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ピューリタン革命の原因

2015年05月27日 | 高3用 授業内容をもう一度
エリザベス1世は毛織物工業を保護・育成した。毛織物工業に関わる人々はピューリタンが多く、国教会による一元化とは矛盾する政策だった。そのような中、1588年にアルマダの海戦スペインの海上貿易独占が崩れると、香辛料貿易に乗り出すため1600年東インド会社を設立市、た。さらに北米植民地建設を目指してウオーター・ローリーがヴァージニア植民地建設に取り組んだものの失敗した。
1603年エリザベス1世の死により、チューダ朝が終わり、スチュアート朝が発足した。初代国王にはジェームズ1世が即位したが、彼は宗教の一元化を進め、ピューリタンを弾圧した。からはイングランド国王に即位する前に「自由な君主国の真の法」を著し、絶対王政を正当化する理論を発表している。その理論を王権神授説という。
ジェームズ1世がピューリタンを弾圧したため、毛織物工業は打撃を受けた。1620年にはピューリタン達が北米大陸に亡命する事件であるピルグリム・ファーザーズが起きている。ところが1623年アンボイナ事件でオランダに敗北したため、頼りの香辛料貿易ができなくなってしまった。すると毛織物工業の貿易で利益をあげる政策を捨てていたため、王室財政は極端に窮地に追い込まれてしまった。それより以前1607年にジョン・スミスがインディアン娘ポカホンタスの協力で北米にヴァージニア植民地建設に成功しており、タバコ生産に取り組もうとしていたが1620年代にはまだ起動に乗っていなかったことも財政赤字の原因だった。

絶対王政は重商主義政策によって財政をまかなった。そのため重商主義政策が行き詰まると財政が悪化し、王室はその対応を迫られる。ステュアート朝ではトン税やポンド税などの関税や特権を売りさばくことで財政難を乗りきろうとしたが、特権階級のピューリタンを中心とする勢力がこれに強く反発し革命に発展していった。