大通り』とでもいうようです。
冒頭の画像はそこにあったいかにも『おパリ』と思えるメトロの入り口です。『Grands Boulevards』駅。
この場合は『大きな広い通り』とでも言う意味でしょうかね?
そしてこの通り沿いにこんな所がありました。
といっても良くわかりませんよね。上部のプレートを拡大し見ました。
ショパンが1831年~1832年に住んでた場所・・のようです。ショパン21歳。おパリに出てきて1年目だそうです。
その先の反対側にはこんなものもありました。
何処にでもある『ハード・ロック・カフェHard Rock Cafe Paris』
この辺りまで来ると通りの名前は『Boulevard Montmartre』モンマルトル大通りとなるようです。
ここで見た事のあるマークを発見しました。
この『F』に羽ペンは新聞社フィガロLe Figaroのマークですね。
1826年創刊のフランスの日刊紙。あら、ショパン氏がこのあたりをうろついていた頃にはもう発行されてたんですね。
ここで、エントランスホールになんだか飾ってあるのが見えました。おばちゃん根性で覗いて見ました。
そこにはこんな機械がありました。
多聞・・古いタブロイド印刷機かな・・とも思うのですが、機械の下の方にはタイプライターのようになっているので・・何の機械か判りませんでした。誰か教えてください。
この辺りまで来ると『Boulevard Haussmann』オスマン大通りとでもいうんでしょうかね?名前が変わります。
このオスマンHaussmannと言う名前はジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンGeorges-Eugène Haussmann氏からたったようです。
彼は、ナポレオン3世の元でパリ市街化計画を推進し、現在のおパリの姿をつくった政治家といわれているようです。
この辺りはおパリの中心地の一つですね。だからこんなに『大通り』という広い通りですね。
目的地が見えてきました多聞・・あそこです。
でも予報だと午後は晴れる・・と言うことだったので長靴はやめてのご出勤でした。やっぱりあたった!
月曜日の通勤の時の混乱はなくなっていたけど、やっぱり出足がねえ、早いみたい。
今頃になって原発問題で、実は・・ということをマスコミは騒いでいるけど、あの初期の発表の時に数値しか追っかける能力の無かった自分達の実力は棚に上げてるんだから。
kおばちゃんのお友達は、あの数値だけ、そしてあの発表だけで『これは現在非常に不味い状態だから外出するな』と言って来た。
見る人が見れば判る発表の仕方だったんでしょう。それが判らなかったから『発表の仕方が悪い。とか遅い・』とかほざいているのはやっぱりマスゴミと言われてもしょうがない能力ということでしょうね。
先日も早朝の番組で『モノがない』と言う報道とともに『空っぽの棚』の画像ばかりながしてたことが余計不安をあおる。というような検証をやってたけど、あれはあんな早朝じゃなくてゴールデンに是非やってもらいたいと思った。
風評被害についてだって、被害補償だけを補填する議論より、風評を流した物に対する罰則もなきゃおかしいし無くなる訳ないじゃない。と思ってるkおばちゃんです。
だって、罰則がなければ、裏打ちのない風評を流したって、流した本人には痛みがないから余計言いたい放題ですからね。
さてさえて・・
○1月5日(水)
本日の目的地の一つの『メゾン・モーツアルト』詣でを終えたkおばちゃん。お次はどうしようかな・・
これといって、あとは目的がないのです。
でも、引っかかることが一つあるのでそれを確認する為にも・・あそこに向いましょうね。
メゾン・モーツアルトのある通にはちょっと洒落たお店もありました。
ベビー用品屋さん。うーんkおばちゃんの周りのベビーブームはとっくに過ぎ去ってしまっているからなあ。
それに外国の赤ちゃんは特に西洋人は日本人と全然体型が違うので、ベビー服はダメなのよね。
日本の赤ちゃんは『頭でっかち』で『手足が太くて短い』で西洋の赤ちゃんは『頭が長細く』て手足も『細くて長い』ときている。
だから気を付けないと、全然入らないベビー服になってしまうしね。
とそんなものを眺めて広い通りへと出ました。
この広い通りはBoulevard Poissonnière『魚屋(poissonnières) 大通り』とでもいうようです。
冒頭の画像はそこにあったいかにも『おパリ』と思えるメトロの入り口です。『Grands Boulevards』駅。
この場合は『大きな広い通り』とでも言う意味でしょうかね?
そしてこの通り沿いにこんな所がありました。
といっても良くわかりませんよね。上部のプレートを拡大し見ました。
ショパンが1831年~1832年に住んでた場所・・のようです。ショパン21歳。おパリに出てきて1年目だそうです。
その先の反対側にはこんなものもありました。
何処にでもある『ハード・ロック・カフェHard Rock Cafe Paris』
この辺りまで来ると通りの名前は『Boulevard Montmartre』モンマルトル大通りとなるようです。
ここで見た事のあるマークを発見しました。
この『F』に羽ペンは新聞社フィガロLe Figaroのマークですね。
1826年創刊のフランスの日刊紙。あら、ショパン氏がこのあたりをうろついていた頃にはもう発行されてたんですね。
ここで、エントランスホールになんだか飾ってあるのが見えました。おばちゃん根性で覗いて見ました。
そこにはこんな機械がありました。
多聞・・古いタブロイド印刷機かな・・とも思うのですが、機械の下の方にはタイプライターのようになっているので・・何の機械か判りませんでした。誰か教えてください。
この辺りまで来ると『Boulevard Haussmann』オスマン大通りとでもいうんでしょうかね?名前が変わります。
このオスマンHaussmannと言う名前はジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンGeorges-Eugène Haussmann氏からたったようです。
彼は、ナポレオン3世の元でパリ市街化計画を推進し、現在のおパリの姿をつくった政治家といわれているようです。
この辺りはおパリの中心地の一つですね。だからこんなに『大通り』という広い通りですね。
目的地が見えてきました多聞・・あそこです。