FORZA世界史inBLOG

世界史の復習をサポートするブログです

オスマン帝国と神聖ローマ帝国との攻防 

2020年05月04日 | 高3用 授業内容をもう一度


ポイント1
16世紀神聖ローマ帝国では帝国の統一を支持する皇帝派諸侯と反対する反皇帝派諸侯(ザクセン公やプロイセン公など)で対立していた。
その中、宗教改革が起こり、1525年プロイセン公は皇帝が禁止するルター派に改宗して反皇帝派の立場を鮮明にした。

ポイント2
モハチの戦いでハンガリー王国が敗れると、ウィーンに異教徒の脅威が迫った。
すると、カール5世はルター派を支持する反皇帝派諸侯の協力を得るためにルター派を容認した。(第1回シュパイエル国会)
スレイマン1世は1529年ウィーン包囲を行ったが冬の到来で退却した。異教徒の脅威は去った。
すると、カール5世はルター派を否定した。(第2回シュパイエル国会)
これに対しルター派諸侯は抗議した。(1530年)