眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

逆上王(腕に覚えあり)

2022-12-13 02:40:00 | 将棋の時間
 春がきてランドセルの準備はできていたけど、そこに新しい教科書が詰め込まれることはなかった。精密検査の結果、入院することが決まったからだ。家から車で3時間ほどかかる病院だった。父がハンドルを握る車で病院に向かう。長くて短い別れの道だ。

 同じ病室の子が僕に将棋を教えた。拒むことはできなかった。1からルールを覚え込むことは、とても大変だった。
 金と銀は似ていてややこしい。金の方が僅かに強い。銀と角は性格が似ている。玉は金に似ていて大駒の次に強い。飛車は香の4倍の働きをする。桂馬は非人間的な動きをする。歩はとにかく多い。駒は裏返ると金になる。裏返らない選択もできる。大駒は裏返ると玉の強さを身につける。ほぼ無敵。相手の駒は利きに入ると取ることができる。取った駒は持ち駒となって好きな時に使うことができる。持ち駒になった時は一旦元の働きに戻る。いきなり裏の状態で持ち駒を打つことはできない。永遠に行き場のない状態に駒を動かしてはいけない。玉が取られたら負け。次に取るぞという時が王手。どうしても取られる状態が詰み。正式には詰みの時点で負け。なので実際に玉が取られることはない。駒の動かし方を一通り覚えたら、並べ方を教わる。そちらはそう難しくない。
 初対局は手探りだ。最初は何をどう動かしていいかわからない。どんどん相手の駒が前進してすぐに成駒がいっぱいできる。玉はあっという間に包囲され行き場を失う。詰んだ。これが将棋だ。僕の最初の敵。それがカズヒコだった。

 無理に覚え込んだものだったが始めてみるとなかなか面白い。周りの人の駒の運びを見ては真似たりした。違う病室の先輩(僕からするとかなり大人に見えた)がよく指していたのは、飛車の斜め下に玉を持ってくる構えた。今思えば、それは美濃囲いだ。但し、飛車は居飛車だったり浮き飛車だったりあまり横には動かなかった。玉は隠すようにしておくと負けにくいものか。初級の僕は漠然とそのように感じた。

 母は月に一度ほどたずねてきた。母の顔をゆっくりと思い出して、変わっていないことがわかるとうれしかった。何を話していいかわからない内に日は暮れて、すぐに別れの時間がやってきた。夕方帰るくらいなら来なければよかったのに。コントロールできない時の流れに突然怒りが湧いてくる。消灯後のベッドの中で音を殺して、母のくれたお菓子を食べる。奇妙な背徳感の後に切なさが尾を引いた。

 僕が棋書と出会ったのは、ルールを覚えてからしばらく後になってからだった。表紙がつやつやとしてとてもよい匂いがした。僕が手にしたのは16世名人の入門書だった。そこには見たこともない囲いがあった。金銀をがっちりとくっつける、矢倉という囲いだ。定跡はよくわからなかったが、僕は矢倉囲いだけを暗記した。何度目かのカズヒコとの対戦、僕は覚え立ての矢倉をぶつけた。初めの頃のように簡単に攻めつぶされることはなかった。そればかりか矢倉には思った以上の耐久力があり、相手の攻めを跳ね返す力があった。何だかんだとする内に玉を詰ましたのは僕の方だった。矢倉という武器を身につけて、僕はついにカズヒコに勝った。

 玉を詰まされた瞬間、カズヒコの目の色が変わった。そして、次の瞬間、猛然と襲いかかってきた。腹や顔を散々殴られ髪の毛をつかんで引っ張り回された。口の中に手を突っ込まれて歯を引き抜かれそうになった。(あの時の感覚では、確かに僕の歯は確実に何本か抜けていたのだ)4つも上の子供に対して、僕はあまりに無力だった。カズヒコはただいい遊び相手がほしかったのだ。自分が負かされる日がくることを望んでいたわけじゃない。だけど、それがそこまで許されないことだったとは、とても想像の及ばないことだった。対局が続いている間は平和だったのに、終局と同時に不条理な暴力が待ち受けていたなんて。僕はその時、憎しみというものの恐ろしさを知った。

(将棋を指す人に悪い人はいない)

 随分後になってそういう言葉を聞いた。いったいどういう意味だろう。きっと迷信だ。指す人ではなく、極めた人だったら。もしかしたらと僕は思う。彼の蛮行は弱さの現れかもしれない。矢倉なんか覚えなければよかった。でも悪いのは将棋じゃない。小さな病室の中の王だった。

 顔にはあざができていた。彼の暴力を大人に訴えるようなことはできなかった。大人はひと時は僕を守ってくれるだろう。優しい言葉をかけてくれるかもしれない。けれども、その後にもっと恐ろしい報復が待っていることは明らかだ。一時的な安全など何も意味がない。病室にいるのは子供だけで、僕はほとんどの時間を子供たちの世界の中で生きていかなければならないのだ。こちらの主張が100%通るとも限らない。凶暴な顔を持つカズヒコだが、大人たちの前で素直でよい子を演じることにも長けていた。

 21時の消灯後、病室ではこっそりとテレビがつけられていた。テレビを楽しんでいる時のカズヒコの顔は、とても普通だ。機嫌がよければ普通の子とも言えた。けれども、あの勝局の日以来、何かある度に僕はターゲットにされた。

 病室の外にいた大蟻の大群を包んだ毛布を被せられたことがある。息が絶えそうな毛布の中で、僕は蟻の恐怖を味わった。それから僕は蟻の匂いが嫌いだ。(病院に蟻なんていないと言う人もいるかもしれないがいたのだ)同室だったよっちゃんにライフル銃で撃たれたこともある。カズヒコがそれをさせたのだ。(病院に何でモデルガンがあるんだと言う人もいるかもしれないがあったのだ)その後トイレで会った時、よっちゃんは「ごめんね」と謝った。狙撃手はとてもかなしい顔をしていた。僕はよっちゃんを怒れなかった。逆らえないのは皆同じだったからだ。

 数年が通り過ぎ、カズヒコは笑顔で退院して行った。病室は平和を取り戻し、穏やかな日が続いた。あんな酷いことはそうないだろう。幼い僕はそのように考えていた。だが、実際はそう甘いものでもなかった。いじめや暴力、差別や不条理な出来事は、外の世界にも腐るほど存在したのだ。病院の中では色んな人を見た。僕らよりももっと重い、命に関わる病を持った人もいたし、突然やってくる別れもあった。
 あの日以来、僕は心から人間を信じることはできなくなった。だが、それは悪い面ばかりではない。勝負事に関して言えば疑り深いくらいがちょどよい。
 本当のところ怒りは今でもくすぶっている。心の奥深いところで、いつか復讐してやりたいと願っている。だから、もう二度と会いたくない。どんな大人に成長しているとしても、会いたくない。

「負けました」

 将棋にそんな言葉があると知ったのは、病院を出て何年も経ちずっと大人になってからのことだった。それは当たり前に正しく、美しい人の姿勢だ。
(将棋ってどんなゲーム?)
 駒の動かし方、持ち駒の使い方、禁じ手の種類、駒の並べ方、玉の囲い方、定跡……。そんなことはどうだっていいのだ。最初に覚えるべきことは、人に礼を尽くすこと。たったそれだけでいい。
 大人でも子供でも、「負けました」とちゃんと言える人が僕は好きだ。


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