“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

朔旦冬至

2014-12-26 08:49:26 | 日記
冬至が過ぎ、クリスマスも過ぎました。
今年もあと僅かですが、まだ何の実感もついてきていません。

昨日、勤務地では週始めの雪が溶けたと思いきや、
水を多く含んだ雪が昼から一時吹雪になって、また道が白くなってしまいました。
うちの高校の受験生は今日から合宿……いつも冬至と一緒にしろねこが思い浮べる緊張感と慌ただしさです。
今年は中3担当として、本当に陰ながら見守る立場です。

毎朝6時21分に家を出てバス停に立つので、毎年冬至はまだ日の出前の景色です。
元々暁闇が好きなので、しろねこにとっては最も落ち着く、どこか心待ちにしているところのある日でもあります。
既にあちこちで話題になりましたが、今年は19年に一度の「朔旦冬至」だったそうで、
「一陽来復」の意味だけでなく、
月の復活も同時に始まる、
滅多にない冬至だったのですね。

そこで19年前は……と1995年を思い出すと、しろねこの場合は、
進路変更のため某私立高校を前の年に自主退学し、
某公立高校で高1から再出発をしていた年でした。
各教科を好き嫌い無しに100%頑張ろうという努力が、最も順調な形で実っていた年でもあったと思います。
そこからまた紆余曲折があり、
学業だけでなくあらゆる面で、
自分の弱さや不注意、無分別、虚栄心などの克服しなければならない課題を沢山抱えてきました。

今が19年前と同じく、新たな再出発と考えるには、
10代の頃には無かった様々な柵(しがらみ)も増え(←畢竟自分で「増やしている」わけですが)、
自分とのつきあいかたを自分でも縛ってしまっていることだ、とつくづく思います。
そのような状態で、
それでもどこまで再出発できるか……

野心ではなく、けれど己というものを守って生きて行きたいと考えさせられた「朔旦冬至」でした。


ところで、冒頭の画像ですが、
前の記事で触れた、桃源郷のイラストです。
(勿論描いたのは家に帰ってからで、授業中ではありません!)
職場に置いてある、高校の時のノートを久々に開いてみました。
20年以上前の、ツッコミの激しい自分のイラストを見るのは楽しいのですが、
まるで幼児の描く世界地図のように突飛で、
時代背景や風土、農耕文化のあり方など出鱈目に好き放題描いているなあと笑えてきます。
しかしイメージするパワーだけは、流石若かっただけあって溢れているようです。

この絵のような認識の外し方を、多分私はまだまだ漢字に対してしてしまっているのだと思います。
楽しみながらも見る人が見れば、ものすごくずれているのかも。

配当漢字のイメージ図、
全部絵に描いてみろと言われたら………

大変な仕事だけど、素敵だろうな。
もうそれだけで、人生の大半を使ってしまいそうです。