今日は肌寒いような一日。
で、朝からあっちこっちで電車が止まる。なんだか世の中エンジンがかからないのかな。
kおばちゃんの体もエンジンかからず困ったこった。
世の中ドヨーーンと曇っているとこころもドヨーーンですかね。
何か楽しいことはないか・・と見回すのだけれどね。
そういえば庭に生息している野良一家。どうもまだご滞在中の様子。土曜日に池の水をいれようと庭に出たら・・・母猫に監視されてしまった。
鳴き声も聞こえないからいないのかと思ったんだけどね。
翌日朝、2階の物干しから覗いたら、気持ちよさそうに親子寄り添って、開ずの窓のある縁側に気持ちよさそうに寝ておりました。
○1月5日(水)
サン・トゥスタシュ教会 Eglise St-Eustacheという教会で、ママ・モーツアルトのお墓参りをすませたkおばちゃん。
お次ぎの目的地にも徒歩で向います。それほど遠い訳じゃないし、昼間のおパリを歩くのもねまた楽しですからね。
最初はrue montmartreモンマルトル通りを進みます。途中で覗くとはるか向こうに騎馬像がみえました。
Place des Victoiresヴィクトワール広場のようです。ということはあの騎馬像の人物はルイ14世Louis XIVでしょうか。
ずんずん進んでrue du Croissantクロワッサン通りのあたりで曲がります。
Cafe Restaurant Croissantカフェ・レストラン・クロワッサンですって
で、お目当ての場所はここかしら・・・確か8番地です。
ここは・・やっぱり8番地ですよね。でもなんだかイメージと違います。
kおばちゃんの目指していたのはサンティエ通りRue du Sentier8番なのですが、あここはRue Saint-Fiacre違いました。
ああ、ここは?
8番地ですね。
そして番地の下のプレートにはなにやら書いてあります。
『W A Mozartモーツアルトと母マリア Maria は1778年ここに宿泊し、母は7月3日に死亡』というよな意味でしょうか?
おフランス語はわかりませんが雰囲気的にそういう意味かなと思ってるkおばちゃんです。
そうなんです、わざわざ歩いてきたのはモーツアルトのパリでの滞在先です。
モーツアルトは7才の時1763年11月に最初にパリを訪れているということです。10才の1766年5月にも再びパリを訪問しているとか。そして、22才の1778年、3月23日から9月26日まで約半年の間パリに滞在。その後再びパリを訪れることはなかったようです。
そして最後の訪問の時に付き添ってきた母をこの地でなくしてるそうです。
9月26日にパリを立ち去ったということは、母を亡くしてから2ヶ月以上は一人でいたということですね。
母を亡くし、就活にも失敗したといわれるモーツアルト。どんな気持ちでパリの夏をすごしていたんでしょうね。
滞在先の現住所はわかっていたのですが、どのような場所なのか、建物はどうなっているのか・・判らなかったので訪問してみたかったのです。
それに歩いて・・教会から歩いてというのは、おそらく母の葬儀の為に逆コースではあったでしょうがこの道を歩いたのかな?なんてことも思ったりしたのでした。
現在はごらんのように割と新しい集合住宅に建て代わっています。
でもその名前は『メゾン・モーツアルトMaison Mozart』ですって。
なんだかおパリらしからぬ命名だななんて思ったkおばちゃんです。
こんなテナントが入っているようです。
中庭のある構造になっているようです。
モーツアルトの時代もこの様な形態だったのでしょうかね?
何を思いながらここで夏をすごしたのかな?なんて思ったkおばちゃんです。
で、朝からあっちこっちで電車が止まる。なんだか世の中エンジンがかからないのかな。
kおばちゃんの体もエンジンかからず困ったこった。
世の中ドヨーーンと曇っているとこころもドヨーーンですかね。
何か楽しいことはないか・・と見回すのだけれどね。
そういえば庭に生息している野良一家。どうもまだご滞在中の様子。土曜日に池の水をいれようと庭に出たら・・・母猫に監視されてしまった。
鳴き声も聞こえないからいないのかと思ったんだけどね。
翌日朝、2階の物干しから覗いたら、気持ちよさそうに親子寄り添って、開ずの窓のある縁側に気持ちよさそうに寝ておりました。
○1月5日(水)
サン・トゥスタシュ教会 Eglise St-Eustacheという教会で、ママ・モーツアルトのお墓参りをすませたkおばちゃん。
お次ぎの目的地にも徒歩で向います。それほど遠い訳じゃないし、昼間のおパリを歩くのもねまた楽しですからね。
最初はrue montmartreモンマルトル通りを進みます。途中で覗くとはるか向こうに騎馬像がみえました。
Place des Victoiresヴィクトワール広場のようです。ということはあの騎馬像の人物はルイ14世Louis XIVでしょうか。
ずんずん進んでrue du Croissantクロワッサン通りのあたりで曲がります。
Cafe Restaurant Croissantカフェ・レストラン・クロワッサンですって
で、お目当ての場所はここかしら・・・確か8番地です。
ここは・・やっぱり8番地ですよね。でもなんだかイメージと違います。
kおばちゃんの目指していたのはサンティエ通りRue du Sentier8番なのですが、あここはRue Saint-Fiacre違いました。
ああ、ここは?
8番地ですね。
そして番地の下のプレートにはなにやら書いてあります。
『W A Mozartモーツアルトと母マリア Maria は1778年ここに宿泊し、母は7月3日に死亡』というよな意味でしょうか?
おフランス語はわかりませんが雰囲気的にそういう意味かなと思ってるkおばちゃんです。
そうなんです、わざわざ歩いてきたのはモーツアルトのパリでの滞在先です。
モーツアルトは7才の時1763年11月に最初にパリを訪れているということです。10才の1766年5月にも再びパリを訪問しているとか。そして、22才の1778年、3月23日から9月26日まで約半年の間パリに滞在。その後再びパリを訪れることはなかったようです。
そして最後の訪問の時に付き添ってきた母をこの地でなくしてるそうです。
9月26日にパリを立ち去ったということは、母を亡くしてから2ヶ月以上は一人でいたということですね。
母を亡くし、就活にも失敗したといわれるモーツアルト。どんな気持ちでパリの夏をすごしていたんでしょうね。
滞在先の現住所はわかっていたのですが、どのような場所なのか、建物はどうなっているのか・・判らなかったので訪問してみたかったのです。
それに歩いて・・教会から歩いてというのは、おそらく母の葬儀の為に逆コースではあったでしょうがこの道を歩いたのかな?なんてことも思ったりしたのでした。
現在はごらんのように割と新しい集合住宅に建て代わっています。
でもその名前は『メゾン・モーツアルトMaison Mozart』ですって。
なんだかおパリらしからぬ命名だななんて思ったkおばちゃんです。
こんなテナントが入っているようです。
中庭のある構造になっているようです。
モーツアルトの時代もこの様な形態だったのでしょうかね?
何を思いながらここで夏をすごしたのかな?なんて思ったkおばちゃんです。