ちょうど20年前の今頃、第1級無線通信士(現・第1級総合無線通信士)の電気通信術の国家試験を受けていました。
その年の1月期の試験で数年がかりで取り組んでいた第1級無線技術士(現・第1級陸上無線技術士)に合格しました。これによる工学系の科目免除で通信士の方にもチャレンジし、まず3月期で英語、国内法規、国際法規、地理が科目合格となり、最後に電気通信術を残すのみとなっていました。
送信の試験では既にエレキー使用可となっていたので、自作のキーヤーにハイモンドMK-701といういうシングルレバーのパドルを持ち込むことにしました。元々ダブルレバーのMK-706を愛用していましたが、送信ミスを極力減らす狙いで、敢えてスクイーズ操作ができないようにシングルレバーで練習することにしました。この時購入したMK-701は今でも自宅のメインキーとして愛用しています。
さて試験ですが、モールスは欧文と和文、普通文と暗語で5分間の送受信。試験官と向き合ったあの緊張感は忘れられません。数か所のミスはあったと思いますがどうにか合格しました。滑り止めに翌日受けた第2級無線通信士の電気通信術も科目合格、電気通信術の試験を受けたのはそれが最後になりました。
その後無線技術士の方は仕事でも役立たせることができましたが、通信士としては実際にプロの業務に従事したことはありません。試験が終わったら練習も止めてしまいました。アマチュア無線も一時期ブランクがあり、復帰直後は和文も怪しくなっていました。最近は599 BKがほとんどで平文のラグチューなどは何年もやっていませんし、電文を見ながらでも今では5分間ミスなしで送信できるとは到底思えません。つまり20年前が私の電気通信術の技能のピークでした。hi
もっともCW運用のテクニックは電気通信術とは別物です。実際の交信、コンテストや移動運用、また最近機会が少ないですが和文のラグチュー等を通して得た物が大きいと思います。まだまだマスターしたとは思えませんし、自己訓練には終わりがありません。修行は続きます。hi
その年の1月期の試験で数年がかりで取り組んでいた第1級無線技術士(現・第1級陸上無線技術士)に合格しました。これによる工学系の科目免除で通信士の方にもチャレンジし、まず3月期で英語、国内法規、国際法規、地理が科目合格となり、最後に電気通信術を残すのみとなっていました。
送信の試験では既にエレキー使用可となっていたので、自作のキーヤーにハイモンドMK-701といういうシングルレバーのパドルを持ち込むことにしました。元々ダブルレバーのMK-706を愛用していましたが、送信ミスを極力減らす狙いで、敢えてスクイーズ操作ができないようにシングルレバーで練習することにしました。この時購入したMK-701は今でも自宅のメインキーとして愛用しています。
さて試験ですが、モールスは欧文と和文、普通文と暗語で5分間の送受信。試験官と向き合ったあの緊張感は忘れられません。数か所のミスはあったと思いますがどうにか合格しました。滑り止めに翌日受けた第2級無線通信士の電気通信術も科目合格、電気通信術の試験を受けたのはそれが最後になりました。
その後無線技術士の方は仕事でも役立たせることができましたが、通信士としては実際にプロの業務に従事したことはありません。試験が終わったら練習も止めてしまいました。アマチュア無線も一時期ブランクがあり、復帰直後は和文も怪しくなっていました。最近は599 BKがほとんどで平文のラグチューなどは何年もやっていませんし、電文を見ながらでも今では5分間ミスなしで送信できるとは到底思えません。つまり20年前が私の電気通信術の技能のピークでした。hi
もっともCW運用のテクニックは電気通信術とは別物です。実際の交信、コンテストや移動運用、また最近機会が少ないですが和文のラグチュー等を通して得た物が大きいと思います。まだまだマスターしたとは思えませんし、自己訓練には終わりがありません。修行は続きます。hi
間違わずに5分間も送受信するなんてことは私にはできそうにもありません。和文コードも知らないから、それ以前の問題なんですけれども(笑)。そう言えば最近はCWの練習をしていません。QSOは599BKばっかりです…。「自己訓練」しないといけないですね。hi
趣味が高じてというか、、、。若い頃だったからできたと思います。前職で大電力の送信機を扱っていた反動か、アマチュアに戻った今はQRP中心です。hi
5分間も間違わずに送るのはまず無理です。試験では焦らずに確実に訂正するように心がけました。
今でもミス連発しているなあ。修行が足りません。hi
私もその年の七月だったか、一技の残りを片付けたところでした。一月に受かってゐれば同期合格だったのですね。
受験票、結果通知書、試験問題も保管してあります。hi
昭和63年6月の予備試験からでしたが、その1年くらい前から分厚い問題集との格闘を始めていたように記憶しています。