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30年戦争

2015年05月11日 | 高3用 授業内容をもう一度

【ベーメン】(【ボヘミア】ともいいます)の新教徒に対する弾圧が始まると、【フス】の故郷で聖書主義の伝統が強いベーメンの人々は激しく反発しました。そして【1618】年プラハの王宮から支配者を突き落とす事件(【プラハ王宮窓外放出事件】)が起き、カトリックを強要したい皇帝側軍隊と、新教徒たちの軍隊が争う戦争に発展しました。
 戦争が始まった頃は皇帝側の軍隊が優勢だったため、新教徒を救うために隣国【】デンマーク王国の国王で【ルター派】の【クリスチャン4世】が立ち上がり、皇帝軍に対してしだいに優勢になっていきました。しかし、皇帝側は傭兵隊長の【ヴァレンシュタイン】が登場し、最強の軍隊を率いてデンマーク軍に勝利していきます。
 これに対して、同じ【ルター派】の【スウェーデン】王【グスタフ=アドルフ】が参戦。ヴァレンシュタインを【リュッツェンの戦い】で破り、新教側が優位に立ちました。しかし、残念なことにグスタフ=アドルフ本人は流れ弾に当たって戦死してしまいます。するとヴァレンシュタインは皇帝軍を建て直し、再び反撃に転じます。ヴァレンシュタインはさらに軍を進め、いよいよ皇帝側が神聖ローマ帝国を統一する勢いを見せ始めました。
 しかし、このようなドイツの状況を恐れていたのが【フランス】の【ブルボン家】国王【ルイ13世】とその宰相【リシュリュー】です。もちろんフランスは【】カトリック教国ですが、西のスペイン・アプスブルク家と東に統一国家の神聖ローマ帝国・アプスブルク家ができてしまう国際情勢はどうしても避けなければならない状況です。そこで二人はカトリックであるが、新教徒側に味方するために、【1635】年にこの戦争に参戦しました。さらにスウェーデンも再び介入しましたから、皇帝側はしだいに敗北を重ね、【1648】年【ウェストファリア】条約で30年間の長い戦争が終わりました。なお、その途中、ルイ13世は死去し、【ルイ14世】が戦争を引き継いでします。
 【1618】年から始まり30年間続いたこの【30年戦争】は、ドイツを荒廃させました。戦争の悲惨さから、戦争にもある程度のルールがあるべきだと主張する【オランダ】の【グロティウス】が登場し、国際法を提案しました。『【戦争と平和の法】』は【国際法の父】といわれる【グロティウス】の主著です。
 30年戦争は戦争が始まった頃は新教徒対カトリックという図式であり、まさに【宗教戦争】でした。しかし【1635】年にカトリック教国フランスが新教徒側に味方した段階で様子が大きく変化したといえます。すなわち宗教よりも国際情勢を優先させた戦争が始まったわけで、30年戦争を最初の【国際戦争】とよぶ所以です。そのため【1648】年の【ウェストファリア条約】も最初の【国際条約】と呼ばれます。