花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

「パルマ展」(1) コレッジョとアンニバレ・カラッチ

2007-07-18 04:29:05 | 展覧会
東京国立西洋美術館で「パルマ展」を観た。

イタリア・ルネサンスと言えばフィレンツェだけれど、16世紀になるとミラノに程近いパルマでもコレッジョやパルミジャニーノを始めとする素晴らしい画家たちを輩出する。「ペルジーノ展」ではウンブリア派の画家たちを知ったが、「パルマ展」もパルマ派の優れた画家たちを知る得がたい機会となった。観ていても、主催側のパルマ派の全容を伝えたいという熱気が伝わって来て、久々に興奮を覚えてしまった(^^ゞ

展示構成は、Ⅰ)15世紀から16世紀のパルマ Ⅱ)コレッジョとパルミジャニーノの季節 Ⅲ)ファルネーゼ家の公爵たち Ⅳ)聖と俗の絵画―「マニエーラ」の勝利 Ⅴ)バロックへ Ⅵ)素描および版画

オープニングは写本やマヨリカ焼きのタイルから始まり、15世紀から16世紀にかけてのパルマ芸術の動向を窺う。パルミジャニーノの父フィリッポ・マッツォーラ作品などもあり、当時のパルマではヴェネツィア派の影響を多く受けていることがわかる。

中でもチーマ・ダ・コネリアーノ《眠れるエンデュミオン》は小品ながら魅力的だ。ディアーナを象徴する三日月が天上からエンデュミオンの元へと降りてくる表現など、なにやら牧歌的でもあり微笑ましい。それに背景の緻密な描写がフランドル風で、チーマがジョヴァンニ・ベッリーニに学んだことが了解される。私的にはちょっとジョルジョーネ風な味付けも感じられたのだが…。


さて、実は今回の「パルマ展」に対して注目していたこと(勉強したかったこと)が3点あった。①コレッジョとアンニバレ・カラッチ、②コレッジョとパルミジャニーノ、③ファルネーゼ・コレクションとカポディモンテ美術館。ところが、展覧会を観て、更にバロック期のパルマにおけるCARAVAGGIOの影響の大きさも知ることになった。できたら4回に分けて感想を書きたいと思っているのだが…果たして書けるだろうか?(^^;;;;;

ということで、さっそく①から始める(^^ゞ

ミラノからローマに向かう列車に乗ると、パルマ、ボローニャ、フィレンツェへと下って行く。

実は、去年ボローニャで「アンニバレ・カラッチ展」を観て以来、アンニバレ・カラッチ(1560~1609)がかなり気になる存在になった。有名なローマのファルネーゼ宮の天井画は未見なので別として、初期の荒削りではあるが、ありのままの人間を描こうとする自然主義的な描写に強く惹かれたのだ。それはCARAVAGGIOに通じる世界である。「カラッチ展」を観ながら、この二人がバロックを切り開いて行く共通項と言うべきものに触れた思いがし、なんだか身震いするほどの感動をもらってしまった。

 
《豆を食べる男》(1580~90)コロンナ美術館(ローマ)   《飲む少年》(チューリッヒ・Galerie Nathan)

しかし、アンニバレの作風は段々と洗練された古典主義に傾いて行く。



ボローニャの展覧会でも展示されており、今回ロンドンのクイーンズ・ギャラリーで再会した《真実と時の寓意》(1584~85)。結構気に入っている(^^ゞ

「アンニバレ・カラッチ展」によればコレッジョの影響を受けたとのことだった。ところが、美術ド素人の私はコレッジョについて多くを知らない。欧州の美術館巡りで確かに作品を散見しているのだが、神話画と宗教画では印象が全然違って全体像が見えていなかった。今回の「パルマ展」はコレッジョ勉強をするとともに、カラッチ一族、特にアンニバレ・カラッチとの影響関係を探る上で願ってもない機会となった。


さて、このパルマ派を代表するコレッジョ(1489頃~1534)だが、本名はアントーニオ・アッレーグリ。パルマに程近いレッジョ・エミリア近郊の小村コレッジョ出身であることから「コレッジョ」と呼ばれる。初期時代はマンテーニャやロレンツォ・コスタ、ラファエッロやレオナルド、ジョルジョーネやロットの影響を受けているようだ。ある意味で、フィレンツェ・ルネサンスの果実を受け取り、ロンバルディアの自然主義と光、ヴェネツェア派の色彩を取り込み、今回の展示にも観られた優美さと情愛に満ちた作品を描いて行った…と言えるかもしれないね。

今回の展覧会で特にうっとりと眺めたのは《幼児キリストを礼拝する聖母》(1525~26)。



前景の幼子から発する光が礼拝する聖母を照らし出し、柱に映る。聖母の愛らしく優しげな表情と祝福を与える幼子のちっちゃな手、母と子のお互いの手の表現が呼応しているかのようだ。この静かで親密な場面は観る者を惹きこむ魅力に満ちている。
しみじみ観ると、場面を包む光の効果が大きいことがわかる。幼子の光に呼応するように、光景の薄明るい空の光が奥行きを与えながら更に場面を包み込んでいるように思える。斜め構図の多いコレッジョにしてはかなり練った構図なのではないだろうか?


ロンドンのクイーンズ・ギャラリーで観たばかりのアンニバレ・カラッチ《聖母と眠るキリストと洗礼者聖ヨハネ》(1599~1600)



幼子に興味津々の洗礼者ヨハネが足に指を触れ、聖母に「し~っ、」と言われる(笑)。思わず微笑んでしまう三人の親密な情愛が伝わってくる作品だ。小さな洗礼者の巻き毛も可愛らしく、まさしくこれはコレッジョの影響じゃないかと思う。眠る幼子はどことなくラファエッロ風だけどね。


今回の「パルマ展」にはコレッジョの初期作品《東方三博士の礼拝》(1516~17)が展示されているが、はっきり言って凡庸な印象を否めない(すみません(^^;;;)。
しかし、1518年ごろにローマ滞在したと推測され、1519年のパルマ聖パオロ女子修道院(ベネディクト会)院長居室の天井画で衆目を集めることになる。



ヴァティカンでラファエッロやミケランジェロのフレスコ画を観たのだろう、突如、作風にグランマニエラ(壮大様式)を獲得する。

まぁ、いくらなんでも天井画を日本に持ってくるなんてできない話だし、パルマ大聖堂や聖ジョヴァンニ・エバンジェリスタ聖堂天井画とともに、その成果はパルマに行って自分の眼で確かめるしか無いのだけれど(^^;;


ところで、実は展覧会を観た後で、西美主催の甲斐教行氏による講演会「コレッジョの世界―優美の規範」を聴講した(若桑みどり氏の講演会にはハズレてしまった!/ 号泣 )。
講演会の中で、甲斐氏はパルマ滞在中(1580年)のアンニバレ・カラッチが従兄のルドヴィーコに送ったとされる書簡二通を紹介された。アンニバレは手紙のなかでコレッジョを賛美している。

「ヴェネツィアにティツィアーノの作品を見に行かないうちは、私はまだ満足して死ねません。(中略)しかし私は〔コレッジョの純粋性を〕混淆できないし、そうしたくもないのです。私はこの純正さが、この清らかさが好きです。それは真実らしいのではなく真実そのものであり、人工的なところや無理強いされたところがない、自然なものです」(C.C.Malvasia, op. cit. I, p269)。

カラッチのコレッジョに惹かれた核となるものが「自然なもの」であることが私的にとっても腑に落ちた。

今回の「パルマ展」で展示されていたアンニバレ《キリストとカナンの女》(1594~95)もバロック的な明暗表現を感じるが、コレッジョの影響も見逃せない。


アンニバレ・カラッチ《キリストとカナンの女》(1594~95)


コレッジョ《ノリメタンゲレ》(1525)プラド美術館


更に、コレッジョ《キリスト哀悼》(1525)にもアンニバレへの影響を発見!なにしろ観ながら、あれっ?!と思ってしまったのだ。ロンドンのナショナル・ギャラリーで観たばかりのアンニバレ・カラッチ《キリスト哀悼》(1606)に構図なんかそっくり!要するにアンニバレがコレッジョの構図を翻案したのだね(^^;;;


コレッジョ《キリスト哀悼》(1525)


アンニバレ・カラッチ《キリスト哀悼》(1606)

図録によればコレッジョ《キリスト哀悼》に注ぐ光は「ロンバルディア的な光の表現」であるとし、ローマに向かうCARAVAGGIOがパルマに寄った可能性を示唆しているのだが….さて、果たしてどうだったのだろう? 確かにコレッジョの光はドレスデンで観た《キリストの降誕》でも実に印象的なのだ…。

と、今回もCARAVAGGIOがらみで締めることになったけど…一応、まだ続く予定である(^^;;;