カラヴァッジョ偏愛&美術ド素人の独り言をば...
山田五郎さんのYoutube「オトナの教養講座」は時々面白く拝見しているのだけれど、今回の「【暴れん坊・カラヴァッジョ】生首が自画像ってなんで?!【犯罪・逮捕遍歴】」を見て...
https://www.youtube.com/watch?v=HxqT5gBkpNY
ちょっと老婆心がでてしまったもので(本当はスルーすべきなんだろうけど)独り言を言わせてね。
冒頭に《聖マタイの召命》のについての画像紹介と言及があった。で、山田さんは聖マタイ論争について、「マタイは徴税人でお金を数えている人...今はコレでファイナルアンサーですね」と。
私は美術ド素人だから聖マタイ論争が決着したなんて知らなかったが(いつ決着したのだろうか??)、動画を見ている何万人もの人々が「マタイはお金を数えている若者」と疑問も持たず信じてしまうだろうことに、なんだか怖さを覚えてしまった。
以上、カラヴァッジョ偏愛&美術ド素人の独り言でした
2021年05月20日 カラヴァッジョ「聖マタイの召命」
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/188686238.html
1980年代前後からでた異論が、さんざん宣伝され、宮下氏がメディアで力説したせいで、日本では定説のように勘違いしている人がいるようです。どうみても無茶な論理です。石鍋教授の論文は、URL。人を指さすときのV字型の指というのは、特に示唆的でした。現代のイタリア人はどうやっているのでしょうね。
石鍋先生の論文の最後にある「われわれは意識するにせよしないにせよ、無知と思い込みや偏見に満ちており、見たいように絵を見てしまいがちだということを、忘れてはならないだろう。」という言葉を改めて噛みしめますね。私 も「しがち」なので(^^;
で、人をさす指ですが、現代のイタリア人に聞いてみようと思います。
宮下氏の「聖性とヴィジョン」(2004)、石鍋氏の成城大学美學美術史論集掲載論文(2020)の他、日本で出たこの問題に関する初期の中村俊春氏論文(1990)、一般向けに論争のことを簡単に紹介した芸術新潮2016年3月号(カラヴァッジョ展特集)の記事(P45)、宮下氏の「闇の美術史」(2016)、石鍋氏の「ありがとうジョット」(1994)、鹿島美術財団の美術講演会講演録(2003)などです。
論争の経緯は「聖性とヴィジョン」、2020石鍋論文に詳しく書かれていますが、マタイ若者説の各論者の論点は、
プラーター :マタイのトリックは風俗画の発想
ハス :カラヴァッジョは伝統を無視する画家
プトファーケン :細部から真実に到達する新しい絵
宮下氏 :「速やかな回心」という内省的宗教性を基本
髭の男が若者を指さしているかどうか、ということがこの論争に関する最終的・決定的な問題であり、その他のこと(マタイは富裕者か、サヴォナローラ椅子、髭の男と若者のどちらがマタイとして相応しいか等)はこの問題解決の根拠にはなりません。(失われた絵を含め)同じ礼拝堂内の他の全て絵がマタイを髭の男として描いていても、それが若者をマタイとすることを否定する根拠にはならないでしょう。(同じ堂内なら統一するのが普通ですが、そうでない場合があってもおかしくはないし、ポントルモの絵のようにマタイを若者としている例もある。上記のハスの主張に従えば、カラヴァッジョは伝統を無視する画家であり、また、プラーターはカラヴァッジョがこの絵を描いた時点では、公的な宗教画の約束事を理解していなくて、風俗画の描き方で発想した―だから分かりやすい絵になっていない―というのがマタイ若者説の根拠となる主張の一つですから。)
宮下氏は1980年代頃までに流行していたイコノロジー研究(特にカルベージの教会側の清貧思想)を取り入れて、内省的宗教性を基本に若者の「速やかな回心」からマタイ若者説を採用したものであり、私も初めて「聖性とヴィジョン」を読んだ頃はマタイ若者説の方が正しいのかと思いましたが、その後いろいろと読むようになってから、今では従来の髭の男説の方が正しいと思っています。一時期流行ったイコノロジー研究は、結局どんな解釈でも可能であり、恣意的な解釈に陥りがちであるということから、今では研究する人も少なくなったようです。この辺がカルベージの影響を受けた宮下氏の主張の限界かと思います。
宮下氏の2004年と2016年の本からは、この間の宮下氏の主張の変化(どちらの人物がマタイであるのかを曖昧に描いたのかもしれない)が感じられますが、過去の著作を否定するまでには至っていないようで、最近の一般向け著書(一枚の絵で学ぶ美術史)でもマタイ若者説を述べているとのこと。学者、研究者というものはなかなか過去の自説を否定するということはしないもので、カラヴァッジョ研究の権威とされるロベルト・ロンギでさえ、このマタイ伝連作の制作順序に関する自説がレットゲンによる史料発見で否定された後も、「(大戦で失われたマタイと天使の第一作の)本物を見た自分にしか分からない」として自説を変えなかったそうです(マタイ伝連作の制作順序については上記石鍋氏の「ありがとうジョット」と成城大学美學美術史論集論文2020を参照)。似たような話は日本美術でも何度か経験したことがあります(運慶作が推定された十二神将に運慶没後の年号が発見された例など)。「聖性とヴィジョン」は出版の賞をもらっているような本なので、自説の訂正は難しいでしょうね。
マタイ論争に関して上記の本のうち目を引いたのは鹿島美術財団の講演録です。この本は2002年に開催された「カラヴァッジョの聖マタイのお召し」をテーマにした講演の記録で、演者は元ピサ大学のサルヴァトーレ・セッティス氏。この人はイタリア人にしては珍しく?マタイ若者説を主張していますが、私が気になったのはこの時の司会と参加者です。司会は高階秀爾、小佐野重利の両氏、講演後の質問者として宮下氏と若山映子氏の二人の発言が掲載されています。宮下氏の「聖性とヴィジョン」P153と注15を見ると、マタイ若者説を主張している国内研究者として高階氏と若山氏の考えが引用されているので、この講演会では演者だけでなく、司会・質問者も全てマタイ若者説を主張している人ばかりです。私はこういう場では反対論を出す人が質問し、それに対して演者が自説の優位性を説明するというのがあるべき姿だと思いますが、賛成者ばかりだったということになります(石鍋氏がこの場にいたのかは分かりません)。なお、上記のハスの主張とは逆に、セッティス氏は質疑応答の最後に「カラヴァッジョは伝統を暗示するたいへん創造的な形で、伝統を絵画に取り入れているということを言いたかった」と述べているのが印象的でした(カラヴァッジョの絵の解釈はなかなか難しいですね)。この講演録のセッティス氏の話の内容は、カラヴァッジョの絵の前後の関連作品などを多く扱って説明しているので、なかなか良い講演だと思います。
宮下氏のカラヴァッジョに関する著書は一般向けの本も含め多数出ていて、ここにはマタイ若者説が繰り返し書かれているのに対し、髭の男説は石鍋氏の「ありがとうジョット」と成城大学美學美術史論集論文2020ぐらいです。「ありがとうジョット」ではごく簡単に触れているだけであり、2020年の論文はネットで公開されているとは言え、一般の人の目に触れる機会はほとんどありません。私もこの論文に気付いたのは公開されてからしばらく経過した後です。(貴ブログの今年1月の記事「国立新美術館 カラヴァッジョ キリストの埋葬展開催中止」に対する3/2のコメントでご紹介しています。下記URL)
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/5ced865e809b5109418df9c158b84340#comment-list
一般の読者やマスメディアが数が多いものの方に影響され、マタイ若者説が定説になっているなどと誤解するのはある意味仕方がないことなのでしょう。
宮下氏がこのマタイ論争に関して新しい自説を執筆される可能性はあまりないと思いますが、石鍋氏は数年前からカラヴァッジョに関する著書の準備をされていると伺っております。そしてその中では今まで手薄だったミラノ時代についても多くの記述をされるようですが、現時点でまだ出版されていないので、もうしばらくかかると思います。マタイ論争に関しては2020年論文に追加することがあれば、改訂した上で収録されると思うので、それに期待しています。
ついでながら、カラヴァッジョに関する少し軽い話題を2つほど。
一つ目は「名画で学ぶ主婦業 主婦は再びつぶやく」。図書館にあったのですが、前作を読んで面白かったのでこれも借りました。カラヴァッジョの絵についてはバルベリーニのユディト、ウフィッツイのイサクの犠牲、ボルゲーゼの蛇の聖母の3点。内容についてはネタバレになるので書きません。ご興味があればどうぞ。
二つ目は12/4にNHK BSプレミアムで放送された「貴族からの招待状 ローマ・フィレンツェ編」。現代のイタリア貴族の実態を紹介する番組で、ローマの休日で使われたコロンナ宮殿も紹介され、アンニーバレ・カラッチの豆を食べる男の絵がこの宮殿で最も重要な絵と紹介されていました。その後オデスカルキ家が紹介され、この名前を聞いてすぐに、カラヴァッジョの聖パウロの回心第一作が出てくるかと思ったのですが、紹介されませんでした。番組ではオデスカルキ家と宮殿・城の歴史と現在のことが紹介され、1676年にはローマ教皇も輩出(インノケンティウス11世)とのことで、オデスカルキ家という貴族がそれほど名門だったということを初めて知りました(この教皇の在位期間はベルニーニの晩年に相当しますが、ベルニーニへの注文はないようです)。カラヴァッジョの絵については、タッシェンの大型本「カラヴァッジョ」によると、この聖パウロの回心は1950年代にジェノヴァのバルビ・コレクションから、遺産相続によりローマのオデスカルキ家の所有となったとあるので、近年オデスカルキ家にもたらされた絵であるため、番組では紹介しなかったのかと思います。(アンニーバレ・カラッチの絵よりもカラヴァッジョの絵の方が価値は高いと思うので、紹介してもよかったか?)番組にカラヴァッジョのことが出てきたわけではありませんが、オデスカルキ家のことを知るのに役に立ちました。
宮下先生の著書は大体読んでいるので、「鹿島美術財団の講演録」できたら読んでみたいものです。石鍋先生の新しい著書の出版も待たれますね。
で、先にむろさんさんから石鍋先生の論文を教えていただき、私的にも以前から「若者説」に疑問を持っていたので、今回の「動画」は異説への疑問封じになるのではないか?と危惧してしまいました。
ロンギさえ自分の説に執着したとは...(^^;。やはり研究者にとって自説を否定するのは難しいことなのでしょうね。
「名画で学ぶ主婦業 主婦は再びつぶやく」は面白そうですね。図書館予約してみます。
で、「貴族からの招待状 ローマ・フィレンツェ編」は私も見ました(^^)v。コロンナ家は美術館にを訪れたことがあるので懐かしかったです。オデスカルキ家は私もオデスカルキ=バルビ・コレクションのカラヴァッジョがでて来るか期待していたので残念でした(>_<)。イタリアの名門貴族には教皇や枢機卿を出している家が多いのが興味深いですよね。
1990年の中村俊春氏論文(「視覚表現の多義性と解釈」芸術の理論と歴史 思文閣出版)はお読みになっていると思いますが、ご存じない方のために少し解説しておきます。海外のマタイ若者説を日本語で紹介した本はこれが最初だと思いますが、今読んでもなかなか有意義な論考です。最初に、エヴァがアダムに禁断の果実を渡す表現を例に、言葉で書くと「エヴァがアダムに渡している」ことは明確なのに、絵でこのことを正確に表現するのは難しい(どちらから渡しているのか区別できない)ということです。カラヴァッジョの聖マタイの召命もこれと同じで、マタイは中央の髭の男か左端の若者か絵では曖昧です。筆者はどちらが正しいと判断するか自説を明確にはしていませんが、「作品成立の背景からの考察は、『期待するものを見る』という我々の性向を一方的に助長するものであってはならない」としています。
この後しばらく日本ではこの論争に関する本などはないようですが、宮下氏は2000年6月発行のイタリア・ルネサンス美術論(関根秀一編 東京堂出版)に「内面の覚醒―カラヴァッジョと改宗」を書き、この中でマタイ若者説を展開しています。そして、この本の後に出た「カラヴァッジョの身振り―表出から象徴へ」(西洋美術研究No.5 2001年3月)でマタイ若者説を詳しく論述し、これがそのまま2004年の「聖性とヴィジョン」に収録されています。鹿島美術財団の第31回美術講演会は2002年11月開催(講演録出版は2003年)なので、宮下氏の西洋美術研究No.5と「聖性とヴィジョン」の間に当たります。
その鹿島美術財団講演録ですが、前コメントではマタイ若者説賛成者のことばかり書きましたが、セッティス氏の話の内容はなかなか良いものだと思います。カラヴァッジョ以降に描かれた聖マタイの召命について、「聖性とヴィジョン」では5件の図版、2020年の石鍋論文では7件の図版を掲載していますが、鹿島美術財団講演録では6件の図版とカラヴァッジョのお召しに基づく模写(素描と油彩)が2件、さらにルーベンスの最後の晩餐のための素描(以前ルーベンスとカラヴァッジョの関係を示す作品としてMichael Jaffe著, Rubens and Italy,1977掲載の素描としてコメントで紹介)が載っています。模写作品の方は、聖性とヴィジョンにも石鍋論文にも載っていなくて、どのように分かりやすい絵に改変されたかがよく理解できるものです。セッティス氏はこれらの例を使って、カラヴァッジョ以降の画家が曖昧さを取り除いたことと、カラヴァッジョは意識的に曖昧さを取り入れることによって、見る人の心の中に自分が生み出したイメージを効果的に刻みつけたかったとしています(この点はプラーターが、カラヴァッジョは公的な宗教画の約束事を理解していなかったので、風俗画の描き方で描いた、とするのとは異なっています)。そして結論として、バロックの美学における「驚き(meravigliaメラヴィリア)」を適切さ(分かりやすさ)の代わりに採用したことがカラヴァッジョの「聖マタイのお召し」の本質であり、これは17世紀当時に詩人のマリーノがカラヴァッジョの絵を「意外な驚きを与えるもの」と呼んだことに通ずる、としています。なお、このセッティス氏によるカラヴァッジョの「驚きの効果」については、2002年の鹿島美術財団講演会に司会者として同席していた小佐野氏が、2019~20年3都市巡回カラヴァッジョ展図録の論考「時代の申し子あるいは挑戦者 カラヴァッジョ再考」の中でセッティス氏の考えとして詳しく論じています(P47と注32)。
マタイ論争に関するセッティス氏の考えはマタイ若者説ですが、講演として掲載されている内容は参考になるものです。鹿島美術財団の出版物は鹿島美術研究年報別冊にしても美術講演会講演録にしても、一般向けの本ではないので、大学図書館とか大きな図書館でないと置いていないかもしれません。ただ、年報別冊も講演録も西洋・東洋・日本美術の全分野を扱っているので、例えば上野地区なら日本美術を主体としている東博資料室や東文研資料室でも閲覧できます(年報別冊では西洋美術の論文は2割ぐらいでしょうか)。
マタイ論争の日本語資料として、私は宮下氏の「聖性とヴィジョン」、石鍋氏の成城大学美學美術史論集掲載論文、中村俊春氏論文、第31回鹿島美術財団講演録の4点を読み比べることをお勧めします。
最後に、前コメントでも引用した若山映子氏の発言と書いたものを上げておきます。第31回鹿島美術財団講演録の質問者として、若山氏は「カラヴァッジョはマサッチオの作品をよく見ていたに違いありません。ひげの男の手はマサッチオの『貢ぎの銭』の聖ペテロが金を払っている手つきから取られています」と発言しています。これを読んですぐにマサッチオの画集で見比べましたが、私にはペテロが金を払っている手つきはカラヴァッジョのお召しの髭の男の右手にも左手にも似ているとは思えません(花耀亭さんはどう思われますか?)。また、カラヴァッジョがフィレンツェを訪れたことがあるとも思っていません(ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画は有名なので、模写の素描か版画はどこかで見ていたかもしれませんが)。
さらに若山氏は西洋美術研究No.7(2002年5月)掲載の展覧会評「カラヴァッジョとローマの天才 1592-1623」展の注35でマタイ若者説を述べるとともに、「カラヴァッジョは青年マタイの横顔を、レオナルドの『最後の晩餐』から借用している」としています。これを読んですぐにレオナルドの画集で見比べましたが、それらしい人物は右から4番目の聖フィリポぐらいしかいません。(それほど似ているとは思えませんが、どう思われますか?)
この2つの例は中村俊春氏論文の言う「人は期待するものを見る」、石鍋論文の言う「見たいように絵を見てしまいがちだ」を現わしていると思いますが、いかがでしょうか。
私は中村俊春氏論文と第31回鹿島美術財団講演録を読んでおらず(汗)、ぜひとも読んでみたいと思っています。読み比べて、自分がどう考えるかが大切ですね。
で、マサッチオ《銭の貢》のペテロの手と髭の男の手を見比べましたが、むろさんさんと同じで、私も似ているようには見えませんでした。《最後の晩餐》は、多分、右から3人目の聖マタイを言っているのだと思いますが、うーん、似ているようには思えませんね。もしかして「聖マタイ」だから??
>「人は期待するものを見る」「見たいように絵を見てしまいがちだ」
自分がそうなので(美術ど素人故に)、自戒しなくてはと反省してしまいます(^^;;