“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

昨年の奈良国立博物館での思い出③

2015-09-06 08:33:06 | 日記
【②の続きです。】
旅行から戻り、もしやと奈良国立博物館のHPを探してみると、ありました! ミュージアムショップの書籍をnet販売していただけるというページが。早速注文し、かの冊子が手元に届きました。青銅器ならではの深緑色の世界に、暫し遊ぶことができ、ボランティアの方がお話くださった、古美術商社「不言堂」初代社長:坂本五郎氏のコレクションの由来についても読めました。

カラー写真で見る青銅器そのものは勿論素敵で、青銅器の成立や文様についての解説も、たいへん興味深いものでした。
その中で、饕餮文(とうてつもん)の解説は、特に心に残りました。普段、漢検1級の勉強では、「饕餮」=むさぼる、ということ以上には思い及びませんでしたが、饕餮文について、『坂本コレクション 中国古代青銅器』には次のように解説してあります。


饕餮とは、戦国時代以降に成立した『呂氏春秋』『春秋左氏伝』中に「周鼎著饕餮、有首無身、食人未咽、害及其身、以言報更也。(周の鼎には饕餮というものが表されている。それは首だけで胴体がなくて、人を食べるときには飲みこんだ端から体中が害されて、その様はえもいわれぬ。)」と記載されている貪欲な怪物の名で、後の宋代に青銅彝器上の奇怪な動物の正面形の文様を、この「饕餮」に比定して呼び習わすようになった。けれども、元来は決して邪悪なものを意図したのではなく、動物の姿をした最高位の鬼神、または当時の天帝を表していたらしい。中央上方に天帝の象徴という箆形額飾り、下方に鼻が表され、これらをはさんで両側に、眼睛、角、胴体、尾、が表わされるのが基本である。中央付近は獣面の正面形となっているが、半身のみを見ると、獣の側面形として描かれているように見える。
【以下略】


……こうして読んでくると、何だか「饕餮」の文字までもが、次第に青銅器の文様であるかのようにも錯覚されてくるので、不思議です。

またこれ以来、時々見かける青銅器関係の漢字にも、より注意が向くようになりました。
たとえば、『週刊読書人』に連載されている円満字さんの「漢字点心」、遡って記事を追ってみる中で、
ちょうどこの関西研修旅行に我らが行った直後の2014年6月13日の記事「杯」に於いて、

「爵」も、本来は「さかずき」のこと。スズメの形をしていて、古代中国での功績の証として与えられたものだという。

という一節を見つけたり、
最近だと、2015年6月5日の記事「饕」に於いては、
数年前、円満字さんが街で見かけた中華料理店の名前「老饕」のお話から始まり、漢和辞典的知識である「饕」=「むさぼり食う」「貪欲な」という、あまり意味のよくない漢字のイメージとは違い、現代中国語の「老饕」には「美食」という意味があって、

欲望をあっさりと肯定してみせるこの姿勢は、ちょっとうらやましいような気がする。

と締め括ってあります。


さらに、この春うちの職場の図書館から除籍になって譲ってもらった『大漢語林』の囲み記事「青銅器――器形と文様」を、先の『坂本コレクション 中国古代青銅器』と併せて読むと、いろいろ一致して楽しいし、勉強になっています。


そんなこんなで、UPするまでに漫然と歳月が過ぎてしまった、奈良国立博物館の思い出についてでしたが、漸く気に懸かっていた記事に一区切りつけることができて、ほっと一息です。
なお、この記事を出そうとしていたこと自体を、気長にお心に留めてお声がけくださっていた何人かの皆様に、心より御礼を申し上げます。

昨年の奈良国立博物館での思い出②

2015-09-06 08:04:18 | 日記
【前の記事からの続きです。】
そもそも、しろねこが青銅器館でなぜそんなに慌てたのかというと、渡り廊下で繋がる「なら仏像館」でゆっくりしすぎて、青銅器館に渡るのが遅く、見る時間が殆ど残されていなかったから、でした。
見学時間は1時間強あったのですが、それほど館内見取り図を意識しないまま、
ついつい最初に入ったなら仏像館で、仏像やお面などの展示説明を丁寧に読んでしまったり、素材の温もりや比重のようなものをじっくり味わって眺めてしまったり、各々の展示品に凝らされた技巧に見入ってしまったりして、
一部の建物は改修工事中だったこともあり、敷地内を渡り歩くという発想もないまま、
青銅器館に渡ったのは、見学時間終了まであと約15分、というところだったのです。

青銅器館に足を踏み入れた途端、夥しい数のコレクションとともに、各々の青銅器の名前と説明を記した数々のプレートが、私の目に飛び込んできました。というより、夥しい数のコレクションとプレートに“取り囲まれた”と言ったほうが、より正しいかもしれません。
とにかく入ったとき、
「なんでもっと早く青銅器館を見に来なかったのか」という後悔と(それでも、なら仏像館自体は、やはりじっくり見ておいてよかったですが)、
「やっぱり私はこの(=青銅器の)世界が好きなんだ」という気持ちとが、同時に湧き起ってきました。

大学時代、中国文学専攻の友人が「買ってしまった」と嬉しそうに貸してくれた、当時で20000円くらいする大判・カラー刷りの中国古代青銅器にまつわる本の頁を、一枚一枚捲っていたときもそうでしたが、
この、すべてが落ち着く感じ、各々の存在への意味づけのユニークさ、当時の空気の密度の濃さみたいなものがひしひしと伝わってくるのは、いったい何なんだろうと、
その感覚を噛み締めずにはいられないのです。

青銅器館の二階に上がると、そこにはさらに展示場があり、ショーケースの奥に展示案内のボランティアの方がお一人いらっしゃいました。
とはいえ、もう殆ど見学時間が残されていない!
「--あの、こちらの展示の目録とか資料とかって、何かありますか?」

なら仏像館では4、5人のボランティアの方々が、「観賞をたのしむ基礎知識」と題して、仏像の種類や用語や印相(いんそう)が説明された資料を無料提供してくださっていたので、青銅器館でも同様のイメージを抱いて尋ねた私に、
これなら売店に売っていますが、と教えていただいたのが、目の前に見本として置いてあった、『坂本コレクション 中国古代青銅器』(奈良国立博物館 編)というA5版の冊子でした。私の残り時間を知る筈もないその方は、展示されたコレクションの由来や規模について、また売店について、私に分かりやすく教えてくださいました。

御礼を述べた私はやむを得ず青銅器館を出て、売店への木造の階段を名残惜しく覗き込みながら、後ろ髪引かれる思いで、なら仏像館を通り抜け、瞬く間に奈良国立博物館を後にしたのでした。

【③へ続く。】

昨年の奈良国立博物館での思い出

2015-09-06 00:36:11 | 日記
昨年、2014年6月4日の記事「漢検協会の漢字資料館」と、2014年7月1日の記事「漢検協会の漢字資料館を訪ねた日のこと」で、
生徒の関西研修旅行を引率した機会に漢検協会を初めて訪れた、という記事を書きましたが、
そこで「奈良国立博物館の中国古代青銅器とそれに関わる漢字についても書きたい」と意思表示してから、早くも1年3か月ほどの歳月が過ぎてしまいました。

当初は青銅器ごとの漢字をひととおり調べ直して、列挙・紹介しようか、などとあれこれ考えていたのですが、
調べれば調べるほど当然ながら奥が深いのに加え、ケータイでの入力では表示できない漢字も多く、
青銅器自体にご興味のある方は、然るべき資料を調べてご覧いただければよいと考え直して、
こちらでは結局単純に、当時の自分の感動だけをお伝えすることにしました。


この日は旅行引率初日で、東大寺→奈良国立博物館→興福寺という行程での奈良国立博物館だったのですが、
まず衝撃的だったのが、
青銅器館への未練を断ち切って、なんとか集合時刻1分前に館の入り口に出たところ、
なんとそこには、整列している筈のうちの学校の人たちが誰一人として見当たらず、
みんな忽然と消えていた、ということでした!

--うそ!?みんなどこ行っちゃったの!? 私、集合時間を間違えた!!?

と狼狽える私に、「しろねこ先生こっちだ~、こっちこっち」と、はるか向こうの植込みの方から、大きく手招きする副校長先生の姿が。
必死でそちらに駆けて行ってみると、少し先の方を、我らが引率する中3の人たちが、すぐ隣の興福寺へ向かって、のんびりと歩いてゆきます。まずはみんなの姿がそこにあることに、ほっと胸を撫で下ろすしろねこ。一緒にそこに追いつきながら、副校長先生が説明してくださった経緯によると、……

集合時間の数分前に点呼を取ると、もう生徒が全員いたので、なんだか団体全員がいるような気になって、教員のいるいないは確認せずに、じゃあもう移動を始めよう、というわけでみんな歩き出したものの、
ある生徒が、「そういえば、しろねこ先生がいない」と気がついてくれて、「じゃあ、俺が待つから、みんなは先に行け」と副校長先生が道路に出るところで待っていてくださった、

……ということだったそうです……。誰だかわからないけれど、私の存在を思い出してくれたひと、本当にありがとう!!お陰で迷子にならずに済んだよ……。

教員という立場からすれば、担任副担任にかかわらず、集合時間の5分前から3分前には集合場所に到着して、生徒たちがきちんと時間を守る行動をしているかも含めて、観察・点呼しなければならないのですが、
そのときは集合場所に向かうのがギリギリになってしまうほど、青銅器館を離れがたかった上に、階下の売店コーナーで青銅器の本を買いに行く時間がどう考えても残されていない、ということからくる葛藤と闘っていたのです。
--まあ、何と言おうが、仕事上は言い訳にしかなりませんね。

副校長先生はしかし、しろねこにこれといって注意らしい注意もなさらず、ご自身がこれまでに何度か訪れた奈良国立博物館の売店で、どんな品々を買ったのかを話して聞かせてくださったりして、そうして歩いているうちに、だんだん興福寺の五重塔に近づいてきたのでした……。

【②へ続く】