眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

アイ・ラブ・マック

2009-05-13 20:34:45 | 狂った記述他
 ミシュランで数え切れない星をもらったらしいマクドナルドで、ワンコインと引き換えに夢見心地の時間を手に入れた。階段を数えもせずに上がり、何気なく空いている席に自分の身を置いた。数え切れないほどの読みかけの本の中から、いつ読み始めたのか今となってはわからない大切な本の一つを手にとって、僕は読み始めた。
 けれども、文字は僕の中で生命感を持って流れない。代わりに流れてくるのは、今をときめくようなきらきらとした歌ばかりだった。着うたフルがフルタイムで流れる店の中では、何が店で流れている60年代の音楽なのか、何がダウンロードされた音楽なのかまるでわからず、それらを区別することに神経を研ぎ澄ませれば、ますます読みかけの物語は僕の中から逃げて行った。

 僕は、物語を必要としていた。あるいは、小説を、あるいは本のようなものを必要としていた。実際のところ、僕は何かを必要としていた。そうしてここにやってきたはずなのだが、着うたフルが、そこら中を駆け回っているため、僕はその陽動作戦に引っかかりすっかり正気を失いかけているのだった。これくらいのことで、だめになってしまうようなものが僕の必要としている何かなのなら、それはあまりに脆く頼りない。僕は、今やそれが信じられなくなった。信頼を失った目で追いかける文字は、たとえよく知った言葉であっても、まるで心に寄り添うことはできなかった。脳裏に吸い付いていくことはなかった。10ページばかりめくったところで、ついに折れてしまった。飲みかけのジュースを取って、僕は逃げ出した。

 直線的な階段を真っ直ぐに下りて行った、と思ったが、下りて行く内にそれはいつの間にか、ベンチに変わっているのだった。階段は、立派なベンチに変わっていて、そこでは子供たちが仲良く3人並んで腰掛け、今の世界についてのおしゃべりに夢中だった。ベンチは、3人掛けるといっぱいで、たとえどれほど逞しいおばちゃんであっても、あるいはどんなに心の豊かな猫であっても、もうそれ以上は入り込む余地はないのだった。だから、僕はベンチの後ろで立ち止まっている。このベンチが空くことは、永遠にないように思われた。それでも、マクドナルドから外へ通じる出口は、この先にしかないのだった。

 このベンチを、飛び越えていこう。それしかないのなら、このベンチを飛び越えていこう。

 思い切った考えが湧き上がった。それは進退が窮まった時に、時々現れるそれだった。成功の喜劇的なイメージが容易に浮かんだ。けれども、同時にその反対のイメージが浮かんできて、僕は口をつぐんだ。元々つぐんでいたものが、更につぐんだので僕は唇を噛んでしまった。海の味がした。波が、押し寄せては引いていく。繰り返し手招きをする波に、僕は誘われて近づいていく。大丈夫、大丈夫、このくらいまでは大丈夫。そうして僕は呑み込まれ、完全に呑み込まれ海底生物の吐き出す黒い絵の具に何も見えなくなってしまう。やっぱり、まだだめだったのか。底に落ちる瞬間、おじさんの大きな手が僕を掴み上げた。水の向こうに世界が見えて、僕は覚えているはずもない生まれた瞬間のことを思い出しているのだった。それからまた、押し寄せる波を見ていた。穏やかな一日だった。繰り返す海の歌だけが、いつまでもいつまでもエンドレスに続いていた。誰もいないこの世界は、遥かに壮大で美しい。声が聞こえる。
 波の向こうで声がした。すると突然、水平線は見えなくなって、目の前にはベンチがあった。

 そうだ。このベンチを越えていくのだ。それしかないのなら、僕は越えてでもいくのだ。

 長い迷いが、迷いに終止符を打ち、僕はベンチの後ろで助走のための距離を取った。ベンチの後ろは段々になっていて、僕の理解を苦しめたがもうやめるわけにはいなかった。一瞬で、それは終わるのだ。一瞬の、競技なのだ。
 心の中で、ゴーサインを出すと静かに決意の一歩を踏み出した。
 その時、ベンチに腰掛けていた子供が振り返ってこちらを見上げた。順々に3人が振り返り、あどけなく笑った。

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